四度目の正直
2年前、9月の半ばを過ぎた頃、私は久々の息抜きに友人の家でお茶をしながらお喋りをしていた。昼過ぎの1時頃、携帯の呼び出し音がオフになっていた事に気づいた。そして、義母から着信があった事にも気がついてすぐ連絡すると、義母はものすごい剣幕で、「どこにいるの?ずっと電話してるのに!」と怒鳴った。ひどい腰痛の原因が分からないまま、バスでカルガリーのダウンタウンへ通勤を続けていた夫が、バスを降りた途端倒れたらしい。その後何とか自力で会社までたどり着き、私に連絡したらしいのだが、私がつかまらなかったので義父に迎えにきてもらったという。翌日主治医に診察してもらったが、MRI検査は早くても10月の始めだと言われた。それから9月の末に再び救急病棟へ行き、10月の第1週に4回目の駆け込みで、当直の医師が、夫の胸にしこりができているのを発見した。その年の5月から10キロも痩せて、顔はやつれ、目は窪み、肩や胸の筋肉もそげおちていたので、胸のしこりが目立った。その時点でようやく緊急CTスキャンを撮ってもらい、私達は救急車で大学病院へ搬送された。その2日後、私達は夫の病名を知らされた。Multiple myelomaという、血液ガンの一種だった。日本語では多発性骨髄腫というそうだ。医師の説明によれば、この病気は原因不明で、血液細胞が突然変異を起こして、自らの体を侵すようになるらしい。高校生の娘が入院したばかりの父のもとへ駆けつけた時、ちょうど医師が夫にその説明をしている所に出くわした。10歳の息子には自分の口から知らせたい、という夫の願いで、その2日後私は息子を連れて夫の病室へ向かった。「伝えなきゃいけない事があるんだ。」夫は息子に、自分の病名とどんな病気で、医療チームがしっかりケアをしてくれている事を冷静に伝えようとしていたが、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。父の様子を見て、息子は取り乱す事なくうん、うんと頷いて、泣かずに真剣な面持ちで受け止めていたようだった。息子が、「パパ大丈夫なの?ぼく心配。」と言って泣いたのは、帰宅して就寝時のことだった。弱っている父のために、病院では精一杯気丈に振る舞っていたのだ。子供は、親の気づかない間にいつの間にか成長している。夫はすぐにがん病棟に移され、抗がん剤治療が始まった。その翌週、まだ夫の入院中に、お世話になった友人の結婚式に招かれていた。とても行く気になどなれなかったのだが、夫に「家族3人で行ってきてくれ。」と言われ、出かけていった。見知らぬ人ばかりの結婚式で、誰に話しかける気分も起こらず、私達家族は結婚式と披露宴の間の待ち時間をホテルのロビーで所在なく過ごした。新婦は3年程前に前夫に一方的に離婚されたので、これが彼女にとっては再婚である。誠実で、アウトドアスポーツと料理の好きな新しい彼女のパートナーを、社会人と学生の娘達は祝福していた。若いカップルのとびきり華やかな披露宴とは違って、終始和やかで、良かった良かったと涙する人達もいた。自分達の結婚生活は、夫の命の黄色信号が点滅しているようだったが、友人はこれから第2の幸せな人生を始めようとしていた。どうかどうか、幸せになってねと心から祈った。
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