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祝日のない10月のために温かさを溜め込んで

「おお〜環たん!」

私の名前の後ろに「たん」をつけるのは世界で2人しかいない。
一緒にOLiをやっている太、そして羽田(はた)くんだ。
私と太、そして羽田くんは音楽雑誌の編集とイベントに関するワークショップで知り合った。同期、そして同い年ということで意気投合し友達になった。

太とは馬があった。それは音楽の趣味で重なる部分が多くあったからというのが大きな要因ではあるが、同じ都立高校出身ということもあり、共通の話題も多かった。社会への目線の向け方も近しいものを感じ、打ち解け方は自然だった。

ただ、羽田くんとは始め、少しだけ距離があったと思う。というのも、音楽の趣味が全然違った上に、それ以外の生い立ちで重なる部分も少なかった。

羽田くんは神奈川出身の男の子で下北沢界隈のロック、フォークを基軸にロックが好きなタイプだった。銀杏BOYZを始め、サニーデイサービスやLOVE人間などを推していた。
一方私は、ポップミュージック育ちだ。aikoを基軸に、モーニング娘。やRADWIMPS(これはロックバンドだが有名すぎてもはやポップス状態)など。
ただ、同世代ということもあり、羽田くんとはチャットモンチーや星野源など、共通の話題をきっかけに、初めは少しの距離を保ちながらだったが、徐々に仲を深めていった。

一緒にライブやフェスに行ったり、飲みに行ったり。羽田くんが主催したイベントを手伝ったりと、色々なことをした。
だけど社会人になり私の仕事が徐々に忙しくなると時間を合わせることもなくなり、連絡をとる頻度も減っていった。

太とは同じ業界で働くことになったり、好きなアーティストが重なる部分も多かったから、社会人になってからもフェスやライブに行くことがあったけど、羽田くんとはなんとなく距離があいてしまった。
嫌いとか苦手とか一切ないし、知り合って、ちゃんと楽しいことを共有して仲良くなってはいた。
ただ、大阪にいる頃には羽田くんも大阪に住んでいたのに、なんとなく疎遠になっていた。

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2021年8月末。羽田くんからツイッターでリプライが飛んできた。

「環たん、このご時世だけど会いたいぜ関東いるから話そう」

彼の人生の転機が来たんだなと感じ、すぐに会おうと返信をした。

9月。
待ち合わせは新宿の世界堂前。髪の毛にゆるくパーマをかけた羽田くんがいつも通りテンポよく歩いてきたときにすぐに元通りの時間が流れた。
そして冒頭で紹介した挨拶である。
白色の不織布マスクの下で、彼がはっきりと笑っているのが分かったのだった。


ぶらぶらと歩いて見つけた焼肉屋に入店した。
生ビールを頼んで口をつけると、緊張はぐっと落ち着いてお互いの転職や私生活へと話題は移行していった。


羽田くんがパートナーとベトナムに行き仕事をやると話したとき、話した言葉がとてもキラキラと輝いた瞬間があった。

「俺さ色々と、仕事とか将来とか考えた時に、やってみたいことをやってみようと思ったんだよね」

どの言葉がキラキラと光ったかというと、「やってみようと思った」という言葉なのだ。
私だったら絶対に使わない言葉だ。
「やってみたいことをやってみよう」ではなく「やりたいことをやる」と変換されてしまうと思う。
だけど、羽田くんは「やってみたいこと」を「やってみよう」なのだ。

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思い出すのは、下北沢シェルターでやった羽田くんのライブイベントだ。
大好きなバンドたちを出演させ、必ず誰かのカバー曲をやってもらうというイベントだった。
羽田くんはあまり仕切るのが上手くなかった。
それまで色々なイベントをやっていた太とは違い、ゆっくりと時間をかけながら自分のやりたいことは何かをじっくりと悩みながらイベントを組み立てていた。

正直なところ少しイラッともした。「早くやりたいことを選んで突き進めよ」と。
ライブレポートを書くという仕事を割り振られながらも、「本当にこのイベントができるのかな」と不安にも思っていた。

でも、イベントはフタを開けてみれば結構お客さんが入っていたし、何より羽田くんが緊張しながらもニコニコと笑ってアーティストを見ている姿にはグッとくるものがあった。いつも通り冷静かつ温和な太と、誰よりもニコニコしている羽田くんがそこにいて、アーティストに当たった照明の光が反射して2人の笑顔を包むと、絵になっているなと思った。

当時はわからなかったが、羽田くんは実直な人なのだ。自分の感情をとっても大事にしながら、決して奢ることもなく、焦る様子もあまり見せない。
楽しさをマイペースに突き詰めながら、100%の笑顔を携えているのだ。

羽田くんに久しぶりに会い、「やってみたいことをやってみよう」という言葉を通して、ようやく彼の本当の魅力がわかった。
私は、自分が生き急いでいる姿を少し恥じた。それを言っても羽田くんは「そんなことないでしょ、環たんは」って笑ってくれるだろうから、言わなかった。

それからは羽田くんと一緒に、夢もパートナーとの生活も、全てを包み隠すことなく話すことができた。速度が遅いと思っていた羽田くんは、誰よりも実直に生きていた。その心地よさを感じた。

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「カネコアヤノがさ、本当にめちゃくちゃいいんだよね」
最近ハマっている音楽の話になると、羽田くんは真っ直ぐに私を見つめいった。
私はカネコアヤノがあまり得意ではなかった。アクの強い歌声に疲れてしまうことがあり、聴き込むことはなかった。

羽田くんはつづける。
「YouTubeのLiveでさ、祝日って曲を歌っているやつがあるのね、それで心をつかまれちゃって、ずっと聞いてるわ」
カネコアヤノを好きになったのがCD音源ではなくて、Live音源というのがまた羽田くんらしくて心に残り、聞いてみようと思った。

ほろ酔いで解散して電車に乗り込んだ。
すぐに羽田くんからLINEで送られてきたyoutubeのURLにアクセスして、カネコアヤノの祝日を聞いた。

お腹が痛くなったら手当てをしてあげる
嫌われないように毎日 不安にならないようにしている
(中略)
飽きないな
若気の至りか気持ちの問題か
あとは抱き合って確かめて

カネコアヤノの芯の通った声が、羽田くんの実直さと繋がった気がした。
羽田くんがくれたカネコアヤノの「祝日」は、1日をしっかりと締め括り、いい日だったなと思わせてくれたのだった。


羽田くんがくれた「祝日」は、祝日のない10月に向けてくれた安らぎだったのだと思う。
彼のまっすぐさに背中を押されたなと思った頃、10月が始まった。

<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(美香談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月





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