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平穏な毎日はきらめく

理由はわからないが、怯えていた。誰にも言わずじっと耐えてきたという意識がある。
それは何か。
私は、平穏な毎日というのがとても怖かった。
体が動かなくなったり、意識が飛んだりすることと同じように「平穏な毎日」が怖い。
しかし、この考えの根本がわかり、恐怖心がようやく和らいできた。

ある休日、これまで何度も読もうと思っていた小説を読んだ。
小説は、太が20代のバイブルだと言っていた西加奈子「サラバ!」だ。
主人公の追体験をし、登場人物に怒り、出てくる言葉に刺された。
読み終えると外が暗くなっていた。

昔だったら、読み終えて暗くなっていたら、その日を嫌になっていたと思う。
本は大好きだ。ただ、誰かとのコミュニケーションツールになることは少なく、どこか「コスパの悪い趣味」のような意識があった。
それよりも人と一緒に出かけたり、スポーツをしたり、仕事をしていた方が刺激的で、充実しているのだと感じていた。
また、本や音楽は作品として変わることがなく、それならば今は、何が起こるか分からない”人と遊ぶ・学ぶ・仕事をすること”を優先した方がいいと感じていた。

この考え方が変わったのは、意外にも自分の体力が衰えたことがきっかけだった。
20代までの私は体力があった。いいや、有り余っていた。
例えば1日のスケジュール。
朝9時から同級生と電話をしながら家を掃除、友達とランチを食べ、昼過ぎから違う友達と映画を見に行き、夜はまた別の人と飲み会、夜22時くらいから他の人たちの飲み会に合流、みたいな休日を過ごしていた。
平日も1~2時間の残業を終えたら飲みに行き、日付が変わった頃に帰宅するみたいなことを週4日くらいやっていたりした。

今でも気を抜くとそうやって予定を詰め込みすぎてしまうのだが、最近は過密スケジュールを渡り歩いていくと眠気がきたり、体調を崩したりする。
そうすると楽しいはずである人と会う時間も楽しくない。
さらに、コロナの影響でそのような生活ができなくなり、遊んでいた時間の多くを仕事に振り分けたりして、生活がよりつまらなくなった。

こういう生活をして体調を崩した時に、いつも聴いている音楽をじっくり聴いたら心が軽くなることがあった。
予定をキャンセルして空いた時間に、小説を読んだら涙が出た。
飲み会をやめて、外を歩いていたらお気に入りの公園を見つけたりした。

自分一人で見つけた音楽や小説、場所が自分の支えになった。
仕事で嫌になったときに、カネコアヤノの音楽が背中を押した。孤独を感じたときに小説「スロウハイツの神様」の登場人物たちが本の中にはいてくれた。友達と意見がすれ違ったときに、公園で感じた風が気持ちを少し軽くしてくれた。
人と一緒にいた楽しい思い出だけじゃなくて、一人で楽しんだ言葉も音も風景も、自分を支えてくれるものだと気づくことができた。

これまでの自分を振り返ると、他人から見られた時のことを強く意識していたのだと思う。
「環っていつも楽しそうだよね」「いつも忙しいよね」というのが最大の褒め言葉だと思い、毎日を過ごしていた。
人とたくさん会い、ニコニコと笑っている写真がSNSに多く載っているのが自分らしいのだと思っていた。
だから、"何もなかった日"が嫌だったのだと思う。

だけど、誰のための人生なのか。
そんなことを平穏な毎日に気付かされたような気がする。
音楽を聴いて染み入って、過去を振り返って、明日を夢見ることが大きな満足感になるのだということを。
小説の世界に迷い込んで、一緒になって悩んだり考えたりしていていいじゃないかと。
誰にも見せない、自分だけの宝物があっていいじゃないかと。
そうやって思えるようになったのだ。

人と会うことも好きだ。
でも自分だけの贅沢な時間の過ごし方も覚えた。
平穏な毎日とは、刺激がない日々のことではなく、いろいろなきらめきが溢れている時間だ。毎日のきらめきを自分で見つけ、胸にしまう時間でもあるのだ。

自分だけがみつけたきらめきを愛そう。
そしてそれを誰かに打ち明けてみたりするのも面白いかもしれない。
平穏な毎日を自信を持って続けていこう。


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