ゲームのように楽しい勉強とは(1)
これまで、ゲームの楽しさ、遊びの定義などを見てきました。ゲームや遊びは楽しい、でも勉強は楽しくない、と思ってしまう子供が多いのは勉強にはゲームや遊びにはある楽しさが欠けているからです。
まずは、カイヨワの遊びの定義を元にして勉強を遊びのように感じるための条件を挙げていきます。カイヨワの遊びの定義は以下の通りです。
①自由な活動 遊戯者がそれを強制されない。
②隔離された活動 あらかじめ空間、時間が決められている。
③未確定の活動 先の展開が決まっていたり結果が分かっていてはならない。
④非生産的活動 遊びの結果によって現実の財産の移動がない。
⑤規則のある活動 ルールがあり、それに従って行う。
⑥虚構の活動 日常と比較して明確に非日常であるという認識のもとに行う。
①子供が勉強を強制されない。②その勉強の出来、不出来によって子供への扱いが変わらない。③答えがひとつではない。④勉強の結果によって現実世界で物理的な益が直接発生しない。⑤勉強への取り組みに対して一貫性があり、親の気分によって指導方法が変わらない。
場合によっては①からすでに難しいと感じる人もいるかもしれません。「勉強しなさい」と言った時点でそれば遊びのように面白くならないのです。ではどのように勉強を促すべきか。まずは親自身がその勉強の面白さを知る必要があります。親も面白くないと思っている活動に子供が、興味関心を持つのは難しいためです。
②は成績が良ければ扱いがよくなる、悪ければ不機嫌になるというようなことがあると、子供は自分の扱いは成績によって変わるというように認識するでしょう。子供は自立するまで親の庇護を受けないわけにいかない為、生きるために成績を上げようとします。これは以前話をした生存のための活動であり、脳内ではアドレナリンがでる活動です。アドレナリンは「闘争か逃走か」を促す脳内物質と言われています。本人が勉強に別の楽しみを見つけない限り、勉強が遊びのように楽しくなることはないでしょう。
③についてですが、算数の計算のような論理的な問題や、国語の漢字のように約束事として決まっているもの以外については、いくつも答えがあるのが自然です。社会を見渡してみれば、課題や問題の解決策がわからない、決まっていない、一つでない事ばかりです。
しかし、多くの人が問題があれば何か答えがひとつあると感じてしまいます。それはこれまでそのやりかたでうまくいった、という前例主義か、学校では一つの問題にひとつの答えが用意されている、という経験からくる認識です。前例が間違っていないこともありますが、環境や状況が変わればその答えが最適ではなくなることも多々あります。「このゲームはこのようにすれば勝てる」「この遊びはこのようにしていれば親が褒めてくれる」というような固定化した遊びはすぐに飽きがくるでしょう。
もちろん複雑な問題を解決するための道具として学ぶ必要がある基礎知識はたくさんあります。特に小学校の段階ではより高度な勉強をするための道具になるものが多いため、どうしてもそれらを習得し、暗記すること=勉強のように感じてしまうこともあるかもしれません。しかしそれらを勉強することはより高度な問題を解決するための道具であることをどこかで気づかせ、自分の頭で考える学習に切り替えていくことが大切です。それが勉強を遊びのように楽しくする要素の一つになります。
少し長くなりましたので、続きは次回にお話しします。
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