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『いつか王子駅で』堀江敏幸

語り手である<私>の、
どこまでも自由に広がっていくイメージを
一緒に辿っていくのが心地良かったです。

何気ない会話、
読んでいた小説の一節、
目に映ったものが
過去の記憶と繋がり、
<私>の頭の中でゆったりと静かにふくらんでいくーー。

昇り龍の正吉さん、
居酒屋「かおり」の女将さん、
大家さんとその娘の咲ちゃんなど、
魅力的な人たちとの会話も楽しく読みました。

王子駅を後にする女将さんの姿、
咲ちゃんの走る姿を思い浮かべながら、
私は二度と戻らない時間の中を生きているのだと、
唐突に思いました。

もう少しだけ、<私>の日常を、
正吉さんの姿を、咲ちゃんの成長を、見ていたかったです。
読み終わるのが惜しい小説でした。

ゴンドラはたったひとりの客を乗せてまわるにはもったいないくらいたっぷり時間をかけて、私の視界を心地よくゆがめていった。小さなガラス窓の枠に収まる建物が刻々と変わり、それに応じて光も移ろう。しかしそれがどれほどゆるやかな動きであっても物ごとを深くつきつめて考えるにはあまりに短い時間だった。今晩の夕食をどうするかさえ思いつかないうちに観覧車は一周し終えて私はゴンドラから吐き出され、つい先ほどまで自分が漂っていた中空のいちばん高いところで制止しているピンク色の函が複雑な色合いに変化するさまを、階段の下から呆然と眺めるほかなかった。

157-158p


『いつか王子駅で』
堀江敏幸
新潮社
2001.6

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