私のカウンセリング議事録📝
私は今カウンセリングを受けている。
”家族が原因”の『適応障害』として治療を受けている。
周りの治療者は私は回復しているという。
だけど渦中の私は何が治ることなのか、そもそも私のどこが治せる症状なのかも把握できていない。
Gooleに私のことを表現してくれるサイトがあるか探す。
断片的には見つけるけれど、具体的に私がどうすべきで、仲間になれる私のような人がどこにいるのかはわからない。
治療というのは一種過酷でしんどく、そして貴重な経験だと思う。
私はこの記録を残すことで、私が欲しいと今も思っているものを残していこうと思う。
治療を受ける人の勇気、理解と支援、友人への代弁、そして、
居場所になればと。
1、私の日々の症状
(1)自己暗示にかかる。
もともと家族との関係はうまくいっていなかった。
家族が全員精神障害だと診断されたのは18歳の時だった。私はその時が原因で家族に対して多大なストレスを感じていると思っていたが、今思うのは診断される前から家族はおかしかった。
普段表出する70%くらいの健康な家族の顔の中にある、30%の病んでいる部分は幼い自分にとって強烈さがあった。
精神病だと家族が診断されてからは家族の病的な部分の濃度が80%くらいになったのかもしれない。
私の20代は残りの20%にしがみついて、普通の家族を渇望していた。
父はアスペルガー症候群(診断は受けていないが、弟や母の主治医がそうだろうということを匂わせていた)
そして、うつ病だったらしい(本人曰く、私が10代の時は毎日死にたいと思って、仕事もこっそり休んでいたと)
家族全員が診断を受けたとき、父も病院に行き、うつ病の薬を処方された。
それを半年くらい飲んでいたら治ったと本人は言うのだ。
まるで自作自演のように思えるストーリーだけど、すべてが「まぁ、アスペだから」といえば納得した気分になる。
母と姉は『躁うつ病』と診断された。
これが強烈だ。
まず私に対する嫉妬。
躁転したときの罵詈雑言の恐怖が私のカウンセリングの主題の一つだ。
私が立っているだけで「お前は健康なのを見せびらかして生きている」といわれる。
例えばそのことにショックを受けて母に「姉にそう言われちゃって・・」と落ち込んで言うと、母が「姉の言いたいことはわかる。あんたって見てるだけで苛たせるところがあるのよね」とかぶさってくる。
それをさらに父に聞くと「まぁ、そんなことで傷つかず、この賢いお父さんみたいにおおらかに生きればいいじゃない。お前は落ち込んで病気のふりでもしてみんなにかまってほしいのか?」となる。
私は純粋な人間で、すべてをうのみにしてしまう性格の持ち主だった。
だから家族に3重掛けで言われてしまうと、思っていることと違っても「そうか、私は病気の家族に自分は健康だと見せびらかして生きているヤな奴なのだ」「私は病気のふりをして家族に甘えようとしている面倒な娘なのだ」と自己暗示にどんどんかかっていった。
そして残念なことに、この自己暗示を解けるまともな家族は私にはいなかった。そしてそれでも私はこの家族を愛していた。愛したいと思っていた。
(2)死にたいと思う。
生きることにしんどさというのは常に感じていた。
けど、自分を奮い立たせるように「死にたいな」と口癖で言うようになったのはたぶん5年前、2018年32歳くらいではないかと思っている。
私の面倒なところだけど、死にたいというからといって本気で死にたいわけではないのだ。
ただ「死にたい」ということで、自分が「死にたいくらいつらい」といっていることを私は知っていると自分を励ましているのが始まりだったように感じる。
To be continued・・・
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