見出し画像

野良猫はSNSに肯定も否定も求めていない。

私は自分を野良猫系SNSユーザーだと名付け、自己分析している。野良猫系SNSユーザーとは、まさに野良猫のようにきままにSNSに現れてはそこにいる人と戯れ、好きなことをして、暫く現れないと思いきやまた現れる、きまぐれなユーザーのことである。フォロワー○○○○○人突破目指してます、とかおは○○(独自の挨拶)!今日もいいねよろしく♪といったいつでも構って欲しい飼い犬系ユーザーなどとは属性が大きく異なる。野良猫系ユーザーは、特にいいねの数やフォロワー数にこだわりがなく、いつも注目されたい訳でもない。褒められるつもりもないし、否定されるなんて恐ろしいことも望まない。そうされたらむしろ、離れていく。SNS上の自由(好きなように発信すること、好きなものを受信することの自由)をただ愛し、居心地の良さを感じている。

この記事では野良猫系ユーザーである私にとって居心地がよいSNSリプは何かを考えてみた。素直じゃないとか、心が貧相とか、感じるところがあるかもしれない。気を悪くされたら謝ります。実際を元にしているが脚色しているため、フィクションとしてお楽しみいただけたら何より。エポケーという考え方を軸に紹介する。

画像1

野良猫系ユーザーは、「エポケー」の姿勢を好む。エポケーとは?簡単に言ったらポケ〜(  ' -' )としてることだ。もうちょっと適当に言えば「思考や判断を留保・停止する」哲学のひとつ。SNSにおけるエポケーとは、ある書き込みに対して否定も肯定も判断せず、ただ受け入れて本質を見ようとすることである。この人はリプに応援されたい?他者の意見を求めてる?そのリプが必要かどうかすら立ち止まることもエポケーだ。いわゆるクソリプになるかどうかも、エポケーができない人にありがちな事だと思う。

例えばこんななんともないツイート。

画像2

個人の日記的なツイートで特定の誰かに伝えたいわけでもなく、これといった感情もない、平和なツイートだとする。

エポケーができる人の例。

画像3

「述べたいことは1番最後にある」という日本語の言語的な性質を考慮し、出来事ではなく予定に注目しているのが上手くいっている。

では、エポケーが出来ない人は何と返すだろうか。

画像4

一見ツイ主を肯定しているように見えるが、野良猫系ユーザーは喜ばない。不味いのは「何もしなかった」という事実に独自の判断で善し悪しをつけているところ。俺太郎(仮)は無意識に「何もしない日は悪い」と思っている割には俺はそんな世間とは違うぜ、と見栄を張ってしまっている。ツイ主は何もしなかった事実に対しての感情はもう消えていて、そんなことより明日する予定だけ考えていたので違和感を感じる。

その他のエポケーができた人のリプ例。

画像5

捉える気持ちによっては、勤労命助(きんろう いのちすけ)(仮)の書き込みはお互いのライフスタイルの比較が鮮明な為、嫌味を感じるかもしれない。しかし野良猫系ユーザーは自分のテリトリーと他人のテリトリーに関してハッキリしているため、お互いの近況報告として捉えることが出来る。まずしっかりツイ主の状況を受け止めていて、その後自己分析を述べただけなので無害である。

ではエポケーが出来ていない例を2つ。

画像6

一見すると良いリプに見えるだろうか。しかしエポケーが全く出来ていないのもおわかりかと思う。ツイ主は確かにのんびりと一日を過ごしたが、そもそも次の日に頑張りたいのかどうか考えて欲しい。「頑張って・頑張れ・頑張ろう」はしばしば気をつけた方がいい掛け声だ。ツイ主が何を頑張り、どんな生活を送っているか知りもせず、「頑張ろう」なんて声をかけて嬉しいと思うかどうか。応援支男(おうえん しお)(仮)は、結局のところ、彼自身が応援されたいし頑張りたいのである。

画像7

自分がこのリプを受け取ったらどう思うだろうか。ポエム系はユーザー同士の同胞意識があってこそ華があるもの。これに良い気分を感じるかどうかはハッキリ分かれるところだと思う。私にとってはかなりの脅威である。そもそも、わざわざこのツイにリプすることだろうか、と悩むからだ。エポケー出来ているようで本質出来ていない。わざわざリプしてまで伝えたかった言葉は、なんだろうか。こちらが思考停止してしまうのである。そうなると返しにくいし、また絡まれると思うと気が重い。どうかそっとしてほしい。

野良猫系ユーザーにも色々いる。あくまで私は、という視点でエポケーのあるリプ、エポケーの無いリプを考えてみた。人はリプに何を求めるのだろうか。ひとつに絞られた答えはないが、何か感じるものがあれば嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?