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『アメリカン・ユートピア』(映画)の選曲意図、David Byrneだからこその説得力を紐解く

David Byrne(デヴィッド・バーン)、Spike Lee(スパイク・リー)によるライブフィルム『American Utopia』(アメリカン・ユートピア)が、最高で素晴らしかった。評価は満点。自分はTalking Headsが大好きな身として観てきたが、そういうひとはもう是非とも目撃してほしい。1983年の傑作『Stop Making Sense』(以下、時々『SMS』)との演出の違いやセルフオマージュも存分に楽しめるだろう。

バーンについてよく知らない方も、下の30秒のスポットにて、面白そうな画があるなぁと感じられたなら鑑賞を心からオススメしたい。基本的に本作は「創意工夫の凝らされたアートなライブパフォーマンス」の記録映像だ。宣伝文句の「目も眩むほどの幸福と感動」を期待して身構えるより、流れていく映像や動き、音楽、言葉。もろもろをただ眺めて受け取るのが良いと思う。

最近、年間ベストにも書いたけれど、BUCK-TICKやスピッツ、B'zにGRAPEVINEと、"大ベテランが自身のキャリアをふまえてこの現状に対峙した時の表現の強さ"に感じいることが多い。『American Utopia』にはバーンの40年にわたる音楽活動の積み重ね、その足取りと歴史が現代の正鵠を射抜く、そんな表現のタフさがある。そして、ライブを気軽に観にいけない今、あの感覚がグッと恋しくなるような時間が納められている。まさに2021年にこそ見たい作品になっていた。

今回は鑑賞後のメモ書きとして、David Byrneの歌詞の面白さ、そのキャリア、そこからくる本作のメッセージの説得力を書きだす。もしセットリストを気にしたり、初回をフラットに観たい方はココで戻ってほしい。とはいえ展開を知ったからどうって作品でもないし、いろんな視点(曲)が複雑に入り組んだ(しかしシンプルな)ステージなので、鑑賞前・後どちらでも、何かしらのガイドや振り返りになったりすれば幸いです。


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David Byrneのキャリアと、選曲の意図

見どころは数多いが、個人的には、"舞台劇のMCによってガイドラインを示されながら、字幕翻訳によって歌の意味が日本語でダイレクトに伝わる映像体験"をもって、バーンの「歌詞」の魅力に改めて驚かされた。

もともと、往年の代表曲「Psycho Killer」では、突然フランス語を持ち込んで「qu’est-ce que c’est?」、そして非言語スキャットで「Fa Fa Fa...」とフックに据えたひとだ。"エレキギターが車に轢かれて裁判が始まる"曲があったり、最新作では「カメラかハガキになりたいんだ 君を僕の家に歓迎するよ」と『ナイトクローラー』的な怖さもみせてきたり。

バーンの歌詞には、広い視野と、ユーモラスな視座がある。劇中曲をいくつか書き出しながらその辺も追ってみたい。

本編に入ろう。

■Here

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公式サイトより

脳ミソ片手に登場していきなり「脳のこの部分はほとんど使われていない、脳のこの部分は……」と科学の講義のように語り歌いだすバーン。一切時代に置いていかれることのない立体的な音像※1もそうだが、御年70近いミュージシャンが提示するこの新鮮なビジュアルイメージにまず唸る。このオープニングにはなにか特別な「予感」がある。

この歌い出しは「ヒトは大人になるにつれて脳神経の繋がりがへっていく」という実験結果の話に結ばれ、「人間はどんどん愚かになっていくのか?」という問いから劇は始まる。


相変わらず面白いインスピレーションだ。彼の歌詞は元々、ポップス的なラブソング、イケイケなロックでもパンクでもなく、かといってカントリーやブルーズとも微妙に異なる語り口を持っていた。その個性は初期の楽曲に既に表れている。


■Don't Worry About The Goverment

2018年の『American Utopia』から40年(!)さかのぼって1977年のデビュー作の1曲だ。70年代ニューヨーク伝説のライブハウス「CBGB」出身のBIG 4、Ramones、Patti Smith、Television、そしてTalking Heads。彼らはニューヨーク・パンクスの代表バンドと扱われたが、この曲を聴いて、「パンク」とはなんだろう?MM誌※2が本作の立ち位置を端的に捉えている。

「これがパンクとカテゴライズされ、あまつさえジャンルを代表するような作品と捉えられたことそれ自体にこそ、ニューヨーク・パンクの転倒とクールがある」
(柴崎裕二)

この曲の歌詞が描いているものは、平たくいえば「都会のサラリーマンが語る自身の生活」である。そしてロックリスナーとしては驚くことに、主人公にはいっさいの不満や憂鬱、反抗心がない。主人公はただ都会の生活の豊かさを綴り、公務員と街をたたえる。"黄昏の街を背に"も、"見えない敵にマシンガンをぶっ放"そうとする気もない。これは言うなればSex Pistolsが掲げた「Anarchy in the U.K.」のようなパンク・メッセージとは真逆なワケで、先のレビューのとおり、その"転倒"すらNYは「これもパンクだ」と広く捉えたのだ。Talking Headsはある種の「オルタナティヴ」だった。

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そんな主人公が歌う「Don't you worry about me(ぼくのことは心配しないで)」のリフレインと、その"me"を"Government"に転じてのタイトル「政府のことは心配しないで」。そこにバーンの知性が浮かびあがっている。政府(me = goverment)が理想とする無抵抗な社会図……40年前の曲ながら、アメリカン・ユートピアに相応しいスタートだ。

「building」を豊かさのキーワードにすえた本曲に対して、人が行き交う様を上から立体的なアングルで映し出したスパイク・リーのセンスも素晴らしい。この時点で、先の予感は「確信」に変わっていく気配を覚える。

■I Zimbra

つぎは79年の3rd『Fear of Music』から。「I Zimbra」は、盟友Brian Eno、King CrimsonのRobert Frippとともに、アフリカ音楽への傾倒を示した重要曲だ。積極的に外部ミュージシャンを取り込み、グローバルな音楽に目を向ける。今に連なるバーンの創作スタンスを打ち出した代表曲である。

「ダダイスム」のピックアップも見過ごせない。劇中では「第一次世界大戦や世界恐慌による不安や緊張に対する抵抗」としており、ナンセンス詩を歌いあげることで逆説的に「ひとりひとりを理解すること」を訴えかけてくる。時系列的にはすこしズレる5th収録曲「Slippery People」のスキャットがこの文脈に連ねることでハイライトとなる曲順にも唸らされる。

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■Once in a Lifetime

そして80年の代表作『Remain in Light』から代表曲の登場。歌唱というより演説じみたフック、ユニークすぎるバーンの動き※3による名MVも相まって、パロディ的にも非常に高い知名度を誇る(『SMS』で見せたあの"後屈"も再演!)。

主人公は、ふと「You may find yourself...」と夢想、「You may ask yourself...」と自問し、突然「これは僕の家じゃないんじゃないか?」と言いだす。漠然とリアリティに欠ける暮らし。現実を生きている気が何となくしない、生への不感症のような受動的人生。それを"水の流れ"になぞらえて表現している。驚くことに、発表40年たった今その感覚はよりリアルだ。『パラサイト』じゃないが、先の「Slippery People」で歌った「愛は下から上へ」に対して、「水は地下へ」と歌われているのもうまい配置だ。

ポリリズムのゆれ動くシーケンスに日常への違和感をぶつけたそのアイデア、やはりハズせない名曲、代表曲。

■Born Under Punches (The Heat Goes On)

その流れにこの曲がある。「録音じゃなく生でやっている」の号令から始まるその演奏。ひとりひとりがリズムを作り、全員でミュージックとなるその様には、先の「Once in a Lifetime」の受動的な姿勢と真逆の、能動的なエネルギーが表現されていることが、視覚的にも強く伝わってくる。

さて、ここまでの曲目には、St. Vincent嬢やFatboy Slimという予測不能なコラボ曲などが含んでいる。バーンが取り上げる"ひとり"の多様さ、"積極的に関わる姿勢"がここに集約し熱を帯びている、そんな説得力が確かにある。

収録作『Remain in Light』は「ポリリズム」を音楽的キーワードを並べられる作品だ。手法に対しての言葉遊びをすれば、それは"ひとりひとりが独立し、(だけど)全体がひとつとして展開すること"、そんな表現とも捉えられるだろう。

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■Every Day Is a Miracle ~ Blind

そんな様をみたら、「毎日が奇跡」なんてこのゴスペルにも頷いてしまう。ここまで書いてきたように、セットリストの言葉尻を捉えるだけでも、本作は色んな意味でかなり"スキのない"構成をしている。誰もがバーンの力強く普遍的なメッセージに納得し頷くだろう。

そんな中で「Blind」は、Talking Headsでも印象の薄い最終作『Naked』('88)のオープナーだ。この曲が選ばれた理由はなんだろう?

これは本作の弱点といえなくもない、「閉塞的な安全圏から世界平和を説く」ような佇まいの自己批判じゃないかと思う。もちろん言いがかりに近い批判だ。ただ、仮にものすごい悪意と表層的な敵意をもって言えば、「金に不足なく毎日の生活にも余裕ある老いた白人男性であるバーン」の高尚で正しいメッセージが、このユートピア(劇場)の外へも素直に響くかと言えば、疑問は確かにあるし、それは自分の素直な直感でもある。

犯罪的な状況に対して「盲目(見えていない)」と叫ぶ本曲は、そんな自己批判じゃないかと。本人に何一つ落ち度はないが、今の地位・名声とも満ち足りたバーンがここに説得力を持つのは現実的に難しいだろう。

■Hell You Talmbout

しかし、だからここで、監督Spike Leeが活きてくる。Janelle Monáeが手掛けた、権力によるアフロ・アメリカンの死亡事件へのプロテスト・ソングのカバー。「白人男性の自分が歌ってもいいだろうか」と本人に確認したのは、バーン自身が先のような自己認識をもっている表れだろう。

スパイク・リーはこれまでのリズミカルな演出とは真逆に、ここではただ無骨に、直接的に、被害者の親族の映像を観客に叩きつける。この編集には「盲目」になりようがない

ひとつ付け足すなら、このカバーに他のセットリストと音楽的な違和感がまったくないこと、その意義が深いことをしっかり書いておきたい。それはバーンのキャリアーー多国籍の音にリスペクトを拡げてきた長きにわたる歩み――があってこそのものである。そのメッセージは決して付け焼き刃などではないのだ。

■One Fine Day ~ Road to Nowhere

だから最後の、「いつか」と「途中」をうたうエンディングには静かで確信めいた感動が宿っている。

40年以上にわたる一個人のキャリアの各曲のメッセージが見事に折り重なっていく様。ひとりが歩んできた長い道程の説得力を強く感じるのだ。

"ヒト"ひとりの脳神経の繋がりは失われていく。でも個人と他者の繋がりは広げて行くことができる。そんな素敵な帰結だ。

「”It's alright"をどう歌えるかがポップ(ロック)・ミュージックのすべて 」というのはどこかで聞いた言葉だけど、正にそうである。まぁ理屈はともかく「Road to Nowhere」が名曲すぎるのである。これで終われるのはズルいよ。泣ける。


『American Utopia』というメッセージの説得力

最後は劇中とEDで2回流れる「Everybody's Coming to My House」についての話で締めよう。印象的なコーラス、「みんなが僕の家にやってくる 孤独になることは決してない 彼らが家に帰ることなんてない」はどう感じるだろう?個人的には"居心地の悪い空間"、あるいは"SNS中毒"をイメージしてしまう。

バーンも「自分が歌うとネガティヴな意味合いになる」と語り、子供に歌わせたものに「ポジティヴに聴こえる、僕もそう歌いたい」と続ける。彼は底抜けに明るいひとではないだろう。舞台を降りて外に出たバーンを大勢の歓迎が襲うシーンのあと、わざわざ同曲を流すのにも、ポジティヴな兆しだけじゃないちょっとした皮肉や悪意を感じる。

ただ。

ただ、だ。そんな人が、人生を通して、大真面目に多文化を理解し歩み寄っていく試みを続け、70歳間近にこんな舞台を作りあげてまで新しい表現を届けている所に、感じずにはいられなかった。このセットリストとステージはバーンが行ってきた表現活動の歴史そのものだ。改めて、だからこそ「Road to Nowhere」の「進んでいる途中」という説得力がすごい。

架空のユートピアを思い描くこと。それは現実逃避でも、夢想に没頭するためでもなくて、進む方向を決めるための標だ。バーンは本作でもって、ユートピアへの一歩を踏みだした。そして世界にその方向を、音楽の素晴らしさとともに示した。

ほかにも書きたいけど省こう※4。書いてきたとおり、まず曲目の連なりとメッセージに「なんてよくできた構図だ」と唸るんだけども、何よりもこの映画の本当に良いなと思うところは、音のバイブスがとにかく素敵で、表現の可能性を心から感じさせてくれるところだ。楽しくて面白い、そして考えさせる刺激がある。

最期に、パンフレットでも紹介されている、バーンの取り組みを紹介して終わりたい。「世界にとっての良いニュース」を取り上げるサイトである。その先にユートピアがあると信じること、信じさせること、そこに向かっていくこと。バーンの、世界の、ひとりひとりの旅はまだまだ続く。

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引用や注釈など
※1. 音への貢献者たちについては『American Utopia』国内盤ライナーノーツに詳しい。
※2. ミュージックマガジン2021年5月号
※3. もちろんその動きには幾多のオマージュが潜んでいる。調べてみよう!
※4. 「This Must Be the Place (Naive Melody)」はガチ名曲。バーンの描く安らぎの最終地点はココにある。単純に曲の良さと、「ここが帰るべき場所」の題に<ナイーヴ・メロディ>とカッコ書きしておくこと!その魅力はまたいつか。

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関連作など

■Talking Heads『Stop Making Sense』
『American Utopia』がメッセージの明確な「スマートで幾何学的なアート」なら、『SMS』は肉体的なエネルギーに満ちていて、意味の分からない動作に意味も分からないまま圧倒される「ワイルドで直感的なアート」。大名作。

■David Byrne『Uh-Oh』('92)
Talking Heads解散後、バーンのソロ本格始動作。ニューウェーヴのケレン味の効いた、良い意味でのエセ多国籍感が詰まった痛快なポップ・アルバム。グランジ響く1992年によりも今聴くのがイケてる。

■Kidjo, Angelique『Remain in Light』('18)
バーンのソロ作に「エセ」と書いたので、じゃあ「本物」はといえば多分コレになる。タイトルまさに、30年へての南アフリカからの全曲ガチカバー作。面子もすごいが、聴けばとにかくヤバさが分かる。ただ自分はここで、ニューウェーヴの皮で「エセ」を纏ってオリジナリティを獲得したTalking Heads版の魅力も再確認したりする。ともあれ必聴。

■Arto Lindsay『Cuidado Madame』('17)
バーンが多国籍に音を広げてコラボを繰り返すのには、ブラジルのレジェンドにしてオルタナティヴの師、Caetano Velosoの影響がある。そこで同世代に並ぶのがアート・リンゼイ。その道筋はバーン同様にかなりイマに響くものがある。締めはこの人で!


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