「I don't know」とは ライブ感想 FANCLUB (NUMBER GIRL / eastern youth) 22/05/08 @日比谷野外音楽堂
ライブを観にいきました。出演バンドはNUMBER GIRLとeastern youth、場所は日比谷野音、時は2022年……ホントに2022年なのか!?今回はそのライブ感想、そして『I don't know』名曲では……って日記です。
今回は鮮度を第一に、配信で振りかえる前に一気に書きだしました。なので記憶違いあるかも。あと、自分は後追いです。
会場入り前
Number Girlが再結成したのももう3年前(!)の2019年2月。そこからこの日に至るまで……当選した「RISING SUN '19」が台風で中止となり。その後の「逆噴射バンド」ツアーに全て落選し。追加発表の Zepp Tokyo公演に当選し!コロナで公開延期後、消滅。フェスならフジかライジングが良かったからひたすら単発ライブに応募するも、落選、落選……そして!3年越しついに当選し無事開催にこぎつけた。ここまで長かった。長かったマジで……。
その間はずっと配信でライブを観てました。最初の野音配信で感じたのは、「向井秀徳の喉がイマイチ」と「演奏が進むにつれて明らかにバンドの調子が良くなってる」こと。後者の感覚が本当にうれしくて、これは絶対観たいなと。つづくフジロックの配信の呟きはこちら、Number Girl / Zazen Boysの対バン配信の記録はこちらに残ってます。感じたのは「向井秀徳がナンバガに合わせて発声を取り戻そうと努力してるのが伝わってきた」こと。コレも凄くうれしかった。あとはZazen boysがホントに素晴らしくて久々に単独にいって。この2配信があったからここまで熱を保ってられた。
そして今回、イースタンユースとナンバーガールの対バン!この企画自体が歴史深く、この2組が共演すること――2022年に!その意義はよく理解る。かみしめながら野音へ向かいました。
物販の列はかなりエグかったですが、会場限定販売(許せねぇよ)の『記録シリーズ』とTシャツも無事ゲット。席はなんと最前3つ手前。ギター側に座ってました。
もうすぐ開演。
eastern youth
■開演前
こうした記事を読むと改めて年月の重みを感じる。2019年7月の記事ですが、今読みなおすのにちょうど良いです。
自分はと言えば、思春期にナンバガ、bloodthirsty butchers、Cowpers……まで来ていたのにeastern youthはそこまで聴いてませんでした。好きになるはず、語弊あるけど「好きにならなければいけない」くらいなのに、当時は何かがシックリきていなかった。今回ライブを観る前に、『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』『雲射抜ケ声』『感受性応答セヨ』の00年前後作、最新作『2020』、Spotifyの人気曲を聴きなおして、滅茶苦茶カッコよかった。文脈やルーツ的に絶対自分が好きになるはずなのにピンと来てなかったものが年月を経てピンと来た時、なんだか凄く嬉しくなります。音楽性は違いますが、録音からはThe Pillowsの同年代作の並走も感じられて熱かった。
■ライブ
ライブもぶっ飛ばされる素晴らしさだった。今まで見てきたスリーピースでも最大級のサウンドスケール。ディレイもあるけど、それ以上に歪みによる「爆音」って巨大さ。カッコイイというか、ひたすら真摯な迫力、凄み。そもそも野外で爆音を浴びるのが久々すぎて、ワッとバンド演奏の音を受けた瞬間に感じ入ってしまった。そしてシャウトが本当にすごい。出音に対して佇まいは淡々とした田森篤哉氏、村岡ゆか氏のトライアングルも映える。特に村岡ゆかさんクールだったな……。
セットリスト的にも、聴きこみが効いてて(ナンバガの年代に合わせたのだろうか)ほとんどわかった。熱かったのは「向井秀徳君とは付き合いが長くて……」のMCから放たれた『地下室の喧騒』!これは共鳴というべき曲なんで、この対バンで聴けて良かった。「暴力に憧れるのやめないですか」「暴力で戦うな 暴力と戦え」からの『ソンゲントジユウ』にも進行形のメッセージを感じた。
『砂塵の彼方へ』の音の絡みもたまらなかった。『夜明けの歌』も超良い曲だなと思ってたので沁みた。驚いたのが、これぶっちぎりのアンセムだな~と思ってた『沸点36℃』('07)、『街の底』('15)がどちらも結成20年以上を経ての楽曲で。すげぇ。
あらためて。たぶん思春期の自分がeastern youthをどこか受け付けなかったのは、その言葉をストレートに受け止めきれなかったからじゃないかと。それこそNumber Girl――向井秀徳とは、歌うものへの距離感と語りかけ方が違う。当時は迂回した表現しか受け止められなくて、この実直さ・逞しさが、眩しかった・強すぎたのかもしれない(ペンタ的なメロディもその印象に拍車をかけた)。そして今、そうした佇まいの何たる凄みかと。カッコよかった。観れて、このタイミングで出会いなおせて良かった。この時点でこの日は満点。
NUMBER GIRL
■開演前
いまさら自語りもないけど2つだけ。まずは自分の耳を広げてくれたこと。Sonic Youth、Pixies、ハードコア、ノイズ、ブッチャーズへの導き。ギターロック、Wedding Present。空間、録音、歌メロでないバンドサウンド自体の魅力への気づき。いくらでもある。このバンドのいろんな要素が今の耳の礎になっている。曲を再生すれば景色を思い出すし、思い出にも五感にもこのバンドがいる。
そして次に、『SAPPUKEI』にライナーノーツをつけてくれたことに心から感謝したいこと。これがなかったら自分は、Flaming LipsやDave Fridmann……というかプロデューサーやレコーディングといったクレジットの重要性を認識するのがだいぶ遅れたと思う。大鷹俊一氏なのも文脈的に熱すぎるし、音楽に関する文章をちゃんと読むように、しいてはこうして10年近くブログを書いてることのキッカケのひとつだった※1。
再結成に際して、リアムタイム勢の感情図や思い出は計り知れないけれど、後追いも後追いで膨らませ続けてきたものがある。何時になく"""感情"""を抱いてのライブ。それこそ+/- 田淵ひさ子さん射守矢雄さんで「ジャックニコルソン」演った時くらいの……さっさと本編いくぞ。
■ライブ
書きたいことは沢山あるけど、書きだそうとすれば記事が完成しなくなるので抜粋で。セットリストは以下。
なまじ配信で観てただけに、目の前に現れられても現実感があまりなかった。最初の『タッチ』――「駆ける」と「転がる」を同時に叩くようなドラム、何とも言えない感情図の投影としてのテンションコード、鉛みたいなベースライン、あのとき初めてファーストアルバムを聴いた記憶※2――あぁ、アレだ。アレが目の前で鳴ってるんだ……と思いながら、正直最初は物足りなかった。今思うと前のイースタンで既に耳がやられてたのかもしれない。音の波がガッとこない。確かに今楽しいしノってもいる、でも「こんなものなのだろうか」って気持ちを抱いたまま『透明少女』までは終わってしまった。『透明少女』のイントロのツインギターのトーンの重なりは今も本当に美しかったけど、俺は打ちのめされることを期待していた。
でも『NAM-AMI-DABUTZ』で4人の演奏が聴きとれるようになって、一気に伝わってきた。ナムヘビの曲は音の隙間が多いからバンドの立体感が強く出ていて、今の自分の嗜好的に超美味しい。『CIBICCOさん』での向井のカッティングの絡みはポストパンク的だった解散ライブの演奏が最高だけど、この日はよりファンク的なアプローチで、プレイヤーとしての変化も感じた。金属的なエレキギター音。やっぱりナムヘビが一番好き。『delayed brain』はこの日イチの演奏。そうだ、ダブに興味を抱いたのもナンバガからだった……。
初期ナンバガを象徴する『日常に生きる少女』は素晴らしい演奏で、ノイズも一番キまってた。『透明少女』あたりの轟音の激流よりも静の演奏に旨味があった。配信でも凶悪だった『TATOOあり』のギターソロはおかわりしたい。『OMOIDE IN MY HEAD』は何だかんだ一番テンション上がる。自分の側はあのベースラインがあまり聴きとれなかったのだけ悔やまれる。
そしてアンコールは全部ヤバかった!『MANGA SICK』のノコギリのようなギター。田淵ひさ子さんは始まりから終わりまで9999億点。中尾氏のベースも唸りうねる。『はいから狂い』は何故か泣けてくる。不思議だ。いつの間にか心から楽しめていた。きっと自分だけじゃないと思うんだけど、この日のアンコールの空気には何か特別なものがあった。フジロックでThe Cure観てた時みたいな……。そのまま『IGGY POP FAN CLUB』にラモーンズカバー『I wanna be your boyfriend』をメドレーで終演。音楽を聴いてくうち、こういうカバーの取り上げにこそ凄く感じいるようになった。大団円!!
■『I dont' know』ナンバーガールでのSSW向井秀徳の極み
書き留めたくなったのが『I don't know』の凄み。個人的には今までそれほど印象が強くなかった。SAPPUKEI、ナムヘビまで来て改めてPixiesに帰っちゃうのかと。だけど再結成後のライブでは必ずといっていいくらい演奏している※3し、クライマックスのハイライトになっている。実際この日も、他楽曲の轟音パートのほとんどは「さて、やりますか」って様式美を感じたけど(いい音だったけど!)、『I don't know』だけは殺気がこもっていたように思う。ハードコアの残滓、青い言葉を使うと「焦燥」が残ってた。今、この曲の印象が強まった。
すこしライブから離れて。
向井秀徳の作詞はネタ的に取り上げられがちだ。実際、言葉遊びや単純に口にして気持ちいいフレーズの採用も多い。でも間違いなくこの人は「あるテーマ」について「どう歌う、表現するか」に延々と取り組んでるSSWで(変な比較だがスピッツの草野マサムネに近い)。SSW向井秀徳はネタとしてじゃなくもっと語られていい存在だと思ってる。
あるテーマ……そのひとつは『タッチ』に浮かぶ「奴らへの違和感」。その違和感は「冷凍都市」として都市にまで拡大された。一方で『TRAMPOLINE GIRL』に代表されるように"少女"は冷凍都市に凛と立つような景色だった。だけど、『黒目がちな少女』にて「すれちがう人の数 いろいろな人がいるもんだ」と歌った主人公は、「派手に転んで ぶっ倒れて 俺は初めて都市のにおいを知った」と、主人公と都市は融解した。都市側に立った――そして改めて少女を見たとき、彼女は「何かを探していた」。何を?なぜ?ここで少女は"景色”ではなくなった。『透明少女』でも、妄想を広げた『真っ昼間ガール』でもなくだ。少女は冷凍都市で何を考えていたのか?そして『MANGASICK』『性的少女』『CIBICCOさん』の問答が連なっていく……そんな風にも並べられる。
もちろん他人が何を考えているのかは根本的に知りようがない。だからこの問答の最果てに『I don't know』がある。主人公は"あの娘"について本当もウソも分からない。漫画を読んで笑って寝た、そんな表面しか分からない。断絶だ。だから叫ぶ、ノイズの中で絶唱する。でも最後の「笑って」には、「(あの娘がただ)笑って(いる)」って断絶と一緒に、「笑って」という願いもきっと込められている。断絶とともに淡い願いがある。それはグランジやオルタナ……つまり根底にあるハードコアにあった二面性で、これはNUMBER GIRLで鳴らすしかない感情だった。だからこの曲は取り上げられるんじゃないだろうか。この感情(ハードコア)はきっとZazen Boysでは鳴らしえない。ザゼンにおける向井秀徳の歌詞は、どこか孤独だ。「伝えたい」と主張はするが「笑って」と願ったりはしないし、のちの名曲『Asobi』『sabaku』にあるように、独りと寂しいがそこにある。この2バンドはコミュニケーション(表現)の仕方が異なるのだ。
何の記事だったか。ライブの話だった。
いつの間にか文体も変わっていた。
とにかく、向井秀徳の歌わんとする「あるテーマ」の最果てに『I don't know』があって、そのフィーリングを正しく表現(演奏)できるのはZazen BoysではなくNUMBER GIRLで、だからこそ再結成後のセトリに組まれるんじゃないか、そしてそれだけのものがある曲なのではないか、って話なのでした。フィッシュマンズの「ゆらめき IN THE AIR」に近い極まりがココにある。
■締め的なもの
ナンバーガールについて、「曲」を聴きたいって気持ちは今回である程度満足したかもしれない(聴きたい曲は他にも沢山あるけど、『我起立一個人』とか……)。でも単純に、「この音・演奏を生で聴きたい」のでまた観にいきたいと思えた。終演後、あまりノスタルジーな気持ちにはならなくて、それがとても嬉しかった。
望みたいのはツアー継続、そして「向井秀徳の新音源」※4。それは多分ザゼン、Kimonos、あるいは新名義、もしくはNUMBER GIRL……どれでもいい。最後に、この人の表現力に改めて感嘆したこの動画で締めようと思う。この人にしか描けないものがある。その続きを聴きたい。てか単純にバンドの録音が聴きてぇ。
改めて、eastern youthもNUMBER GIRLも素晴らしかったです。良い夜だった。。
みんな末永く。
<注釈など>
※1. 全部の音源にライナーノーツをつければ良いとは思わない。新譜ならリスナーによる自然な広がりがみたいし。だけど、例えば"再発"の際には是非ともライナーノーツをつけてほしい気持ちがある。そして再発なのに「現段階で音源が手元に届いていないが」で始まるライナーノーツを流用してる洋楽CD(稀によくある)は悔い改めて。
※2. よく覚えてます、ナンバガを再生した最初の感想。「ボーカルの音量クソちいせぇ~」。
※3.フェスでも配信でもツアーでも、ほぼ全てに近いくらいで『I don't know』を演奏している。
※4. 『排水管』を生で聴けた側の人間にはなれなかった……。やはりRSRで観るしか。