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黄金の3日間は存在するのか?


「黄金の3日間」と世間では謳われ、はじめの3回の授業は大事だと言われているようですが、私はひねくれているので
あまりそうは思いません・・・

むしろ、最初の3回だけ勢いはあって、それ以降はなくなってしまったとなると生徒からの信頼を失くしてしまうと思います。(なんや、先生は最初だけやったのか ってな具合です)

むしろ気を張りすぎず、リラックスして生徒達との授業での対話を楽しむくらいのスタンスがよいのではないでしょうか

「私は、こういう者なんやー」っていうのを語る。成功談じゃなく、失敗談をたくさん語るのが吉ですよね!

ところで、人間が習慣を身につけるまでには(諸説ありますが・・・)21日かかるんだそうです。
たしかに、そのうちの3日間が黄金の期間だとすれば大切な期間かもしれませんね。

係の仕事、委員会での役割、ノート記入、朝読書、予習復習などなど
色々なタスクをこなしている子どもたちが多いですが、まだ4月の段階は新しい学年学級で自分なりの習慣を身につけることとなると思います。

しかし、私はどうもこの期間にクラスや学年で決めようとしている規則やルールなどには疑問が浮かびます。
例えば、以下のような例をみてみます。


1、他クラスの教室に入っていく
2、ちょっかいをかける、追いかけっこなどからの軽度の接触
3、教科書などの物の貸し借り
どれも良い意味ではコミュニケーションの一部だと捉えられます。
しかし、盗難防止や事故防止などの安全確保の観点から1や3は禁止しているところも多いのではないかと思います。
また、まだ誰がどのクラスに所属しているのか分からない先生も多いため、早急な名前と顔の一致などを目的に行う。
2は禁止とまで言うのではなく、「みんなが心身ともに安全な環境」をつくるためにと止めさせるといったところでしょうか。

これらのことを考えたときに、実はすべて「教員にとって都合のよい」規則やルールに終始してしまっているように思います。
そこには全くと言っていいほど、子どもたちにとっての成長を促す要素を取り入れようなどの発想はなく、教員が問題が起きないようにと予防線を張ったようなルールばかりを敷いています。

ほんとにこれでいいのでしょうか?

私の好きな小説で村上龍さんの69があります。
この中で村上さんは以下のようなことを述べています。


 彼ら(教員)は人間を家畜へと変える仕事を飽きず続ける『退屈』の象徴だった。
 そんな状況は今でも変わっていないし、もっとひどくなっているはずだ。
 だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。
 彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
 唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。

黄金の3日間が、習慣づけをおこなう21日間が、教員にとって都合がよい規則やルールを教え込み、子どもたちを家畜のように躾ける期間となるのではなく
しっかりと対話を繰り返し、長い時間をかけてみんなで考えていこうと共に問題提起や課題認識をもち奮起するような期間となることを願っています。

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