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人事を尽くして天命を待つ

もうすぐ、30歳だ。時間は連続的に過ぎていくけれども、その日からは20代ではなくなる。もう若くはない。20代最後の年に家族が増えた。そう意味でも、30歳からは何もかもが変わって物事を捉えている。20代を振り返り、30歳における考えを言語化しておきたい。29歳に書いたnoteを貼っておく。

ひたすら走っていた

ちょうど20歳でプログラミングに出会い、狂ったようにハマってしまい、なんども寝食を忘れて、気がついたら朝になっているみたいな時があった。自分のアプリケーションを創りたくて、できる限り早く大学を終えて帰りたかったので、化学系の学科に在籍していたため実験が多くあったが、僕とタッグを組むと最速で帰れると思われるくらい早く帰ってPCを起動させることに執着していた。サークルにも定着できなかったので、長期休みは本当にすることがなく、サークル活動や合宿、バイトや旅行に充実していた周りをすごく羨ましいと思ったけれど、長期休みは毎日プログラミングができる、わーいという感じだった。多分、テスト勉強がやばかった時以外は毎日コードを書いていたと思う。当然のことながら、その時創っていたプロダクトはリリースしたものの使われることはなかった。しかしながら、何かを創る楽しみをこの時知ってしまったのだと思う。

新卒と同じ年、つまり23歳の年に当時学生スタートアップであった会社に大学院を中退して飛び乗った。その時から僕の社会人生活が始まったのだが、メンタルヘルスが課題になるまでの3年くらいは本当に毎日コードを書いたり、プロダクト改善のアイデアを考えたりしていたと思う。そう、ひたすら走っていた。身体より先にメンタルに不調が出るようになってからは、仕事量をセーブしながらも、全力疾走からバランスを取りつつ走っていた。100メートル全力疾走からマラソンへと働き方を変えざるを得なかった。

30歳になる今でも、できる限り走っていたと思っているが、メンタル、体力、家族、育児など仕事以外のことの方が優先度が高くなっているのと、そもそも、そのベースがなければ仕事にフォーカスできない。この先、走り続けるためのベースを常に整えてなければ、全力で走り続けることができないことを知った。

人生とは時間の使い方である

好きな漫画「左ききのエレン」に「才能とは集中力の質である」という言葉がある。20代の前半のような働き方はもうできない。むしろ、1日8時間を集中して働くことさえもギリギリだと考えると「人生とは時間の使い方である」という考えに至った。

だいぶ前に、Dropbox創業者のドリュー・ヒューストンさんのスピーチを初めて見た時に「30,000」という数字が頭から離れない。人生は30,000日しかない (計算すると、82歳まで) という話なのだが、30歳だと考えるとすでに37%を消費していることなる。仕事という観点では、元気に頑張れるのはあとせいぜい10 ~ 20年間程度だと考えると、時間が無さすぎる。

加えて、前述した一日の使い方を考えると、本当に時間がない。だけれども、やりたいことは無限にある。つまり、何をするのかを意思決定する必要がある。詰まるところ、人生とは、生活に必要な最低限の時間 (睡眠、食事、育児など) を除いた時間を何に使うのかという命題を解くことに他ならない、という考えに至った。では、自分はその時間を使って何がしたいのか?

自分は何がしたいのか

自分は何がしたいのか?」という問いが、30歳に差し掛かるこの数年、なんど頭に浮かんだだろうか。本当に今のことを続けていいのか、自分の命を賭けるべきなのか。

そもそも、その前に自分は何に強みを持っているのか。今のスキルセットというよりも、自分の個性として何に偏っているのかを考えた。16Personalitiesでは「擁護者」、ストレングス・ファインダーでは「実行力」、SPIでは「秩序重視」という結果が出た。これらの結果をChatGPTに教えて、自分の仕事における特徴を教えてもらった。

奥原さんは、擁護者型の性格特性を持ち、人とのつながりを大切にし、自分自身も多様な特性を持ち合わせています。また、ストレングスファインダーの「実行力」分野の資質も持っており、物事を実現させる能力に優れています。SPI性格検査では「秩序重視タイプ」ということなので、規則や手続きに従い計画的に物事を進めるタイプであると思われます。

これらの特性から、奥原さんはチームワークを重視し、人との協調性を持って仕事を進めることができます。また、自分のアイデアやビジョンを持ち、それを現実化するために計画を立て、綿密に実行することができます。一方で、秩序重視の度合いが高いため、状況によっては柔軟性に欠けることがあるかもしれません。

仕事においては、奥原さんは自分自身の強みを活かし、他のメンバーと協力して、目標を達成するために貢献することができます。また、擁護者型の性格から、周囲の人々の意見やニーズを尊重し、共感することができるため、顧客サポートや営業の分野での活躍も期待できるでしょう。

ChatGPT

なぜ、このようなスキルや経験ではない部分で自分がしたいことを考えているかというと、「成長とは、自身のアイスバーグを大きくすること」という観点に影響されている。この言葉は「成長マインドセット」で出てくるが、図で示すと以下のようになる。

アイスバーグ

この図においては、成果を出すため、その量を最大化していくためには、根底にあるマインドセットが重要であると言っている。そのため、今あるスキルや経験からではなく、根底にあるマインドセットから自分は何がしたいのかを考える必要があると信じている。

自分の原体験として、世の中に役に立つことをやりたい、インターネット、テクノロジーを使って世の中を便利にしたいという思いが根底にある。この根底にある考えにYesと言えるならば、どんなことでも続けていけると確信している一方で、世の中を便利にというよりか誰か個人を喜ばすだけであったり、役立つよりもお金を儲けるために何でもやるという姿勢は自分がやりたいことではないと強く思っている。しかしながら、長期的な視点に立って、短期で必要なことであればやるしかないという柔軟な思考でいたいと思っているので、常に長期的には何がやりたいのか、心の底からこれは何のためにやっているのかという点が重要だと考えている。

そう考えると、プロダクトが目指すサービスミッションや、その上にある会社のビジョンが非常に重要だと、今更ながら気がつかされた。事業の方向性を決める重要な意思決定において、自分たちは何がしたいのか、ということが根っこにあって、戦略、戦術に落ちてくる。もちろん、最初から確固たるものが言語化されていることは少ないと思われるが、言語化されていない中でも、目指したいものの輪郭があると思っている。個人的には、この目指したいものを「登るべき山」と表現していて、富士山を目指しているのか、エベレストを目指しているのかによって、どう登っていくか、どこまで辿りつけばいいのか、ということが変わってくる。自分が登りたい山はどこなのかということと、所属する組織が目指しているものをできる限り一致させることが望ましい。

人事を尽くして天命を待つ

名著「嫌われる勇気」で課題を分離することについて書かれている。例えば、他人が自分についてどう思うかとか、仕事をしている上でも相手がどう最終的に動いてくれるかという課題は、他者の課題である。そのため、自分ではどうこうすることはできない。自分が強く言ったとしても、他者に意思決定権があるものに関しては、自分が関与することはできない。自分が扱える課題は自分が持っている課題だけだ。このことを突き詰めると「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がしっくりくる。

会社においては、意思決定者がどういう評価を下すのか、どういう人事権を行使するのか、どういうチャンスをくれるのかということは自分の課題ではない。これはどのレイヤーの人にも当てはまると思う。もちろん、社長でも。つまり、自分ができることを精一杯やるだけであって、他のことに脳や身体的なエネルギーを費やしても、自分の課題にはならないということだ。僕は以前から「自分の人生に責任を負えるのは自分だけだ」と信じている。誰かに言われたから意思決定したとして、もし仮に何か責任を取らなければならない、自分にとって不利な状況になったとして、その他社は責任をとってくれるのだろうか。無責任な言動に対して、自分の人生の主導権を握らせてはいけない。

不確実性の観点からも考えてみたい。論理的に考えて、ほとんどの人が取る選択は不確実性が低いということだし、あえて別の選択をすること自体が博打になってしまう。一方で、不確実性が高い選択とは誰しもその先がわからない選択のことを言う、ジョブチェンジや転職、起業などその先は誰にもわからないものは誰がなんと言おうと、外野がどれだけ非難してこようとも、結果はわからない。そういう問いに対しては、今、自分ができること、すべきことを全力で行動する。それしかないんだ。結果的に、大損するかもしれない。大失敗して恥ずかしい思いをするかもしれない。でも、それを次に繋げていけるかは自分でしかできないわけで、優しい声をかけてくれる人はいるかもしれないが、誰も本当の意味で助けてはくれない。逆に、絶対に勝てる道、失敗はしない道というのもあると思うが、大きな変化、チャレンジである可能性は低いと思われる。そもそも不確実性が高いこの世の中において、そういう選択を取ること自体がリスクを伴っているかもしれない。いずれかにしても、自分ができることを精一杯やって、あとは運命を手繰り寄せていくしかないんだ。

30代の抱負

毎年、1年の抱負を書いているけれど、30歳という節目であるので、30代の抱負を書いておきたい。

まず「自分の山を登る」こと。限られて時間、ちゃんと自分が信じた山を全力で登らなければならない。これは起業したいとかそういう話ではなくて、ちゃんと自分で考えて、自分の意思で仕事に向き合うということ。しっかり考えて、自分が登るべき山ではないと判断すれば、そうすればいいし、その責任は自分で取るしかない。

次に「自分自身のプロダクト創り」をすること。これも次の10年でどこかでトライしたい。やはり、元々今所属している組織に入る前に考えていた、自分のプロダクトを創るための経験を積むことだったので、どこかでそのチャレンジをしたいと考えている。事業創り、プロダクト創りをエンジニア、プロダクトマネージャーとして経験して、あとは自分が完全にオーナーシップを持ったプロダクトを創ることにチャレンジしてみたい。そういう想いが沸々と強くなってきている。これ自体が目的化してしまうのはダサいけれども、絶対一人でやりたいとも思っていないので、人事を尽くしたい。

最後に「家族が健康である」こと。生きているといつ何時、何があるかわからない。突然、事故に遭うかもしれないし、大病を患うかもしれない。避けれない運命はあると思うが、今自分ができることは全力でやらないといけない。心身ともに健康であること、それも家族全員がそうであるようにできることは精一杯やりたい。もしも、何かを犠牲にして得た成功があったとして、一緒に喜べる存在が周りにいなかったら、何のためにやっているのかわらなくなる。家族全員が健やかであるように、すべきことを考えて行動したい。

サムネイルに焚き火を選んだのは、最も好きなフレーズの一つ「心を燃やせ」という鬼滅の刃の煉獄杏寿郎が放った言葉から。いつの年齢になっても、笑われたとしても常に心を燃やしていたいと思っている。だけれども、20代、心が燃え尽きて折れそうになったことがなん度もあるし、そういう生き方は結構大変なので、焚き火のように燃やし続けたいと思った。常に薪を供給することで、心を燃やし続けて生きたい。


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