十二国記短編集先行プレゼント!…からの所感あれこれ

新潮社からのメールに心臓が飛び出るかと思った。ついにきましたね!

あれ、改めて『白銀の墟 玄の月』の帯みたら2020年オリジナル短編集刊行決定!って書いてあるけどもう2020年終わる…とかそんなことは気にしないんですよファンは。小野主上の新作が読めるというそのことにただただ感謝ですから。

ということでありがたく読ませていただきました。

※以下、明確なネタバレはしてないつもりですが未読の方はお気をつけくださいませ。

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『白銀の墟 玄の月』での泰麒の行為は、麒麟としてあり得ないことの連続だった…けれど、よく考えてみれば「蓬莱の普通の高校生」にとってもあり得ないことの連続だったのだなということにハッとさせられた。他者の死、それも誰かが手を下すことによる死の重さ。いわんや、自分が誰かの命を奪うということの重さ。

この短編を読んだ直後、たまたま話題の『呪術廻戦』のアニメを見た。呪術師としてヒトを殺すのかと問われた虎杖くんは、できることなら殺したくないと答える。「大人」である七海は「子供」である虎杖くんに「殺させない」ことを自らに課し、「子供」を守るべく戦うけれど、虎杖くんは守られる立場に留まることを選ばず、「ぶっ殺す」と初めての感情を持つ。

この流れで思い出すのはこれまた話題すぎて取り上げるのも躊躇われるけど『鬼滅の刃』。炭治郎は最初、鬼を殺せなかった。元が人間だと分かっている鬼に手をかけることができなかった。そんな炭治郎を見て鱗滝さんは「この子は駄目だ」と諦観する(表情は見えないけど)。

冨岡義勇のあの名台詞「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」は、生きることを自分で掴み取れという意味に捉えていたけれど、この言葉には「殺」も入ってるんだよな。殺すこと、奪うことに自ら向き合えないままでは炭治郎の望みは叶わない。

十二国記に話を戻すと、思い返してみれば『⽉の影 影の海』の冒頭では陽子は妖魔を倒した後不快さに耐えきれず嘔吐していなかったか。旅の中で苛酷な状況に置かれ、妖魔との戦いにも慣れざるを得なかったけれど、人の命だけは奪わないと心に決めていた陽子。でも延王に連れられ王として戦いに臨むときには、誰かの命を奪うことになることへの覚悟を決めていた。すごいな、と思いつつほんとにそんな覚悟できるのかしら、陽子大丈夫かしら…と思った記憶が蘇って、あの時のわたしの不安がまさかここにきて回収されるとは。。。

「大人」と言われる年齢になってもうずいぶん時が経って、年端もいかない子どもたちが戦いに臨む作品を見ると、設定上致し方ないとか重々わかってても「周りの大人は何をやっとるんだ!!」と憤慨しそうになる。十二国記の世界では、王である陽子、麒麟である泰麒は”立場上”どうしようもない…こともあるのだけど、でもやはり彼ら彼女らを救ってあげる「大人」がいてほしいという気持ちが出てきてしまう。『呪術廻戦』でのナナミンや五条先生、『鬼滅の刃』での柱の面々や鱗滝さん、そういったポジションのヒトが少年少女をちゃんと「大人として」守りいたわる場面が、この世界に少しでもあってくれたらという気持ち。

そんな中、まさかというかやはりというか、景麒は景麒なりのやり方で陽子や泰麒を救ってくれるんだなということがとても嬉しかった。

あとはシンプルに「懐かしい面々に会えた」という気持ちでいっぱいになる新作でした。短編集の発売が本当に楽しみ!


これから泰麒は黄海でポケモンマスターさながら使令を集めまくるんだろうな…ん、『魔性の子』発売時にポケモンは存在しない…???


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