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水滸伝 天地の章(十一)

読んだ本:水滸伝 天地の章(十一)
作者:北方謙三

【シリーズのネタバレ注意】
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この記事の作者は以下の本を読んでいます。
よって予期しないネタバレをするかもしれませんがご了承ください。
北方水滸伝・楊令伝・岳飛伝・チンギス紀を読了済み。
(楊家将・血涙・史記シリーズも読んでます)
15年ほど前に水滸伝読了後、最近になって続編を読破。その後水滸伝を読み直し中。ふと感想を書きたくなってこのシリーズを開始。
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【本編】
頭領である晁蓋がここで退場となりました。わざわざ史文恭の素性を劉唐が調べるシーンがあったけど、一旦引退した人物を見極めるのは無理っしょ。当時は今みたいに情報化社会じゃないんだからただでさえ残りにくいというのに。
水滸伝の中盤で亡くなったのか。続編シリーズを踏破している身としては元々影が薄いなぁとは思っていたけど、ここまで主役クラスの描かれ方してるのは驚いた。そりゃそうだけども。時代の流れとともに主要人物が流れ変わっていくのは面白いね。バランス塩梅的にもう少し生きていてよかったかもしれない。

梁山泊も青連寺も探り探り戦っている感が新鮮に感じる。後半は幾度も死地を乗り越えてきた者ども同士が戦っているからかなり高度な戦いになっているもんね。

樊端が致死軍にスカウトされる描写が印象に残っている。入山前の仲間だった季袞が死んだことのショックから自分が生きるとは?を考えだして、暗殺という生と死の狭間を操る職についていく様は面白かった。哲学派の人物だった。もう少し軍人という前線で生きるか死ぬかの世界で生きている人種にこういう思考派がいてもおもろいんじゃないかなと思った。考えるというよりも感じるに近いのかな?呉用や宣賛など頭が回るとどうしても後方に行きがちだもんな。馬燐や鮑旭の子午山組が思考タイプになっても何の不思議でもないね。

この頃に秦容が生を受けたのか。のちの展開も考えると10年以内にいろいろ展開があったんだなと時の速さを感じた。時間の描写があんまりないから何年経ったかわかりにくいけど、短期間でいろいろ起きすぎでしょうよ。びっくりした。

楊令は策超にも稽古してもらってたんだ。のちの青騎兵初代隊長の策超の意思を汲んでいたのか。策超も自分が強いのかよくわからない心境にまで達して成長していたし。武を極める過程での心境の変化をまとめてみたいな。少なくとも腕を自慢しているうちはまだまだなのはよくわかる。

杜興のじいさんもまだ若いなぁ。戦場を目の当たりにして常人以上のストレスを受けてメンタルケアが必要な兵たちに対してのケアをしていた。優しい言葉じゃなくてあえて腰抜けと呼び、心にくるようないじめる方法で調練していたのは何かそういうやり方があるんだろうか?兵の立ち直らせ方としては効果あるんだろうと感覚的にはわかるけど。しんどいときに敢えてしんどい環境において限界まで自分を追い詰めることで悟らせる感じか?そういえば他の軍隊の映画でも調練中罵倒してたし、実際経験もあるなぁ。ストレスではち切れそうで自分を守るのは自分しかないってなった。
一人の兵の心境の変化を見てみたかったな。最後は慕うようになってたから立ち直ったんだろう。あれかな、いざ実戦に入ってみたら前のような発作が出なくなってたことを実感したというような感じかな。
身近な人、大切な人が死んだらストレスすごい。少なくともなにか考えるきっかけにもなるし、一緒に戦っていたらなんで自分は生き残ったんだ、あのときああしとけばあいつは死ななかったはずだとか思い悩むよね。そこからもがき苦しんで成長していく過程は生きるうえで必要だよ。こういう細かいところも描写されているからリアリティを感じるんだろう。
今でいうところのなんだろうなぁ。人生の進路で挫折したとかがベターかな。生死と比べると全然小さなことだけど、当の本人には凄まじいストレスだからなぁ。そこでストレスから逃げてばかりで年を取っていくのは悲しいよねぇ。乗り越えらえる手段と機会と時間もある程度国が保証してくれる社会ってこないかな。失敗したら一発アウトは生きづらいよ。

これを書くためにパラパラ読み直しているけど、その度に気になることを書いていって止まらなくなってしまってます。自分が感じたことを振り返るのも面白いね。


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