見出し画像

世界一周紀行 1章 アジア+a ④ (アゼルバイジャン・ジョージア)

【7月】
29日 バクー🇦🇿→トビリシ🇬🇪
30日 トビリシ

【8月】
1日 トビリシ
2日 不明
3日 不明
4日 不明
5日 トビリシ
6日 ムツヘタ

【7/29】

7時半起床。簡素なソファでよく熟睡できるなと我ながら思う。

空港を出てバスに乗る。20分ほどで市内に到着。

画像1

画像2

近代都市… 
アゼルバイジャンは石油産出国で、経済成長率もかなり高いらしい。
バクーはアゼルバイジャンの首都。

アゼルバイジャンは特に滞在予定はなく、今日の夜にはジョージアのトビリシへ行く予定なので、夜行列車のチケットを購入しに行く。無事確保。
Wifiを求めて近くのケンタッキーへ入り込む。ハンバーガーを頼んだつもりが全然違う商品が出るハプニングはありつつも無事Wi-fiゲット。
3日ぶりのWi-fi。Gmailがなぜか動かない設定になっていた。
連絡を返したり調べ物をしたりして、ケンタッキーを後に。バックパック持って旅行するのは辛いと思い、荷物預かりサービスを使用。400円と割高な気もしたけど、思い切って預けた。

身軽な状態で観光開始。歩いてまずはカスピ海まで向かう。

画像3

都会としかいいようがない。中央アジアとのギャップがすごい。
カスピ海まで進んでいくと海から街が一望できる。

画像4

近代っぽいガラス張りの建築物がいくつかあっておもしろい。行ったことはないがドバイっぽい。
建築物に個性があっていいなと思った。
日差しは強いが、海からの風が吹くため意外と体感温度は低くて気持ちいい。

画像5

海岸でゆったり。石油が取れるってこともあり、海から油分が湧き出てる。泳げなさそうだなと思っていると奥でおっちゃんが一人泳いでいた。

カスピ海沿いを歩き終え、公園に入るとのんびりしてる男5人組が。

画像6


話しかけられたが誰も英語が出来ず、5分ぐらい話したのにもかかわらず「ツーリスト・ジャパン」意外の情報交換ができていなかった。とはいえめっちゃみんなで盛り上がった。何に盛り上がったのかはわからない。本質的に通じ合うなら言語いるし、表面的だけで終わりたくないなと思う。

バクーの名所になっているフレイムタワー方面へ向かう。

画像7

暑い中階段を上っていく。荷物預けておいてよかったとつくづく思う。階段を登りきると高台からバクーを一望できるスポットへ。高層のマンションが並んでる。風も気持ちよくていい場所を見つけた。

画像8

画像9


高台からフレイムタワーへ向かう。

画像10


道中アゼルバイジャンとトルコの国旗が並んだ慰霊碑を見つけた。よく考えると、アゼルバイジャンの国旗の上下二色を抜くとトルコに限りなく似ていることに気づく。関係あるのかなと思い調べてみたが、直接トルコとの関係性はなかった。

画像11


フレイムタワーへ到着。隣にランボルギーニの店舗があって高所得向けの建物なんだなと。入れるわけではなさそうなので、そのまま歩いて旧市街へ。途中休憩で寄った公園で寝落ち。

画像12

画像13

 旧市街へ到着。何気ない道とかがかっこよくて好みだった。

画像14


日本語で「中世の拷問器具の展示」と書かれた看板を発見。好奇心を揺さぶられる。明日開催されるツアーの客引きの青年に拷問展の場所を聞くと連れて行ってくれた。

画像15

バクー大学で数学を専攻していて、英語の勉強がてらツアーの斡旋とかもやってるそう。大学のお金がかからないという話をしてて石油産出国の懐の深さを知る。日本の大学はなぜお金かかるのって聞かれたわれたが答えられなかった。

そして拷問展へ。

画像16

アイアンメイデン。
ギロチンと聞くと残酷な印象があるが、実は楽に死ねるため貴族に使われてたらしい。海外で拷問にあったらどうしようと嫌な気持ちになりながら地下鉄で駅へ戻る。

画像17

インターネットを使いたいので駅前のショッピングモールへ。フードコートにケンタッキーがあり、試しに朝に別店舗で使用したパスワードを打ち込むと接続できた。 もしかして全部これでいけるのでは。
お腹すいて死にそうになり、なけなしのお金でバーガーキングのビッグバーガーを頼む。ファーストフードに感謝。

画像18

フードコードで話しかけてきた少年。

深夜列車の時間が近づいてきたので、荷物を取りに戻る。
店の人が親日の方で、武士道のロシア語版の本を見せてくれた。

画像19


柔道もやってたらしい。自国に興味を持ってくれるのは嬉しい。
世間話をしすぎて時間を忘れており、10分前ぐらいに電車に乗り込む。
20時40分発でかなり早い時間だったが、すぐに寝てしまっていた。

【7/30】

目を覚ますと国境へ。パスポートを見せて、無事にジョージアへ入国。
ベッドから降りて窓を眺めていると、昨夜電車内で軽く会釈をしていた日本人の方が。
話していると、同郷の和歌山出身かつ同い年ということがわかる。
出国前に高校の友人と会ったときに、世界一周してる友人がいると聞いていたが、まさかの目の前にいる彼だった。

予定より1時間遅れでジョージアの首都トビリシに到着。
ジョージアでは知り合いに紹介していただいたマリアムという女性の家でお世話になることに。マリアムと無事に駅で合流。和歌山出身のひろや君と一緒に車で家まで送ってもらい、朝ごはんをご馳走になる。

画像20

ハチャプリというチーズをふんだんに使った料理で美味しい。
ひろやくんはマリアムに宿泊予定のゲストハウスまで送迎してもらい、僕はサクサクのネット環境の中色々調べ物。

画像21

個室。広い。綺麗。。。
Wifiを繋げるとイランVISAの不受理メールが届いていて落胆。

夕方ぐらいに銀行へドルを下ろしに向かう。

画像22

駅近くは意外とごちゃごちゃしていてカオスな感じ。駅の通路に店が並んでいて、端にホームレスの人がいるっていう構造自体は中央アジアと同じ。
店舗型の銀行を近くに見つけ、無事ドルを下ろせた。

家に戻ってきてから、マリアムとマリアムの彼氏と3人でご飯を食べに行く。地元のレストランで、シュウマイのような食べ物と豚の串焼きを食べた。
中央アジアのご飯に飽きが来ていたこともあり、大満足。ビールも美味しい。
ご飯中は宗教について話した。
カトリックとプロテスタントの教会の作りの違いや、ギリシア正教についてなど。
帰ってから3日ぶりのシャワー。幸せすぎた。

【7/31】

イランビザの申請が拒否されていたので、朝、マリアムにイラン大使館まで連れて行ってもらった。
大使館の人に聞くと電子VISAの写真があんまりよくなくて、パスポートをスキャナーにかけて送ってほしいとのこと。

そのまま旧市街の近くまで送ってくれることに
車の中で街や国について説明してくれる。

警察署の中がガラス張りになっているのだが(写真は撮れず)、不正はしないっていう意思表明らしい。
ソ連体制から資本主義への変更についての話も印象的で、資本主義に移ったあとの数年間はかなり混乱していたとのこと。ソ連の中で、国ごとに分業するような商品づくりをしていたのが、崩壊後は完全に分離してしまったが、国独自の産業がそもそもなくて資本主義が機能しづらい状態にあったらしい。
資本主義に移るのも、状態やタイミングが大事だなと。
高齢世代の人は一定数社会主義の方が良かったという人もいるんだそう。今までの体制が変わるのって凄く難しいことだなと思い知らされた。

街の中心部で降ろしてもらう。フリーワイファイが使える、、

画像23

画像27


街はほぼヨーロッパ(ヨーロッパへ行ったことはない)。

初めに博物館へ行く。大人15ラリ(500円)で高いなと思っていたらなんと学生は05ラリ。日本の学生証を見せたら割り引いてくれた。
博物館ではローマ帝国やペルシャについての記述が多く書かれていた。
日本のような島国と違い、現在の国境がまだ存在していないので、自国の歴史の捉え方も変わってくるのかなと。

画像25

博物館を出て教会へ向かう。ギャラリーストリートがいくつかある。それぞれが独自に表現している雰囲気が心地よい。

画像25

画像26

ずっとイスラム圏にいたので、イスラム圏とは違った印象があって面白い。
教会の中は壁一面に肖像画や絵が敷き詰められていた。豪華に豪華を重ねたような教会が多い。

一方で街の高台にある三位一体協会はすごくシンプルな作りになっている。

画像28


最後に温泉街へ向かったがどこの店も30ラリ(1000円)ぐらいするので諦めた。

画像30

画像29

街のショッピングモール。ジョージアはワインが安くて高品質。自由に試飲させてくれる。

夜はひろやくんとChuriというジョージア料理店へ。

画像31

シューマイ風の食べ物とローストチキンを食べた。ビールを3杯ほど飲んでそこそこ酔ったところで解散。メトロは24時まで運行してるって確認したが、23時時点でなぜかメトロが閉まってた。ジョージアまで来て終電逃すとは… お互いタクシーで帰宅。

画像32


【8/1】

9時間ぐらい寝てから家の中でゆったり。居心地がよくて一生生活できそう。
昼にマリアムの姪っ子のマイコと4人でトビリシにあるウォータープールへ。

画像33


水着がなかったので元々持っていた半ズボンを水着代わりに使うことに。サンダルは家にあったのを借りた。
タジキスタンにクロックス起き忘れてきたのが悔やまれる。

プールは約10種類ぐらいあり、それぞれに特色がある。(写真は撮っていないが)

画像34


定期的にウェーブが起こるプールや、ジャグジーのプール、プールバーとかいうのまで。日本と同じように監視員の人がおり、危なそうなことをしていると笛を吹かれて止められる。日本と違い、飛び込みに関しては何も言われていないよう。

 個人的にはウェーブのプールが凄く楽しかった。波の動きに合わせて水中をジャンプすると、体と波が調和してふわりと流されていく。自分が人じゃないような不思議な感覚に襲われる。大人も子どもも同じタイミングでジャンプ。少し一体感もあり楽しい。プールに入るときに全員ブレスレットが配られてそれで決算などが全部できて、日本のスーパー銭湯と同じようなシステム。

帰ってからはジョージアのレストランへ。

画像35

画像36

画像37

ジョージアはナッツが入った料理が特徴的らしい。レストランの中で生演奏もしていた。お金を払うとリクエストした曲を演奏してくれるシステム。
ジョージアでは地元のポップミュージックが低クオリティでほとんど出回っておらず、若い世代の人は専らK-POPをはじめとした海外からの音楽を楽しんでいるそう。
明日から数日間、マイコの父親が遠くまで観光行くらしくてよかったらついていかない?とのことで、明日から田舎へ観光。
ちなみにイランビザはスキャンがうまくできないままでジョージア滞在が長引いてしまいそうな予感。 


【8/2】

朝3時起床。寝たのが正午だったので、鬼のように眠い。
運転する人が来てくれて一緒に観光する友人たちを次々に乗せていく。
自己紹介したも束の間、すぐに寝落ちしてしまっていた。

画像38


起きたら大自然のガタガタ道を車で進んでいた。すごい険しい道のりで凄かったが、あまりに眠たすぎてまた寝る。

画像39



 高山地帯に入っていき、高山植物も咲いている。霧の中に入っていき外が全く見えない。

画像40

11時ごろ宿に到着。

到着してまずは食事。

画像41

持参してた野菜やササミなどを自分たちで切って食べる。そして昼からジャックダニエルのボトルが登場。
ゲストではなくて、友人として接したいし全く気を使わずに楽しんでねと言われたのが嬉しかった。
ウイスキーのショットで乾杯。ジョージアでは他の飲み物で割るのはアンノーマルらしい。
自然や家族へ感謝を述べたあと乾杯するのがジョージアのスタイル。みんな飲み終わったら、またグラスにお酒を入れ、再び感謝や敬意を述べて乾杯する。これが毎回続く。みんな一気に飲み干すしケロっとしている。おそるべしジョージア人。
皆自然や家族への愛を述べながら飲んでいるが、自分の体も愛する必要もあるなと思い飲むペースを落とす。
ご飯の後はみんな昼寝。 起きたらあたりは大雨。周りの景色見に行こうと思ってたけど断念。残念な気もしたが、雨を1ヶ月ほど見ていなかったので、それはそれで嬉しくもある。

ちょっとすると雨がやんだので、少しあたりを散策。

画像42

自然の中に今にも壊れそうな煉瓦造りの家が並んでいてRPGゲームの世界観。秘境。
2時間ほどブラブラして宿へ戻ると夜ご飯が出来上がっていた。

画像43

画像44

画像45


夜はチャチャというぶどうを蒸留したお酒とワイン。チャチャは自家製らしく、度数は50度を超えてる。
昼のアルコールが抜けきってないので一杯目で少ししんどい。口直しにワインを飲むというわけのわからない状態に。昼に飲んでたのに皆どんどん飲む。底知れない。

【8/3】

結局10時間ぐらい寝て爽快な朝。やることもないので散歩。

画像46


教会がいい感じ。
昼前にご飯。チャチャが出される。普段は朝昼にあんまり飲まないが休日なので特別とのこと。

そのあと車で他の村へ。奥地に城があるらしく1時間ほどトレッキング。

画像47

画像48


奥に見える森はロシアらしい。少しワハン回廊を想起した。
戻ってきてからジョージアビールを1缶飲む。

画像49

汗書いた後に飲むビールは格別。麦の風味が強くて美味しい。

そして泊まってた場所に戻る。小一時間世界史の本をKindleで読む。
そのあと玉ねぎの皮むきを手伝って夕食。
一緒に来た人以外も含めて合計10人ぐらいでのご飯に。

飲み会の幹事のことをtamadaといい、tamadaが毎回の一言話してから皆でお酒を飲む。日本も乾杯の挨拶はあるが、ジョージアでは飲むたびに挨拶する。

初めは白ワイン飲み。その後赤ワインに切り替える。
赤ワインは今まで飲んだことないほどの美味。舌触りが良くて飲んだ後にアルコールが全部どこかへ消えてしまうような感覚に。
美味しすぎてどんどんワインがすすむ。

画像51

画像50


みんなで飲んで笑ってずっと楽しかった。ジョージア人の飲み会の中にポツンと入り込み、言葉も完全に理解できているわけではないが、とにかく幸せな空間だった。

【8/4】

朝起きて昼過ぎまで平野啓一郎の『ある男』を読んでいた。
15時ごろになってトビリシへ戻る。

画像53

車が悪路で揺れて酔いまくり、記憶がほとんどない。
久しぶりの車酔いに苦しみながら夜の22時ごろにトビリシに到着。
いい経験だった。
数日ぶりにインターネットを繋げるとイランからVISA申請おりないとの連絡が。 いつになったら行けるのやら。

【8/5】

3日間動いたので今日は休暇日。家から一歩も出ない怠惰な生活。
YouTubeでずっとすべらない話を見てた。一見単純な話でも話術で面白くなってしまうのにただただ感心。

夕方ぐらいからイラン入国の情報収集。陸路ではどう頑張っても難しそうで、航空券を調べてるとトビリシからイランまで1万ほどで行ける便を見つけたので飛行機で向かうことにした。

【8/6】

朝起きてからジョージアからアルメニアまでの行き方を調べて、イランまでの航空券を購入。軽くご飯を食べ、トビリシから車で1時間ほどの距離にあるムツヘタへ向かう。
ムツヘタ行きのバスがどこから出ているのか分からず。道行く人に聞きつつなんとか到着。

画像52


バスで中国人のおばちゃんと仲良くなった。ムツヘタに到着してから何気なしに会話しつつ帰りのバス乗り場の確認を一緒にする。そのまま自然な流れで一緒に観光していた。
今まで40カ国ほど回ってた旅好きで、今までは同僚や娘と一緒に行ってたが、今回が初の一人旅だという。夫が日本語話せるほどの親日で、京都はもちろん別府なども行ったらしい。

初めはムツヘタで一番大きな教会へ。

画像54



教会の中で赤ん坊が母に抱かれ、牧師さんから何やら歌われている。トビリシへ戻ってからマリアムに聞いたところ、洗礼の儀式だそう。貴重なところを見れたらしい。
中国のおばちゃんが、協会の内装をみて、ヨーロッパの建築物と宗教的な意味合いで違うであったりとか色々と教えてくれる。事前にいろんな記事を見て調べているらしい。

観光の仕方や物事の捉え方が似ているタイプで共感するところも多く、一緒に回ってて楽しかった。

画像55

画像56

画像57


最後にタクシーをシェアして、丘の上にある教会へ。丘の上から見える景色はラオスのルアンパバーンを想起させるようでなんだか懐かしい気分になる。

画像58

教会の裏側の壁には、カップルが来た日付と愛を記してあり、
日本でも海外でも普遍的な事象だなと。

帰り道タクシーのおっちゃんに日本人だと伝えると、
ジョージア人力士の栃ノ心について語ってくれた。


バスに乗り換えてトビリシに帰る。
バスに日本人の集団が乗ってきたが、日本人と思われたくなくて、日本っぽくない英語の発音してみたり、日本の話題から遠ざけようとしてしまっていた。海外にいる際、同質のグループがいた時に避けようとする節がある気がする。せっかく海外にいるのだから日本の要素を排除したいという感情でもない。グループの中に自分がいれば何も思わないので、自分と同質のグループが他者としているときに感じがち。

おばちゃんと別れを告げて家に戻る。wechatを持っていないし連絡先は交換しなかったがまた会ってみたいなぁと思う素敵な人だった。
そして明日のアルメニアへ向けて身支度をし、準備万端で寝る。


1章③ウズベキスタン編へ   1章④アルメニア・ナゴルノ=カラバフ編へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?