見出し画像

世界一周紀行 1章 アジア+a ⑤ (アルメニア・ナゴルノ=カラバフ)

【8月】

7日 トビリシ→エレバン🇦🇲
8日 エレバン
9日 エレバン→ナゴルノカラバフ🌐(未承認)
10日 ナゴルノ=カラバフ
11日 ナゴルノ=カラバフ→エレバン🇦🇲
12日 エレバン→トビリシ🇬🇪


【8/7】

早朝に起きようと思ったが、昨日の疲れもあり大幅に遅刻。
少し急ぎ足でトビリシを出る。
そしてまたもやバス乗り場が分からず迷う。昨日からまるで成長していない。

画像1


なんとかバスに着き、バスを待つ。韓国人のカップルが乗り込んできて少しだけ会話。そのあと日本人の2人組も乗り込んできて、アジアな室内に。
昨日の疲れからか気づいたら寝てしまっていて、イミグレに着いていた。
換金レートがあまり良くないらしくイミグレーションでは換金を断念。
韓国の男性が換金のためにスーパーに寄ってもらったので、同じタイミングで僕もお金を下ろす。韓国の彼が、感謝も込めてその男性がドライバーにお酒プレゼントしてたのがすごく印象的だった。長い旅なので流石にそんなお金の使い方はできないが、感謝を忘れずに旅をしたいものである。

画像2


夕方ごろにアルメニアの首都エレバンへ到着。
地下鉄に乗り、エレバン中心部へ。市内は栄えており、トビリシと似たような雰囲気。

ひとまずゲストハウスへ。受付の女性が可愛いのとWi-fiの強さでいいゲストハウスを引き当てたと満足していると、巨大な浴槽のサプライズ。

画像3


20時ごろまでネットサーフィンをして過ごす。ネットで見つけたアルメニアのサイゼ的なところへ向かう。

画像4

人でごった返しており、席がなかなか取れなかったものの無事席を確保。パスタとビールを頼む。

画像5

パスタは150円ぐらいでお手頃。他にもピザやハンバーガーやサラダなど品揃えも豊富。

食後は街の中心部の噴水の広場へ向かう。

画像6

画像7


毎夜21時〜23時に音楽と噴水のショーが開催しており、数百人もの地元の人が集って楽しんでいた。
カップルで愛を確かめ合う人たち、家族のひと時を楽しむ人たち、友達同士で騒ぐ人たち、それぞれの形がある。形は違えどみんな幸せそうで、自分まで幸福感に包まれる。
そんなことを考えてると、ルイアームストロングの「what a wonderful world」が噴水のリズムとともに流れてくる。
日常に根ざしたささやかな幸福と、音楽が相まって情緒あふれる空間に。
ふと日本の花火大会を思い出した。
多幸感に包まれながらホテルに戻る。


【8/8】

今日はエレバン市内を観光。初めはアルメニア虐殺記念館へ。

画像8

道中にあった極真空手の広告。

画像9

子どもたちがサッカーをしていた。

画像10

画像11

画像12


記念碑。団体旅行とおぼしき人たちが集まっており、英語で解説しているのでちょっと盗み聞き。聞いてみたものの全く理解できなかった。
皆でハレルヤを歌い出し、途中で泣いている人も。
何に対して賛美しているのかは分からないが、平和を祈っていること、戦争で死んだ人に対しての冥福ってことは感覚的に感じられる。
先導して歌っていた人に、一般の観光客が直接話しかけて賛辞を送っていたのが印象的だった。
集団の中にいた1人のお婆さんに話を聞いたところ、ドイツ出身の人たちで集まった原始キリスト教に関する宗教的団体とのことだった。


その後虐殺記念館の中へ。オスマン帝国から受けたジェノサイドに関する物々しい写真や解説が書かれている。性奴隷やアルメニアを捨てたスティグマの話、メディアが世論を変えた話など学ぶことが多かった。
平和を願い戦争に嫌悪を抱く一方で未だ解決されていない現状。
歴史は根深いし簡単に解決されるものではないなぁと。モヤモヤした気分になりつつ記念館を後にする。


バスに乗り、エレバン中心部をぶらぶら。

画像13

公園。

画像14

教会。皆正装で教会の中に入っているよう。結構人が集まっている。裏に入口があり、特に受付なしで入っている様子だったので、皆に紛れて潜入。長椅子にみんな座りだしたので同じように座ると数分後音楽が流れ、新郎新婦登場。

画像15

結婚式が始まってしまった。場違いなところに来てしまったと焦っていたが、ふらっと入ってきてすぐに帰る人もいるし、出入り可能で自由な雰囲気で面白かった。 少しだけ見学し、教会を後に。


カスケードと呼ばれる市内を一望できる高台へ向かう。

画像16

眺めは良かったけどこれといって何もなかったのですぐ帰宅。

画像17

画像18

画像19

カスケード近くの写真たち。

少し休憩してから晩飯へ。前日と同じサイゼ風レストランTashkent pizza。今日はサラダとハンバーガーを頼む。

アルメニアはブランデーが有名とのことなので食後にバーを探しに行く。

画像20

画像21


口コミの評価が多かったオシャレめなご飯屋さんへ。お酒の値段が高く戦慄したが、後には引けずとりあえず地元のクラフトビールとブランデーを頼む。

画像22

ブランデーは甘みが強い。蒸留酒にある、最後鼻に抜ける感じが弱くて、比較的飲みやすい。ただし酔う。



【8/9】

早朝に起きてナゴルノ=カラバフへ向かう。ナゴルノ=カラバフは国際法上はアゼルバイジャン西部にある地域だが、実質アルメニアが支配している未承認国家。
久しぶりの早起きに重い腰を上げながらなんとかバスターミナルへ向かう。

画像23

画像24

バス内でワイファイが使え、快適に過ごせた。

画像25

移動中の風景。のどかに見えるが、国境付近は大量の戦車があり、軍事訓練を行なっていた。

画像26

画像27


国境へ着くと、その場でビザを発行してくれる。ネットの情報では16時30分までに現地の役所で申請を行いビザを取得する必要があると書いていたが、杞憂だった。15時ごろには首都のステファナケルトに到着。

画像28


首都といっても田舎町。特にこれといって何もなさそうな雰囲気。
とりあえず徒歩でゲストハウスへ向かい休憩。
少ししてから、ナゴルノ=カラバフの象徴と言われているモニュメントを観に行く。

画像29

謎の顔。どういう意図があってこういった風貌にしたのか。

画像30


帰り道に撮った写真。アパートの電線に大量の洗濯物が干されていてカラフルで気持ちいい。日常の中のアート。柳田國男が生きていれば絶賛したに違いない。

ゲストハウスへ向かっていると、ぶどう売りのおっちゃんに声かけられる。
売りに来ているのかと思い、「ノーマネー」と伝え断ると、お金はいらないから食べてくれと、ぶどうをいただく。

画像31


お金以外のなんらかの形で何か返したかったが特に何も持ち合わせていなかった。親切にしてもらったときにどうやって返すのがいいのか。悩みどころである。
宿について、ごろごろ。

画像32

飼ってるネコが膝に座ってきて可愛い。
共用部で本を読んでいるとゲストハウスのおばちゃんがコーヒーを淹れてくれる。お菓子をももらって一服しながら本を読む。
アットホームでいい感じの宿。24時ごろに睡眠。

【8/10】

起床。朝起きたらドミにいた中国人の子どもが話しかけてくる。

画像33


「Where are you from?」と英語で聞くと上海と返事が返ってくる。年齢を聞いたら4歳とのこと。彼の父と話したところ、海外で外国人と話すうちに簡単な英語を話せるようになったらしい。環境への適応能力の強さを感じた。
親子で旅行をしており、母は仕事が休みの期間に合流するようなスタイルで旅を続けているらしい。一つの国を旅するとき、色んな側面を見られるように都市と村の両方回ってみると話していたのが印象的。
息子にけん玉教えたりしてからシュシという街へ出発。

画像34


駅にてゲストハウスにいた女性二人組に会う。フランスの2人組。彼女たちもシュシに向かうらしくて一緒のバスに乗る。30分ほどで到着。フランスの二人組と、エレバン出身の翻訳の仕事してる人がバスで仲良くなったらしくて、その人と4人でアンブレラフォールという観光名所へ向かう。

画像35

画像36

道中色んな廃墟が見える。戦争の跡地らしい。アルメニアの人の両親がナゴルノ出身で、親の街は無くなってしまったと話してくれた。数十年前にあった事実に胸が痛む。廃墟の建物内には草木が生い茂っており、ブラックチェリーが生えている。

画像37

フランスの方に食べ方教えてもらい試食。酸味が強くて暑い時期にちょうどいい。道中地元の若い男の人も合流して、5人で道を進んでいく。

画像38

画像39

画像41


険しめの道を1時間ほど下る。

画像41

画像42

そしてようやくアンブレラフォールへ到着。
足場が滑りやすく、多くの人が滑って水浸しになっていた。洞窟の中はひやっとして涼しい。今まで暑かったので生きかえる。
帰路の分かれ道でフランスの2人とトビリシ出身の方はシュシに行かないとのことで別の道から帰り、僕と現地の人は元の道から帰ることに。
行きは降りで楽だったが、帰りは1時間以上の山道を駆け上がる。
現地の人は英語が話せなくて何を言ってるかは伝わらないが、お互いの体力を雰囲気で察しながら、ペース配分を調整して戻っていく。途中で飲み水がなくなり、ブラックベリーで水分補給。
そして無事にシュシの中心部へ到着。道案内してくれたこともあったので飲み物を奢ろうとしたが、断られた。言葉の壁があったので深い話はできなかったが、すごく親切な人だった。

食後少しだけ周辺をぶらぶらしてからステファナケルトへ戻る。

ゲストハウスに着いてから少し仮眠。リビングに出ると10名ぐらいでご飯を食べていて、輪の中に入れてもらう。フランスの2人ともそこで再開。

画像43

画像44


ロシア人のおっちゃんがウォッカをグラスに入れてくれる。今まで飲んだ中のウォッカの中で一番美味いかも、飲みやすい。
スロベニア、フランス、ベルギー、ロシア、アルメニア、カナダ、地元の人と、凄く多国籍な空間。凄くアットホームなゲストハウスでいい雰囲気。そのあと中国の男の人も帰ってきて、本格的に飲み会が始まる。
中国からみた香港のデモについての話をしていて、個人的に凄く興味のある話題だったが、英語力の欠如により完璧に聞き取れないし会話についていけない。 警察と軍の違いの話などをしてた。もっと英語話せたらなぁと少し悔しさが。そのほかにも、各国の文化の話をしたりして盛り上がった。
夜の9時ごろから始まり夜中の3時までしこたま飲んで解散。
中国の人はトイレで吐いていた。笑 
楽しかったが、久しぶりに馬鹿みたいな飲み方をしたと後悔。

画像45

最後まで残っていた3人。

【8/11】

ひどい二日酔いの中無理に体を起こし、昨日飲んだ人たちに別れを告げる。

画像46

画像47

そして、エレバンへ。

画像48

バス乗り場へ行くと、今日はバスが休みなのでタクシーを使ってくれとのこと。
国境越えた移動にタクシーはありえないが、今日中にエレバンに到着しないとイラン行きの飛行機間に合わない。。
もうどうにでもなれと強行でヒッチハイクを決断。

画像49


エレバン方面に向かいそうな道を探して手をあげる。なかなか捕まらないが、通り過ぎゆく車がクラクションを鳴らして応援してくれるのが嬉しくて原動力になる。
初めは意外と順調で、シュシまで行くよといってくれたおっちゃんに連れられまずはシュシへ。その後、シュシからアルメニアのゴリスという街まで別のおっちゃんが乗せていってくれた。ヒッチハイクで国境を越えることができた。みんな優しくてありがたい。

画像50

画像51

画像52


ゴリスからエレバンまで目指すものの、2時間たっても捕まらない。止まっても法外な金額を請求される。途方に暮れていると、おっちゃんが4時からエレバン行きのバス出るよと教えてくれる。ゴリスのバス乗り場へ行くと、満席と言われ、空いたスペースに椅子を置いて座るなら乗ってもいいよとのこと。
結果的に半額程度のお金でエレバンまで向かえたしヒッチハイクもいい経験になったのでラッキー。

画像53

バスの出発までゴリスの街を軽く観光。

画像54

一緒のバスに乗っていた、日本のアニメが好きな中学生。

観光したり地元の人と話しつつ時間を潰す。
そしてバスに乗り込むと驚愕の光景が。

画像55


公開処刑のように思えるような粗末な椅子。
背もたれがなくて休めず、揺れるし睡眠できないしで地獄のようなバス移動。昨日の飲み会の二日酔いもあり、気持ち悪すぎてほとんど意識を失っていた。
夜9時ごろになんとか到着。食べないと流石に体を壊すと思い、tashir pizzaへ。免疫が弱ってなのか深刻な下痢になっている。下痢に加えて車酔いで気持ち悪すぎて、その日は帰ってきてすぐに寝る。

【8/12】

翌日早朝に起きてバスターミナルへ。バスに乗りトビリシへ。一度来た道を戻るだけだったのでほぼ何も感じずただただ寝ている。
着いてから近くの両替所でアルメニアドラムをラリに交換しておく。
mariamの家に到着。まだ腹痛は続く。
イランについてのプランニングを行い、シャワーも浴びて最後の晩餐。
ケバブ的なサンドイッチで美味しい。そして10日間お世話になった家を後に。mariamが車で空港まで送ってくれた。
最後から最後まで至れり尽くせりというわけで、感謝しかない、、

1ヶ月少々旅してきた中で断トツでジョージアが居心地良く過ごせたが、この家で過ごせたのが大きな変数だと思う。
安心できる住居と、美味しい食べもの、気兼ね無く話せる環境は居心地の良さと大きく結びつくことを知る。日本だと当たり前の環境だったが、比較してみて初めてわかった。

画像56


ジョージアから一度トランジットでアゼルバイジャンへ。空港に着くと、どうやら荷物が0kgしか持ち込めない設定で航空券を購入していることがわかる。追加料金を払わないといけないとのことだったが、スタッフが「gift for you」と出国許可のスタンプを押してくれた。非常にありがたい。
そして、まずはアゼルバイジャンのトランジットに入り込むことに成功し空港泊。


1章④アゼルバイジャン・ジョージア編へ       1章⑤イラン編へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?