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ベートーベンとコーヒー 豆60粒の真実

ベートーベンが大のコーヒ好きで、毎朝60粒の豆を数えて一杯のコーヒーを入れていたというエピソードは有名である

ちなみにこれは、ベートーベンの晩年に付き人をしていたアントン・シンドラーがベートーベンの死後に発表したベートーベンの伝記の中に書かれている

さて、ベートーベンとコーヒーの話は大変興味深いことが多い
今回はコーヒーを通してベートーベンという人をみていきたい

まず、ベートーベンとコーヒーについての記録について紹介する


ウィーンのホルン奏者・フリードリヒ・シュタルケが1812年にベートーベンを訪れた際の回想で「ベートーベン自らガラス製のコーヒー沸かしで立てる習慣があった」と語っている


医者のカール・フォン・ブルシー博士は1816年にベートーベンを訪れ「ベートーベンは書きもの机で一枚の楽譜用紙に向かい、コーヒーを沸かしているガラス製のフラスコを前にしていました」と語っている


ルイ・シュレッサーというダルムシュタットの音楽家が1822年にベートーベンを訪ねた回想録では「コーヒーは彼自ら最近考案されたコーヒー沸かしで入れ、しかもその構造を詳しく説明してくれた」と語っている

着目すべきは③のシュレッサーの証言である

実は、シュタルケとブルシーが訪れた時とシュレッサーが訪れたときには大きな違いがある。

それはコーヒー器具が変わっているのである

今から説明したい

まず、シュレッサーの証言の重要な点は
「最近考案されたコーヒー沸かし」という点である


これについて他で言及されている方もおられるが、僕も色々と調べてみた


17世紀、ヴェネチアの商人によってヨーロッパに持ち込まれたコーヒー
瞬く間にヨーロッパ中に広がり、ウィーンでもほとんどの人に飲まれていた

コーヒーの歴史については省くが、当時はボイル式と呼ばれる熱湯にコーヒーの粉をいれて抽出するものが一般的で、ドリップ式もあった

シュルタケとブルシーが訪れた際に使用されていたのはボイル式であろう

シュレッサーがベートーベンを訪れたのが1822年
その当時に「最近考案されたコーヒー沸かし」となると
「パーコレーター」と呼ばれる器具が一致する

1819年にローランという人に考案されたもので、改良されたものが1822年のイギリスでラボーという人が特許を取得している
同じタイプのタイプのものが1824年にフランスでカスヌーヴという人が特許を取得している
サイフォンが考案されるのはこの後になるのでサイフォンではない

ベートーベンがわざわざ構造を話したくなるという点からもパーコレーターと特定していいだろう

現在でもパーコレーターは人気がある器具だが、ほとんどが鉄製
しかし、当時はまだ鉄製ではなくガラス製であったようだ
ガラス製であれば、中が見えるのでコーヒーが沸く構造を説明しやすい


ベートーベンが飲んでいただろうコーヒーが飲みたい、、
切に願う僕は、パーコレーターを購入してみた
それがこれ

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構造は、ポットの中に管と挽いたコーヒー豆をセットしお湯を沸かすことで、沸騰したお湯が管を通って吹き上がって蓋にあたり、豆に落ちる
それによって抽出された液体が下に落ちる
それを循環させるというもの

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下手ながら図を書いてみた

こうしてパーコレーターでベートーベンの飲んでいたコーヒーを沸かしてみた
ベートーベンはどのようなコーヒーを飲んでいたのか

豆60粒説も含めて、次回に詳しく書いていきたい

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