言葉はどうして生まれたのか
言葉はどうして生まれたのか
結論からいうとわからない(笑)
昨日は、某大学教授の元を訪問し
音楽と言葉、歌についての話をしていた
お互いの考えや持論をやりとりしながら
「言葉以前に音楽があったのではないか問題」についても話す
授業でもなんでもなく、ただ教授の研究室で雑談的に話を繰り広げていたのが教授の深い知識にこちらは「なるほどー」と終始頷くばかり
結果、「まぁ、結論は出ないんだけど」と教授
そりゃそうだ(笑)
我々は、遠く昔にタイムマシンで遡ることはできない
なので、昔の出来事は残っている資料を元に想像することしかできない
岡ノ谷一夫さんの言葉の研究についての著書を教えてくださったのはこの教授だが、大変興味深い内容であった
岡ノ谷一夫さんは、ジュウシマツという鳥の鳴き声には文法があるという研究を発表された方で、以前にもこのブログでそれには少し触れた
著書ではわかりやすく説明されている
言葉はなぜ生まれたのかということに言及してるが、結局のところ人間ほどの言語能力を持ち合わせた動物は他にはいないということがわかる
文法やコミューニケーションの能力の高い動物たちでも、その伝達内容と言えば、求愛、食欲、喜怒、危険といったところにとどまる
思えば、人間はどうでも良いことまで言葉で表現し、表現できない場合は作ってまで言葉で表現しようとする生き物なのだ
にも関わらず、言葉は感情の全てを表現することはできない
それを何で補うのか
音楽である
しかし、あらゆる感情を表現し伝達するということのみにフォーカスした場合、言葉を持つ以前から岡ノ谷一夫氏が研究された動物たちのように声だけを用いて表現していた可能性もある
それを広義の意味で歌とくくってしまう
国によって特徴のある音楽の成り立ちは、その国特有の言語における抑揚の影響が見られる
その点において、僕はずっと言語によって音楽が形成され確立されたと疑いの目を持ったことがなかったわけだが、今では音楽が先にあったかもしれないという疑問を持ち合わせている
ただし、どちらが先という結論は出せない
先も述べたように昔のことは実際に見て確認することができないから
しかし、想像力を膨らませることで仮説を立てることはできるし、それは誰にも否定されることではない自由なことである
結論が出せないから思考を停止するのではなく、結論が出ないからこそ好奇心を持って想像力を働かせて過去の文献などの記録や他人お考えを聞きながら自分なりの思考を深めて真実に迫りたいと思うのだ
音楽を軸にあらゆる事柄を考察し思考を深め、自分の表現に生かしたい
今日はなぜにこんなにも文章が固いのか
久しぶりに大学なるところで教授と話をしたからに他ならないが、昨日は論文発表でもないのでざっくばらんに談笑していたのだが、どうも堅苦しい文章である