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よくわからんが、今も昔も音楽のあり方は変わらんのだと思うよ

遠い昔、音楽は小さなコミュニティの中で共有されるだけのものであった
西洋音楽、いわゆるクラシック音楽ももちろん例外ではない

ヨーロッパの地方修道院の修道士が数百曲もある聖歌を覚えるために旋律を記録するということから西洋音楽の発展は始まる
楽譜の誕生である

世界のほとんどの民族が持つ音楽は口承によるものが多い
記録されているものも多いが、コミュニティ内で共有するためのしるし程度のものである

修道院で生まれたということが大きい
神に捧げるための歌である
ただ楽しく歌を歌うということとは違い責任が発生するのである

また、宗教には謎の規律が多く存在するが、これも大きく音を記録するという行為に影響を与えている

日本でも雅楽などは神のためのものであるが、日本の場合は規律というよりは作法としての形式美が優先的に重要視されているように思う

また、邦楽などは正しい音を出して和音を奏でるというような機能よりも
主となる奏者に合わせてなんとなく合わせるというヘテロフォニックに演奏することで具グルーブを共有して楽しむ要素が強い

一つの旋律を皆でなぞりながら、各々がテンポや音程をずらす手法であるヘテロフォニーは、アジアの民族音楽に多く見られるものらしい

左から右に書かれる文字の上に音程の印をつけることで始まった楽譜の記譜であるが、文字が左から右にに書かれるものだったということも大きいだろう
これは偶然なのだろうか?
文字に関する記号学についてはわからないので知っている人がいれば教えて欲しいところ

すなわち、左から右への横の動きは時間軸で縦は音程の高さというグラフィックな設計で作るれたことが音を視覚的に読み取りやすくし、その後の音楽の発展に大きく影響する
というよりも、今日のDTMにおける音楽の入力方法に至るまで同じ原理が使われていることのすごさを考えればとんでもない発明である

日本のような縦書きの記譜では絶対に無理であっただろう

しかし、何かにつけてクラシックを持ち上げるわけだが、それは楽譜の発明やコードネームなど音楽の基礎となるものを作り上げてきたからに他ならないが、これらは修道院から発生する一音楽にしかすぎず、ヨーロッパにはその他にもたくさんの音楽があった

世俗音楽と呼ばれるもので、人々は酒場で酒を飲みながらギター片手に弾き語りなど好きに音楽を奏でた
そうした音楽たちは今も一ジャンルとしてしっかりと受け継がれているわけだが、当時は紙は貴重なものであり、紙で記録すること自体が特権階級に許されたものだった

そうした小さな偶然や当時の状況が重なって音楽は発展し今日に至る
そういった歴史的な背景を見ながら、テクノロジーの発展など世界は進んだ今

あー、また長くなった
話が脱線してしまって肝心なことに触れていなが話をたたもう

SNSは世界とアクセスできると言いながらも小さなコミュニティを形成し、その中で情報を回すやりとりを見ていると(もちろん自分も含めて)、
楽譜が読めずとも楽器をかき鳴らして好きに音楽を発信できる現在の状況は、音楽が小さなコミュニティの中で営まれていた頃に原点回帰しているように感じる

悲観的意見ではなく、むしろさらに音楽が大きな発展が起こりうる前兆とも受けとれて、これから自分の音楽のあり方も含めて考えることは多く楽しみで仕方ない


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