いつの時代も好いた腫れたを歌うJ-POPは通過儀礼で、最後には小指を噛むのだ
ラジオから「自転車で君に会いに行く」といった内容の歌が流れてくる
誰の曲かはわからない
「この手の曲はどの時代でもあるのだな」とふと思う
世代によって聴く歌の詞の内容は違う
20代は20代に響くもの、30代は30代
以前、友人が「バンプオブチキンが昔は好きだったが最近の曲は昔と変わってしまって良いと思わない」
という話になったが、バンプオブチキンは依然として支持されている
バンプオブチキンは今も昔もある年代に響く音楽を作りつ続けていて、聴き手が大人になることで響かなくなってしまったのだと思う
つまり、人間の成長に合わせて聴くものは変わるということだ
アーティスト側も自身の成長に応じて歌詞の内容が変わってくる
独身時代から結婚を経て子どもが生まれる
と言う過程を辿ると内容もそういう変遷を辿る
それを踏まえて世代別で見ると
20代まではなりふり構わず青春全開の好きで好きでたまらないといった感じ
30代は少し落ちついて恋の駆け引きとか始めた大人の恋または恋から愛について、なんだったら本当の愛を探しに出ちゃったりする
40代は1人だけではなく家族を含めた大きな愛について歌い出す
50代は人生の終わりも見えてきて、過去の恋なんかを引っ張り出してきて不倫とかしちゃう
よくわからないけど「あなたが噛んだ小指が痛い」とか言い出す
小指なんか誰に噛まれても痛いけどな(そういうことではない)
60代以降は死について真剣に向き合ってみたり
まぁ、独断と偏見だし
「そんなことはないぞ!」と反対意見もあるだろう
社会的なことを歌う人ももちろんいるし、フォークが流行った世代というのは高度成長期で社会が混沌としていたというのもある
社会情勢というのも反映されることはよくわかる
そんなフォーク全盛期でも「僕の髪が肩まで伸びたら結婚しよう」なんてラブソングがヒットするというのは非常にお気楽な感じはするが、、
世界的に見ても中世ヨーロッパなどに残る世俗音楽なんかは色恋を歌っているものが多いのだけど、これについては辛い社会状況からへ現実逃避するためにあえてそういう内容を歌ったなどと色々な事情が含まれているのでなんとも言えないが、とにもかくにも色恋の歌が人にとって大切だということなんだろう
年をとると、若い人が聴く音楽を「昔にもこんな歌があった」とか思ったりするわけだが、それはそのはずでその時代、世代に合わせた音楽が必要なわけだ
ずっとミスチルだけ聴くわけにもいかないっしょ
サザンは一貫して君と濡れてばっかりだけど
先にも述べた通りアーティストも成長するのでね、同じような音楽でも代弁者を変えなくてはいけないのだ
つまりは通過儀礼的な音楽があって、それを歌わせる側を変えていく必要があるということ
本なんかで何歳になったらこれを読むみたいのあるけど、そういうもんだよね
一番わからないのは、なんで小指を噛むのかってことなんだけど、、
年取ったら小指噛みたくなるのかなぁ(しつこい)
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