見出し画像

【長編小説】いつかの月ひとめぐり # 7

◇この物語はフィクションです。不定期更新、全31話予定。


第7話 レイ

 かつて俺専用の領域だった八畳間に所狭しと敷布団を並べ、俺、伍香いつかそれから悠希ゆきと川の字をつくり寝て、3日目の夜が過ぎていった。もうゴールデンウィークなのだしさすがに早朝起こされることなんてないだろうと安心して、自然光で部屋が明るくなり始めてもうつらうつら……。

「パパ、悠希さん、さっさと起きて! 今日はお布団干すんだから」
「うぅ……、伍香。今何時だ?」
「6時半! 午後は雨になるって天気予報でやってたの早く起きて!」
「うへぇ。おい、悠希。……悠希? どうした、悠希」
「えっ。どうしたの、ねぇ、ねぇ悠希さん?!」

 動かない悠希を、伍香が覆いかぶさるようにして覗き込む。とその時。

 ガバッ!

「わっ!」
「つーかまえたっ! 伍香ちゃん、いいニオイがするぅ」
「ちょ、ちょっと。元気ならさっさと起きて、ご飯食べてください。あと邪魔だから食べたら散歩でもしてきて」
「アラぁ、つれないわ」

 悠希がパッと身を離すと、一つ溜息をついたあと布団のシーツを慣れた動きで全部剥がして、伍香は鼻息荒く去って行った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 アジの開きをメインとして、納豆、海苔の佃煮、味噌汁、ご飯というお手本のような構成の朝食を終え、やにわに部屋へ戻りゲーム機に手を伸ばそうとする悠希を引っ張り出す。午前早めの空は晴れていて、まばらな雲が風に乗って空を悠々泳いでいる。遠景にあるラスボスのダンジョンにかかるような主張激しめの分厚い黒雲が、午後の雨降りを仄めかしていた。

「まだちょっと警戒されてるのかなぁ」
「いやいや会ってまだ2日目だぞ。一応年頃の女のコなんだぜ。同性だとしても距離詰めるのが早過ぎんだよ」
「だって、私はたけしと違ってもうココに来られないかもしれないんだもの。絶対に伍香ちゃんと友達になって帰りたいの。あ〜ぁ、嫌われてないといいけど」

 しんどい上りの道を避けて適当にブラブラ歩いていると、どうしたって海岸に行き着いてしまうような狭い世界だ。海が自分の行く末を阻む壁であるかのように感じて、俺は小さな頃からずっとこの景色を嫌っていた。ただ外の世界が見たかった。だから長野の大学を出たあと、嫌いな海の存在しないその場所に留まった。結果として俺の世界は広がることも膨らむこともなく別の小さな場所を転々としただけ。

「毅、犬!!」
「ワン! ぅワンワォン!」

 俯いていたところから視線を上げると、真っ白毛むくじゃらの大型犬が明らかな敵意をもって駆けて来るじゃないか。リードがついてないぞどうなってんだ。手元に武器などない。手頃な長さの枝木も落ちてない。避ければ後ろにいる悠希が危ない。かといってあの白色魚雷を真正面から受け止められる気もしない。

「ワンわん! ワぅワンワン!」

 吠えながら猛然と迫ってくるデカイわんこに対し、とりあえず両手を前に出して何らかの抵抗の意を示す。いや無駄だなサヨナラこの小さな世界。

──ドゴオッッ!!

 真横から現れたもう一つの影が犬の側面にぶつかり勢い余って白と青、ふたつの塊はゴロゴロ転がりながら俺たちの脇を通り抜けていった。

「なんだぁ? どうなってんだ……」

 俺も悠希も姿勢を低くして身構えたまま、盛大に立ち昇る土煙の向こうをじっと見つめる。やがて濃くなった影はパッと離れ向かい合う。

「ガゥ! バぅワウッ!」
「グルルルル、ガォッ!」

 人間だ。おそらく人間。青いジャージで全身を包んだ背のちっこい奴が、自身とそう変わらない大きさの犬に対し吠え続けている。

「え、何ナニ。なんか始まった?」

 悠希が俺と同じ気持ちを口にした。一体全体何が起きてるってんだ。

「ガァッ!! グルワぁァオァぁッ!!」
「ワぉ……ゥぅ……」

 青ジャージのすんごい剣幕にドン引きした様子の白わんこは一転、ゆるやかに闘志を失いシュンとして首を垂れ、くぅーんと鳴いた。

「分かればええんよ。さ、おウチに帰りぃな」
「クゥーン……」

 去って行く。だんだん小さくなる犬の尻を見届け、青ジャージはこちらへ振り向いた。強い陽射しを受けて茶色に輝く長髪がふわりと浮かぶ。そいつは仁王立ちのまま腰に両手をそえて高笑い。

「にゃはははは! 大人のくせに、コロ助ごときでビビってやんの。アイツにはヒトをかむほどのドキョウなんてないやぃ」
「その割には本気で闘ってたじゃねぇか」
「ふふふ。あれはああいうア・ソ・ビ。なんていうのかな、ホラあれ、えっと、なんだったっけ」
「ねぇ、予定調和かな?」
「よて……ナニソレ」

 悠希の助言にキョトンとしている青ジャージは、よく見ると中学生くらいの背格好だ。このくらいの歳で覚える言葉、かつ最初から結果が決まっているのにやってる感だけ醸し出しているとなれば。

「ヤラセ、か」
「ぁそ〜うそうそう! さっすが天使てんしパパ! えっと、あれ、あの、……さ、サッシがイイね!」

 なにゆえわざわざ難しい言葉を使おうとするのか。あとテンシパパって何だ。などと不思議なやり取りをしていたら、伍香が小走りでやって来た。

「パパ、おじいちゃんが呼んでる。ちょっとだけヒロくんの見舞い行くかって。もう出る気みたいだから早く来て」

 伍香に視線を移した瞬間、後ろでドンと重低音が響く。見るとさっきまで青い奴のいた場所から土煙がモウモウあがっており、その姿は塵となり消え失せていた。

「どうしたの?」
「ついさっきまでココに、青いジャージを着た女のコがいたんだ。犬の攻撃から助けてくれたんだけど妙な事言うだけ言って消えやがった」
「あぁレイちゃんね。気にしなくていいよ。朝のランニング中だと思う」

 すべてを理解しているかのように、伍香は悠希の手を引いて颯爽と戻っていく。俺はキョロキョロ身体を捻ったり首を上げ下げしながら、さっきのレイとやらが空海地上木の陰その他どっかにいないか探しつつ、ふたりの後をついて行った。これが狐につままれた様な気分ってやつなのか。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「俺らは留守番してる。伍香を連れて行ってやってくれないか」

 クリアベージュのメタリックカラーを纏ったセダンの前で、いつも通り無表情な親父は軽く頷く。このあとおそらく、ごく短い言葉を返してくるはず。

「わかった」

 省エネの帝王のような短い返事のあと、親父は運転席に乗り込みエンジンをかける。この場に居ない母さんは、すでに朝市にでも出掛けたのだろう。続いて助手席側のフロントドアを開けた伍香が何かを思い出しこちらへ向き直る。

「パパ、ご飯とお味噌汁ならあるよ。あとは冷凍の唐揚げでも出して食べてね。それと、雨が降る前にお布団取り込んどいて」
「あいよ」

 俺が父親譲りの短い言葉で応答すると、伍香は首をわずかに傾け心配そうに困り顔で微笑んだ。どうやら信用されてないらしい。助手席側のドアがボンッと閉まるやいなや親父はセダンを発進させた。伍香がシートベルトを締めるのすら待たない気の短さは相変わらずだなと苦笑してしまう。

 走りゆく車を見送って、俺と悠希は野月家に入った。軽く伸びをして、首をコキコキ鳴らす。欠伸をしようとしたら悠希も同じ動作をしているのがなぜか少し可笑しくて吹き出してしまった。

「どうしたの?」
「いやぁ、俺たちここで何してんだろうって思ってさ。親父と伍香の話をするために来たはずなのに、タダ飯食って、寝て、今日はお前と留守番してんだもんな」
「そっか、私だけで留守番させられないからアンタも残ったんだね。私も一緒に行けばよかったのかな。あっ、お兄さんに口止めしなくて大丈夫?」
「兄貴にはライン送っといた。まぁ、そのうち言わなきゃなんねぇからどっちでもいいんだけど。さぁて、車ならそんな遠くもないしすぐ戻って来んだろ。悠希はゲームでもしてろよ」
「いいの? 毅が布団見守ってくれるなら、ありがたくそうするわ」
「ここじゃあ、やることないからな。空の色見ながらログボでも取るさ」

 悠希は俺の部屋へ、俺は縁側へ。生暖かくゆるい風により物干し竿に掛けられた重たい布団3枚がユラユラ揺れている。分厚い雲が遠景を埋め尽くそうと肥大化し続け、空を侵略していく。あと1時間もつかどうか……。

「クンクン、雨の匂いがしますなぁ。もうすぐ雨がふるでしょう」

 縁の下から甲高い声を響かせ、青い人影がポンと浮き上がってきた。

「おわっ! ビックリさせんな。大体お前、どっから湧いてきたんだ」
「そっちの枝から屋根に乗ってぇ、あっこから飛び降りてぇ、そんでもって床の下くぐって来た! ヘビがいたよ!」
「おぉ、俺も小さい頃は下に潜って……じゃなくて。チャイム鳴らせ」
「こうしないと天使に見つかっちゃうんだ。天使と目が合うとアタイ心臓がバクバクして止まらなくなるんだ。今は天使おらんみたいだけど」
「心臓止まる方が大惨事だけどな。お前、レイって言うのか?」

 青ジャージはえっへんと胸を張り、両腕を組んでニカッと笑顔になる。非常にエラそうな態度だ。そして鼓膜を激しく震わすような高い声を庭中に響かせる。

「アタイは洲本すもと玲我れいが! 天使パパよろしくゥ!」
「天使ってもしかして伍香のことか。どうして俺が伍香のパパで、戻って来てるって知ってんだ。あとなんでココに忍び込む?」
「色々ききますネェ……」
「ねぇ毅。お昼は冷凍唐揚げにする? 冷蔵庫の野菜室に色々入ってるからなんか作ろうか。あら、さっきのワンコちゃんじゃない」

 また逃げられることのないよう、俺はじっと凝視したままレイからの答えを待っている。悪いが今は悠希の質問に答えている場合じゃない。コイツの正体をなんとしても暴いてやらねぇと。

「2対1、どうやら今回はアタイの負けみたいだね。必ずリビ……ええと、リバ……、う~んもういいや。またなっ!」
「おぉい質問に答えてから行けよ! あと多分それリベンジな!」

 レイは踵を返し、手を軽く振りながらタタタッと小さな黒い正門の方向へ走りゆく。来るとき無作法なくせに帰りだけ行儀が良いのはどうしてか。

「不思議な子。伍香ちゃんの友達かな」
「せわしねぇ奴だよな。あっ、やべ! 雨降ってきた!」

 俺と悠希のふたりで大慌て。協力して布団を一枚ずつ取り込み縁側へ投げ入れ、母さんが干していったと思われる大量の服やら下着やら靴下やらも抱えるようにして家の中へ。危うく伍香からの評価がダダ下がりするとこだった。つーかそもそもマイナス圏にいるって可能性。

「うわぁ、ザーザー降り。青いワンコちゃん濡れてないといいけど」
「そうだなァ」
「おやおや? アンタが他人の心配するなんて珍しいね」
「なんかあいつ誰かに似てる気がすんだ。洲本……、すもと……。この名前も聞き覚えが……、誰だっけなぁ。母さんに訊いてみるか」

 本降りになった雨は、あっという間にあちこち水溜まりを作り出す。町中の埃を洗い流すかのように満遍なく濡らし、やりたい放題したあと、午後3時ごろには北東へ抜けていった。雨後のむぁっとした空気にうんざりしながら縁側で寝そべりスマホをいじっていると、親父と伍香、それになぜか母さんも乗せたセダンが戻ってきた。途中で合流したのかな。自転車どうしたんだろう。ま、いっか。

「パパただいまぁ。ヒロくん眠そうだったけど元気だった。良かった」
「そっか。薬が効いてんだろうな」
「お布団、ありがとね。そうそう今日はすき焼きだよ!」
「マジ? すき焼きなんて久しぶりだぜ」

 にっこり笑って玄関の方へ走って行く伍香は、どうやら俺の話を兄貴から聞いてないのだと思われる態度だった。安心して長めの息を吐いていると続いて親父が近付いて来る。いつもピクリとも表情を変えないその顔からは、何を考えているのか全くイメージできない。とりあえず身を起こし、どんな言葉をかけられても反応できるよう構えてみる。

「毅、夜少し話そう」
「お? ああ、伍香のことか」
「そうだ。あと……」
「あと?」

 親父はぷいっと視線を逸らして、答えることなく歩いて行った。

 ……どいつもこいつも、ちゃんと答えてから行けよなぁ。


この記事が参加している募集