『夜と霧』を読んで 2024/4/23

こんばんは。料理にハマっているももこです。

今週読んだ本は・・・『夜と霧』著:V.E.フランクル 霜山徳璽訳 です。

心に残った文章↓

「どんな文章も、どんな写真も、小屋の外に展開していた恐怖を実感をもって証明することはできない。そして、その恐るべき光景は小屋の内部ではさらにひどかった」

夜と霧 p25

この収容所の全組織の目的はたった一つでした。それは私たちのヒューマニティと人間的良心を破壊することだったのです。意思の弱い人は最低のモラルにまで堕落し、単なる内の存在となり果ててしまいました。

夜と霧 p18

「ここは地獄よりもひどい」これが彼女の言葉でした。

夜と霧 p64

夕方にわれわれは人差指のこの遊びの意味を知った。それは最初の選抜だったのだ!すなわち存在と非存在、生と死の最初の決定であったのである。われわれ輸送された者の大部分、訳九〇パーセントにとっては、それは死の宣告であったのである。

夜と霧 p88

囚人は考えられない程の劣悪な栄養不足に悩まされねばならなかったから、当然のことながら収容所における「低下した」精神生活の原始的衝動性のうちでは食欲が中心になった。

夜と霧 p112

ユーモアもまた自己維持の」ための戦いにおける心の武器である。周知のようにユーモアは通常の人間の生活におけるのと同じように、たとえ既述のごとく数秒でも距離をとり、環境の上に自ら置くのに役立つのである。私は数週間も工事場で私と一緒に働いていた一人の同僚の友人を、少しずつユーモアを言うように教え込んだ。

夜と霧 p132

どうせ死ぬことが決まっているのなら、私の死は意味をもつべきであった。

夜と霧 p140

すなわちカポー、コック、収容所倉庫管理者、「収容所警察官」などの人々であるが、彼等すべては原始的な劣等感を補償していた。すなわち彼等は一般に通常の囚人の大部分のように自分が貶められているとは決して感じてはいないのであって、反対に出世したと思っているのであった。

夜と霧 p161

感想
夜と霧という本を皆さんは読んだことがあるだろうか?この本の著者は心理学的視点で収容所で生きのびた人とそうでない人の違いを分析しており、とても納得しやすく読みやすい本であった。
彼自身も収容所に「輸送」され、指差し振り分け(いわゆる右に行けば死、左に行けば生存)の検査を通過したのだ。アウシュビッツ収容所で労働させられる中、彼が生きのびることができた一つの神髄は本の中にあった。
すなわち、「今」に意味を見出すことができるかということが言いたかったのだはないかと私は思う。
著書のなかで、戦争は5月31日に終わるという夢を見たという収容者がいた。実際にそのお告げを信じていた彼は、5月31日になっても戦争が終わらなかったときに意気消沈し、のちに亡くなった。また、クリスマスからお正月にかけての間にはこれまでに見ないほどの収容者たちが絶望とともに死んだという記述があった。
彼はこのエピソードに関して、彼は未来における希望が実際にそうでなかった(覆された)ときに、その反動で人は絶望するという見解を述べていた。
クリスマスまでには終わるだろうとされていた戦争が実際に終わらなかったとき。人々はみな同じ期待を抱き、同じ絶望を味わわされ死んでいく。結局「今」よりも「未来」に期待をしすぎた余り、そのギャップに抵抗する免疫がないのだと感じる。とても興味深く、納得した。

私はアウシュビッツ強制収容所に関する本を数々読んできたが、この本は一番生々しく、憎しみと感情がリアルに供述されていて感情移入してしまった。「生存と非生存」ということばが胸につっかえたように、彼らは輸送され、いわゆる死の門をくぐりぬけ、右か左かでガス室生きか、労働地獄かを決めつけられる。たとえ生存の運命を授けられても、ぼろきれを着せられ、冬場は足がかじかむなか雪の中に立たされ、全員がそろっているかの点呼を全員が揃うまで行われ、重い荷物をまるで「骨と皮膚」だけの全員で持ち、独りがふらつくと彼を助けることも誰もできず、人体実験が行われ、人食がはびこり、脱走を企て、電流が流れる柵に囲まれ、誰も助けてはくれず、一日にわずかのパン一切れと、味のしないスープを心待ちにし、夜はみんなで密集してたった一枚の毛布で寝る。
そんな生活だとしても、彼らは生存の道を勝ち得ることができた。運命っていったい何だろうと私は思った。
だからこそ幸せなのか、とも。
この小説の中であった、同じ収容所仲間のなかには悪い奴もいたし、反対に敵であるドイツ兵の中にも自分のポケットマネーで薬を手に入れてくれる善人はいた。という記述があった。
一概に「人の善悪」は環境で決まるわけではないというところも、人間の性善説に対する見解が述べられていてとても考えてしまう内容であった。
私はこのような歴史を忘れたくないし、もっともっと学んでいきたい。
そしてこれを自ら学ぶ人たちがもっと増えて、決して風化させないでいけたらいいと思った。


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