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分厚い雲の下

分厚い灰色の雲が伸ばせば掴めそうな位置まで垂れ込めている。ニュースでは「この春最初のまとまった雨になるでしょう」と言ってた。夕方6時半、あたりはまだうっすら明るさが残る中に雨が止んだ時間を見つけた。今日は本当は走る気はなかったけれど、気が向いたのでさっと着替え、ヘッドライトを頭につけ走りに出た。いつも登る裏山(バックヤード)は分厚い雲の中だ。

私がいかに運動が嫌いかは以前長々と文章にした。

大人になりトレイルランニングからランニングを再開した私、その練習の8割以上をトレイルで行う、からすればロードはそのランニングの嫌いな部分における象徴のようなもので、若干敵視していると言っても過言ではない。多くのランラーがその練習の中心がロードであることや、速さの中に自己への挑戦を見出し、トレーニングを積んでいるランナーには大変申し訳なく思うのだが、やはり苦手というか好きでないものは好きでないのだ。ましてや自宅から数キロにトレイルの入り口がある暮らしの中では尚更だ。

そんな私がロードを走る時の優先事項は「何も気にしない」これだけだ。いつものようにGPSウォッチも起動させる。でも見ない。自由に進みたい時はシューズもルナサンダル。フォームもタイムも何も気にしない。ただその日、その時、走りたいテンポ、好きな速度で、好きな距離を。ただ大切にしているのは体から感じるいろんなフィーリングだけだ。足の裏の感覚、空気の重さ、自然の音、自分の体について。時折ふと立ち止まる。すっと自分の周辺から音が消えた感じがする、一瞬の静寂。そしてまた走り出す。その一瞬の静寂がとても好きだ。

スポーツと捉えると何かと難しくなる(したくなってしまうが)が、実はただそれだけ、ただただその程度でいいのだと思う。4kmほど走り部屋に戻ると湿った重たい風が少し強く吹き、雨を運んできた。走りに行ってよかったと思った。悪くないフィーリングだった。

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