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【ライブレポ】PEDRO - 台湾フェスタ2024野外フリーライブ(2024.07.28) ~ 音楽は憤っている。包み込むような優しさとともに

※マガジン説明にもあります通り私のライブレポは当日の「セットリスト」に正確に漏れなく忠実に触れてそれぞれに解説・所感を書くような性質ではないこと事前にお断りいたしますmm

暑いっスね汗

私は個人的な事情もあり、もう心身ともにヘロヘロです…。

「一日一枚は新譜を聴く(+自分が聴きたいアルバム1,2枚)」

をモットーに長くやってきたのですが、なにせ真剣に聴くもんで、集中力・気力を必要とするのですが、もうそんな力無く、ボクともあろうモノが「アルバム」はここ最近聴けていませんでした(シングルとか、EPなら何日かに分けて聴いてますが…)。

つまり、

「40分越えの音楽を連続して聴けていない」

ということです。

すいません。スゴい個人的な話をしてしまいました汗

では、肝心のライブの方のレポートを書きたいと思います!

まず、ボクは、いわゆる音楽の「 #夏フェス 」とやらに「お金を出して」行ったことがありません。

なぜか?

●たいていは野外で暑いし疲れる
●音が悪い(野外だから?技術的な問題?)
●好きなアーティストの演奏を長尺で聴きたい(フェスはだいたい一組40分程度?)
●陽キャが集まるイメージに嫌悪感(←偏見)

等々

しかし、この季節、別に音楽フェスだけではなくて、いろんな趣向のフェスが多く行われていて、そのフェスのゲストとして(だいたいそういったフェスにはステージがあって、色々な方のマイクパフォーマンスが楽しめる)、ミュージシャンが出演することが多いですよね?

そういった情報をつぶさにチェックしていると、もしくは好きなアーティストのSNSをチェックしていると、そういったフェスのゲストとして「 #無料観覧 」出来るライブを行う、ということも、結構あります。

実際、私はそういった #無料ライブ へは、都合をつけて何度も行ったことがあるので、あまりご存知でなかった方にはオススメです!(無料フェスなのでお酒や食べ物を買わないと、ちょっとマナー違反な気もしますが、そこは個人の判断で…)

すいません汗またスゴい脱線してしまいました…。

というわけで、つまり、先日、 #代々木公園 にて開催された「 #台湾フェスタ2024 」の野外ステージに、元 #BiSH メンバーの「#アユニ・D 」さんの、BiSH在籍中(解散前)には自身のソロプロジェクトとして立ち上がり、現在はご自身の活動の中心であるバンド「 #PEDRO 」がゲスト出演して、#無料ライブ を行ったので、私、行ってきました!

では以下ライブレポ!

★★ライブレポ★★

用事を済ませて開始時間ギリギリ5分前に会場に到着すると、既にPEDROが演奏し、アユニさんも歌っていることに驚きました。

これは、とても珍しい光景だったのですが、野外ステージで、フェス会場(公園)からステージへフェンスなどの敷居がなく、また、ステージ付近へ近づくのに、何の規制も無いので、つまり、

#公開リハ

をしていたのです!

なので、ステージでは皆さん真剣にサウンドのチェック「作業」をしているのに、観客は既に「ライブを楽しんで」いて(コールしちゃったりして笑)、その空間が、メジャーアーティストとして、なんともシュールな光景でした!

そんなこんなで、そぞろにPEDROの皆さんはステージの袖にはけ、交代するように、公開リハなんて無かったみたいに、司会の方がやおら現れて、

「実は、今回、特別な、ゲストがいま~す!今、話題沸騰の、バンド!PEDROの皆さんで~す!」

みたいな白々しい司会笑を合図に、これまた、先ほどの公開リハなんて無かったみたいに「はじめましてどうぞ」みたいな雰囲気で(ついさっきまで観てたぞ笑)、PEDROが登場しました。

私のライブレポは、皆様(なぜか)関心のセトリには、ほとんど触れないので、

「どんなライブだったか」

ということを書くのですが、

今回の無料ライブ(そういえば「フリーライブ」って記載したり呼称したりする事多い気がするのですが、「フリー」って英語だといろんな意味あるし、これ和製英語だとおもうですけれど、意味曖昧じゃないですか?なんでぼかすんだろ?)、について短めの文章で表すなら、

「PEDRO第三章が既に始まっていることを実感させるライブ」

でした。

ここで、

「第三章?だって休止前が第一章だろ?でメンバーチェンジを経た復帰後がまさに今で、今は第二章だろ?」

と思われた方も多いと思います。

確かに、キャリアやメンバーといった目線で見たとき(普通はそう見るのですが)、上記のようなご指摘はごもっとも、というか正しいでしょう。

しかし、私はこの日のPEDROのパフォーマンス、特にアユニさんのパフォーマンスを観て、私が復帰後に実際に観に行った武道館の2days(つまり第二章)とは、異なる、というか、さらに強くなっている傾向を感じました。

それは、

「アユニさんは憤っている」

という点であり、また同時に、

「アユニさんは我々を救おう、少なくとも励まそうとしている」

という点です。

具体的に、パフォーマンス的にどういった部分だったのかを指すことは、こんなこと名言しておいてとても難しいのですが、挙げるとすれば、

●歌唱が激しくもしくはおとなしくなっている
●歌唱だけでなくアクションも激しくもしくはおとなしくなっている
●総じてパフォーマンスが自然体であり(過去のドキュメンタリー映像でみられた(試みていた)ような)「演出」のような要素が無い

で、これは実際のパフォーマンスではないのですが、

●アユニさんの超高頻度のSNSでの「自身の発信」の内容がパフォーマンス観覧時にサブリナル的にフラッシュバックしてきて、得も言われぬ「エモい」気分になる

といった要素が、その理由です。

歌唱パフォーマンス自体は、今流行りの、いわゆる「エモーショナル・アーティキュレーション」であったり「エクスプレッシブ・アーティキュレーション」と言われるような、具体的にはYOASOBIの「アイドル」やAdoさんの曲(歌い方)でみられるような、

「楽譜では表現しきれない微妙なニュアンス」

を、アユニさんも取り入れて歌唱する傾向が強くなっていて、それが楽曲の「激しさ」だったり「寂しさ」だったりを、以前よりも、そして以前の楽曲でも、より強く表現しているように思います。

で、私がパフォーマンス自体よりも注目していて、PEDROが「 #第三章 」に入っている、と思う最大の要因が、最後に挙げた、

●アユニさんのSNSでの発信の頻度が格段に増えた

という点です。

本来、ミュージシャンは、読んで字のごとく、「音楽」で「自身」を語るモノです。

従来は、メディア露出が多く音楽以外の「自身」についての発言が多かったり、自身の楽曲に「セルフ・ライナーノート」を書いたりすることは、「御法度」もしくは「リスキー」な行為だと捉えられていた気がします。

なぜかというと、それをやっちゃうと、「自身」が「音楽」で語る「ミュージシャン」ではなくなってしまう可能性があるからです。

しかし、今のミュージシャン、特に若いミュージシャンは、もちろん全然そうしない人もたくさんいますが、SNSなどでプライベートな「自身」を発信している人が多くなっているような気がしています。

そうやって発信された「自身」は、結果的に、そのミュージシャンに「ストーリー」を与えます。つまり、そのミュージシャンが、その音楽活動における、ロール(役割)を担うというかたちになり、そのロールである自身(たち)が奏でる音楽は、単なる楽曲を越えて一つの「ストーリー」を持ち、一つの「世界」が立ち上がるように思います。

こういった意味において、今のアユニさんそして従えるPEDROは、

「第三章に入っている」

と感じているわけです。

もちろん、以前のPEDROも、アユニさんの特質上、「成長物語」的なドキュメンタリー映像が多く「制作」され、意図的に「ストーリー」を立ち上げていたことは事実だし、それを観てボクも、アユニさん、そしてPEDROに魅力を感じたことも事実です。しかし、今のアユニさん、そしてPEDROはもっとプロアクティブ、つまり「他人に作られた」ものではなく「自身で作っている」という雰囲気があります。

そういった意味で、以前のPEDROとはまた違った魅力が、第三章のPEDROにはあると思います。

その具体的な魅力が、

「アユニさんは憤っている」「アユニさんは我々を救おう、少なくとも励まそうとしている」

という風に、私には感じられます(SNSチェックしているので汗)。

今回の野外無料ライブは、そういった新しい魅力を、ヒシヒシと感じさせるライブでした。無料ですけどね汗(ちなみに私はグッズ買いましたとも!)

ところで、最近、ネットの記事で、ようわからん音楽ジャーナリスト(ミュージシャンなのか?)が、

「最近のロックには『怒り』が足りん!けしからん!」

みたいなことを言っていたのを読んだような読んでないような笑、気がするのですが、そもそもなんでロックは怒っていなきゃいけないんですかね?

「反抗の音楽」だから?

私はその考え方はあまりにもステレオタイプ過ぎると思います。

諸説ありますが、ロックの起源をエルヴィス・プレスリーとしましょう。

確かに彼の新しいスタイルは、世の大人たちの反感をかいました。下品だとか卑猥だとか教養がないとか。

そして、彼の音楽を好んだもしくは共感した若者たちは、そんな大人たちに、「反抗」的な態度を示しました。

しかし、よく聴いてくださいよ?彼の音楽のどこに「怒り」なんてあるのでしょう?

私にはわかりません。

彼の音楽は極上にかっこよくて、かなしくて、やさしいしらべであり、その中に「怒り」を見いだすことなんて、私には出来ません。

「ロック=怒り」

と思っている人たちは、歴史的観点で頭がおっきくなっちゃって、音楽自体を聴いていないのではないでしょうか??

でも、「怒り」というか細かい日本語のニュアンスですが「憤り」が、音楽にパワーを与えることは事実だとも思います(エルヴィスもそう)。

そういった意味でいっても、先のジャーナリスト?のおじさん??は、履き違えています。

今のロック、さらには音楽は、明らかに「憤って」います。他の「表現」にも言えるかもしれません。

ただ、その「憤り方」が、新しい価値観に基づいているため(詳細は省きますが)、おそらく、価値観がアップデートされていない彼らにはわからないのでしょう。

そして、これはこの新しい憤り方に付随するのですが、彼らは憤ると同時に、

「包み込むような優しさで」

私たちに許しを与えてくれてもいます。

今、そう今は特に、ロックに限らず音楽に出来ることの一つは、そういった許しを、人々に与えることです。

「わかるよ」

「辛かったね」

「大丈夫だよ」

と。

それにしても、 #台湾フェスタ 。スメルが台湾台湾しててスゴかったです笑
私は台湾行ったことないですけれど、行ったらマジであんな感じなのかなあ、と、台湾がお好きだったり、興味がある方は、来年もあったら要チェックですよ!

余談なんですけれど、
基本的には、ボクはアユニさんを1人のアーティスト、つまり表現者として魅力を感じているし、尊敬もしているのですが、まあボクも野郎ですから笑、アユニさんの外見内面の美しさや可愛さにももちろんゾッコンなわけですけれど汗、この日のライブのご衣装がまあ素敵で、エアリーなスカートにキュートなカチューシャ!という感じだったのですが、カチューシャの具合が良くなかったのか、一曲が終わったタイミングかな?いずれにしても、早々にカチューシャを取ってしまったのは、まあ、潔くて、そこもまた「ロック」ですよね(カチューシャに憤る笑)!

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