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それぞれの正解。

最近、約束していた姪の結婚式のビデオを編集しました。
9年ほど前には甥の結婚式の撮影をして、それも仕上げました。
 
完成したこの2本の結婚式ビデオを俯瞰で見てみたら、この間に僕が得たものと失ったものがとても浮き彫りになった気がしました。
 
9年前のときは、僕が映画を撮っているっていうことで撮影を頼まれた感じでした。
でも映画と、結婚式のビデオを撮影することは全然違います。
脚本に沿って、ワンカットずつ、テストして、本番、リテイクしながら撮影して、それを編集で繋ぎ合わせて作る映画と、その場で起きていることをリアルタイムで撮影して仕上げるものでは、カルボナーラと煮卵ぐらい違います。
 
9年前はその説明をしても誰にも理解されず、ストレスでむちゃくちゃ太った挙句、人生初の痛風になりました。
最終的には、映画しか知らないんだから、映画を作ろうということで、カメラを複数用意して、大量の素材から、一つの物語になるように編集で映画にしていく形を試みました。
 
それはそれとして、僕はその三年後、結婚式のビデオ撮影の会社に入りました。
全国の式場にカメラマンを手配して、送られてくる素材を編集して仕上げる。
 
とにかくカメラマンによって撮影の癖が違いすぎるので、商品としてのクオリティを維持させる最後の砦が編集になります。
 
そうなってくると、映画的な作家性とか、自分が思う面白味みたいなものを切り取る形ではなく、映っているものをどう引き立たすか、余計な破綻を減らして、心地良く観れるか、そんなことが重要になってきます。
 
そこで約六年間、僕は編集をしていたわけなのですが、今回、姪の結婚式のビデオを編集してみて、送られてきた甥が撮影したスマホ映像と、親戚の撮ったビデオ映像から、何とか成立させている、いつもの感じで仕上げたあと、ふと、9年前の映像を見返してみました。
 
破綻が多く、個人的な面白味からの切り取り、強引なまでの物語への押し込み。
 
で、数千本結婚式のビデオを編集してからの今回。
 
破綻を減らし、映っているものに集中し、出来るだけ主役を映えさせる。
 
「なるほど」
 
それぞれの正解。
けれど、僕は、昔持っていた技術がないなりのある意味強引なまでの「自信」を、今現在は薄めていることに気づくわけです。
経験則で補える。
 
さて、これはどっちが良いという話ではなくて、僕は特に変わっていないと思っていたものが、実はこんなにも変化していたことにビックリしたというわけなのです。
 
力強く伝えても、届かない思いがあることを知り、どんなに歩み寄っても分かり合えない人がいること。
別にそれを知ることは悪い事じゃない。
ただ平均値を出し続けて、個人的な想いを伝える努力を怠ると、自分自身ですら見失っていることがあるんだなと、思ったんです。
 
個人的には、甥が僕にとっての初めての結婚式ビデオで、散々修行して姪の結婚式ビデオで終えるという兄妹サンドイッチの流れは嫌いじゃないです。
 
 
課題としては、
まあ、なにかしらに傷ついているんだろうと。
気づかない間に色々と。
で、傷を直視したほうが、強引なまでの「自信」が増えていく。
 
人生も後半なんだと拗ねていないで、この後僕自身が必要としている物語を求めていかないと、生きていることを楽しめないなぁと、思った次第であります。
 
さて。



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