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野尻哲史さんと考える、退職後の資産活用 前編

 小屋が様々な有識者の方々と対談を行うシリーズ。


 今回のゲスト、野尻哲史さんは山一証券、メリルリンチ日本証券の調査部門を経て、フィデリティ投信のフィデリティ退職・投資教育研究所で活動された後、合同会社フィンウェル研究所を設立。現在は、資産活用、地方都市移住、勤労継続の3点から退職世代のファイナンシャル・ウエルネスを啓発する活動を行っています。

 なかでも現役世代に響くのは、資産の使い方、考え方についての発言です。


「多くの人は、保有する資産が自分の寿命より先に枯渇しないようにしたいと願うもの」
「資産活用は、登山に例えれば山を下りる行為。作り上げた資産を上手に活用して人生の終焉まで持続させること」
「作り上げた資産をうまく活用してどれだけ資産寿命を延命できるか」

 野尻さんは、フィデリティ投信時代、フィデリティ退職・投資教育研究所所長として「サラリーマン1万人アンケート」という名物企画を立ち上げ、さまざまなメディアを通じて「現役時代に行う資産形成とセットで資産活用、デキュムレーションを考えていきましょう」と情報発信を続けてきました。

 稼いで、貯めて、運用した後、作り上げた資産をどう使って、幸せに暮らしていくのか……。
 日本ではまだまだ認知されていないデキュムレーション(資産活用)について、聞きました。


■貯めた資産をどう活かしていくかを考える。今後、欠かせなくなる「デキュムレーションの議論」とは?


小屋:僕は野尻さんに誘っていただいて、先月から「デキュムレーション研究会」に参加しています。
 今回はまず、まだまだ耳慣れない言葉であるデキュムレーションについて説明していただけますか?

野尻:わかりました。アメリカでは、アキュムレーションとセットで使われる言葉です。
 アキュムレーションは、資産形成。働きながら資産を作っていくことで、山登りに例えるなら、頂上を目指して登っていくのがアキュムレーションです。
 一方、デキュムレーションは、資産活用。仕事を引退した後、形成した資産を使って生活していく、言わば、登山道を下山していく過程がデキュムレーションです。
 ただ、デキュムレーションにはぴったりくる日本語訳はなく、強いていうなら「資産の取り崩し」。
 でも、「取り崩し」はいかにもネガティブなイメージですよね。ですから、私は資産形成に対して、「資産活用」と言うようにしています。

小屋:野尻さんは日本の専門家の中では、かなり早い段階で新聞、雑誌、書籍などでデキュムレーションに関する情報を発信されてきたと思います。それはどうしてなんですか?

野尻:アメリカやイギリスでデキュムレーションが重要な問題として議論されるようになったのが、30年くらい前のことなんですね。
 一方、日本で議論され始めたのは、2017年くらいから。
 18年の秋から始まった金融審議会市場ワーキング・グループで「資産形成と取り崩し」が取り上げられ、18年に閣議決定された「高齢社会対策大綱」にも盛り込まれました。
 ただ、一般的な認知度は非常に低いままです。資産活用は、作り上げた資産を上手に取り崩して人生の終焉まで資産を持続させること。
 資産形成と対をなして不可分につながっているものです。ところが、日本では資産形成の議論が中心で、作った資産に頼る生活に入ったときにどうすればいいのかの情報が少ないんですね。
 通常、登山は登るよりも下るほうが難しいとされています。富士山登山でも、怪我や事故が発生するのは下山中がほとんどだそうです。
 それでも下山ルートを確認せずに登る人はいませんよね。
 ところが、資産について考えてみると、登りに当たる資産形成のルートとその情報は増えてきたものの、下山ルートであるデキュムレーションの具体策はほとんどの方が知りません。

小屋:たしかに、そうですね。

野尻:たとえば、資産形成の方法として広く知られてきたiDeCo。引き出すときに課税されます。
 所得に所得税がかかるのは当たり前のことですが、積み立てているときは優遇されていた分、心理的にすごく嫌ですよね。
 でも、デキュムレーションの段階に入る前に運用の方法を見直し、資産活用の計画を立てることで、課税対策も可能になっていくわけです。
 これはほんの一例ですが、できるだけ多くの方に「作り上げた資産をうまく活用してどれだけ資産寿命を延命できるか」という資産活用の考え方を知っていただきたい。
 また、資産活用に対するしっかりとした議論を深めたい。そんな思いから、小屋さんにも発起人メンバーとなっていただいた「デキュムレーション研究会」を立ち上げたわけです。


■有価証券で資産を作り上げてきた世代が退職期を迎えるなか、日本でデキュムレーションの議論が進んでこなかった理由


野尻:私が特に心配しているのは、NISA、積み立てNISA、iDeCoと資産形成を進める制度が整備された世代です。
 彼らが、10年後、20年後に運用した資産を持って退職したとき、どうなるのだろう?と。
 現状では、資産活用についてきちんとアドバイスできる専門家の数も非常に少ないですからね。

小屋:先ほどの課税の話もそうですし、何歳まで運用を継続したほうがいいのか、継続するならポートフォリオはどう変えていけばいいのか、どのくらいのペースで資産からお金を引き出して生活していったら安泰なのか……。
 一般の方が自分でデキュムレーションの計画を立てていくのはかなり難易度の高いことです。

野尻:長らく日本では資産活用=貯めてきた預貯金を切り崩して生活していくイメージで、言わば、無防備で手つかずのままになってきた分野です。
 金融機関の人からすると、顧客の資産が減っていく話ですから、積極的に語ろうという機運にもなりにくい。だからこそ、研究会で議論を深めていきたいところですし、小屋さんたち独立系のアドバイザーが活躍する分野だと思います。
 また、もう一段、我々がやらなくてはいけないのは、資産形成をした一般の方が「資産活用について自分でやれる範囲はどのくらいなのか」「プロに任せたほうがスムーズな部分はどこなのか」を整理していくことです。

小屋:でも、野尻さんのデキュムレーションの考え方、定義は新しい話ではなく、欧米ではずいぶん前から議論されてきたことですよね?

野尻:そうなんです。アメリカでは、資産をどのくらいの額をどんなペースで取り崩していくかの「率を使った取り崩し手法」などの議論が重ねられ、一定のデキュムレーションの手法が確立されています。ところが、日本では「なんでこんなに?」と思うほど、進んでいません。

小屋:この大きなギャップはどうして生じたとお考えですか?

野尻:デキュムレーション研究会の設立趣旨には、こう書きました。
 『「退職後のお金との向き合い方」に関して、これまでの日本では高齢者が現金・預金で保有する資産をいかに使わないようにして資産を持続させるかとする視点が中心でした。
 しかし、現役時代に有価証券運用で資産を作り上げてきた世代がこれから退職期を迎えると、有価証券で保有する資産を高齢者がどう生活に活用するかの視点が求められる時代になります。
 それは、退職後の生活のために取り崩す資産が、現預金から価格変動のある有価証券に変わることでもたらされる、取り崩し方の多様性を求めるものでもあります』
 今の高齢者の方々が持っている資産はほとんどが不動産と現金です。
 すると、「年金以外に月10万円ずつ必要です」というニーズがあったとして、答えは簡単で、現預金を取り崩しましょう、ある時点で不動産を現金化しましょう、となる。

小屋:これまでは、資産が不動産と現金が中心の場合、年金+αする部分は、単純に現預金を取り崩していく。
 また、手元に十分な現金がない場合は、年金の範囲内で生活するようにするという二択になっていたわけですよね。

野尻:ですから、資産活用の要諦は、できるだけ引き出す金額を抑えることでした。使いすぎをいさめつつ、持っている現預金に合わせて引出額をコントロールするというところで大半の議論に片が付くわけです。
 それが、日本において資産活用方法の議論が深まっていかなかった最大の理由だと思います。
 ただ、今後は「資産形成、資産形成」と言われ、現役時代に有価証券運用で資産を作り上げてきた世代が退職期を迎えるわけです。
 そのとき、資産活用のロジックが必要になります。正直に言って、私が紹介しているデキュムレーションの話は、90年代のアメリカで議論されていた内容で、個人的には「今、この話か」と恥ずかしくもあります。
 でも、誰かがボールを投げて議論を深めていかないと、一足飛びに進んではいけないですからね。


■なるべく使わず資産を長持ちさせるのが美徳?でも、その資産、活用するために蓄えてきたんじゃないですか?


野尻:デキュムレーションを考えるとき、もう1つ重要な視点は高齢者にいかにお金を使ってもらうかです。
 というのも、今後、日本の社会は大幅に人口が減っていきます。特に働き手が減るのは明らかで、2065年には今よりも3000万人以上の現役世代が減少する社会がやってきます。
 それでも経済を成り立たせるには、誰かが消費し、需要を支えなければいけませんよね。
 それを3000万人減る現役世代のがんばりに託すのは無理があります。退職期以降の高齢者がお金を使い、日本経済を支えてくれなければ困るわけです。
 実際、今、日本の60歳以上が持つ資産は土地も含めると2000兆円に上ると推計しています。ところが、これを有効活用して、経済を回すダイナミズムは生じていません。
 これは長生きリスクのせいです。多くの人が命より先にお金の寿命が尽きることへの心配のせいで、本来はめでたい長寿を謳歌できずいます。

小屋:現場で相談を受けていると、やはり「お金を使えと言われても、手元の貯金がどんどん減ってくと、自分が生きてる間にスッカラカンになっちゃうんじゃないかと不安で、消費に踏み込めない」という声はよく聞きます。
 一方、僕たちFPが中長期のプランニングをしていって「あなたは月額、5万、10万円、余暇に使っても大丈夫なんですよ」と見通しを立てることで、安心してもらえることも増えています。

野尻:日本ではなるべく使わず資産を長持ちさせるのが美徳、のような考えもありますからね。
 でも、それは違いますよね。活用するために蓄えてきたんじゃないですか?と思います。近い将来、人口の4割を占める高齢者がお金を使わない国に未来はありません。
 たとえば、推計年間相続額50兆円の1割を生前に自分で使うだけで、国内総生産(GDP)成長率を1%押し上げられますから。

小屋:資産活用として、退職後も運用して増やしながら使う。その視点から中長期でプランニングしていける人が増えれば、状況も変わってくるのでしょうね。

野尻:ある程度、誰かに背中を押してもらえるかどうかは、すごく大事ですよね。人生100年時代と言いますけど、たとえば、「あなたの寿命を120歳としましょう」とシミュレーションして、デキュムレーションの計画を立ててくれるアドバイザーがいたら、説得力がありますよね。
 120歳まで持つ資金計画にしておいたら、99.9%の人がその前に亡くなるわけですから。

小屋:余った資産は、次世代に。

野尻:心配せずに老後を楽しめるようになります。もちろん、それが叶わない人たちもいるわけですが、40代、50代のから逆算で資産活用の準備をしていくと、多くの人が「これくらいなら使っても大丈夫」という自分なりの線引きができるようになるはずなんですよね。
 山に登った後の下り方がわからないという人をそのままにしないためにも、上手な資産活用の方法をアドバイスしていきたいですね。


後編へつづく


株式会社マネーライフプランニング
代表取締役 小屋 洋一


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)

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