思えばあれは愛だった(スペースマウンテンが終わった日)
ゲリラ豪雨にやられてパンツ(ティの方)までびちゃびちゃになった。
雨の中、ものの3歩で余す事なくびちょびちょになった赤いパンプス型のレインシューズを、防水すぎて水を運んでるなってぐらいにタポタポになってしまったレインシューズを、諦め気分で水の中をじゃぶじゃぶ歩いたレインシューズを、帰ってきてじゃぶじゃぶ洗った。
靴をじゃぶじゃぶ洗いながら、靴でじゃぶじゃぶ歩くのも、靴をじゃぶじゃぶ洗うも久しぶりだなぁと思う。なんだか学校の上履きを思い出した。懐かしい子供の頃の気配がした。
洗面所で靴をじゃぶじゃぶ洗っていたら、リビングのテレビからディズニーランドのスペースマウンテン営業終了のニュースが流れてきた。
ー開演当時からあったアトラクションの1つが41年の歴史に幕を…うんちゃらかんちゃら
スペースマウンテン終わっちゃったんだ。
急速に意識が子供のころに引っ張られる。
スペースマウンテンに初めて乗ったのはディズニーランドが出来た年、私が5歳の頃だ。私のはじめての遊園地、はじめてのジェットコースター。
家族4人でディズニーランドに行った。元田舎者の父にとってもはじめての遊園地で、彼は未開の地に挑むみたいな心境だったかもしれない。
だからかスペーマウンテンには父と私、母と兄のペアで乗った。まだ身長制限ギリギリの私を父が守ろうとしたのだと思う。
スペースマウンテンが動き出してすぐに、横に乗っていた父からにょきっと腕が伸びてきて、ものすごい強さで抱きしめられた。痩せっぽちで安全バーと体の隙間が広すぎる私がすっぽ抜けるのを父は恐れたのだ。
抱きしめながら父は「目をつぶれ!」と叫んだ。
安全バーの内側にもう一本の安全バーみたいに伸びた父の片腕は心なしかプルプルと震えはじめ、体を丸ごと抱きしめたもう一本の父の腕はどんどん強くなっていった。さながらそこは戦場で、命からがらだった。命がかかってるみたいに父は「目をつぶっておくんだ!」「大丈夫だ!」と何度も何度も言った。
私のはじめてのスペースマウンテンの思い出。痛いぐらい抱きしめられた父の腕と、無限に広がる暗闇。
終点につき、ヨロヨロになりながら降りた私と父を、前に乗っていた母と兄とが振り向いて「星空綺麗だったね」と軽やかに笑った。なんならスキップしてたかも。
「えゞ!?」
「えゞ!?」(父よあなたも目をつぶっていたのですね)
(想像すると、前後の席で温度差が激しすぎて笑える。天国と地獄だ。今だから笑えるのだけれど。)
5歳の私は、父に激怒した。
「パパのせいで何も見て無い!!」
「もうパパとは乗らない!!!」
思えばあれは愛だった。
ヨロヨロのヨレヨレの父はその後「酔った、ちょっと車で寝てくる」と何時間も帰ってこなかった。
戦いには向かないタイプだ。
父はその後1度もジェットコースターというものに乗っていないので、生涯1度のジェットコースターは私とのスペースマウンテンだ。感慨深い。
私はというと、その後、家族とも友達とも恋人とも色々な遊園地に行ったし。スペースマウンテンも何回乗ったかわからない。ビックサンダーマウンテンも富士山も花屋敷のジェットコースターも乗ったけれど、不思議なもので鮮明に覚えているのは5歳の父とのスペースマウンテンだ。暗闇だけど。
人生が走馬灯のランキング争いだとしたら、あの日のスペースマウンテンが採用されるかもしれないと思う。案外いい順位で。
走馬灯も、無限に広がる暗闇になってしまうけれど。
中に水が溜まってしばらく乾きそうに無い赤いレインシューズを、雨が上がった夜空に干した。
最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。