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書活163日目*たのしい課題提出。

最近、人間関係に関する勉強会に参加しています。関係構築の前に自分を知ろう!相手を知ろう!これが今回のテーマでした。

ここでは、内容にふれません。なぜなら頭がこんがらがって誤った認識を広めてしまいそうだからです。

今回ふれたいのは、講義を受けて課題を提出するというなんとも懐かしいことについて。

最近、「課題」そのものに頭を抱えているため興味深く感じたわけです。

課題、つまり復習にあたいするこの行為。私は、学業があまり好きではありませんでした。逆に自分の興味ある学びは収集癖のようなものが発動して、納得いくまで調べます。

そしてこの「知りたい欲」は、時と場合を選びません。いや、むしろやらなければならない学業が差し迫った時に出てくるかもしれません。

中学の中間か期末テスト期間中、私は当時苦手だった日本史(江戸後期〜幕末)をイヤイヤしながら、文字面を眺めていました。

横には父がおりました。父は私のやることを尊重し、あまり強制をしてこない人でした。とはいえテスト期間中なわけで時間も差し迫っている状況。

父は「いいから、覚えろ!歴史は暗記!」と、珍しくほんの少し声を荒げたのです。

そんなこと言いましても、暗記は不得意。覚えた言葉は、新しく覚えた言葉に書き換えられる、そんな脳内イメージをするのみで、ウンともスンとも言ってくれません。

口の中でブチブチと文句とも言い訳ともつかない言葉を含んで転がしていたときです。

歴史の資料集の写真に釘付けになりした。
「池田屋事件、池田屋跡地」その跡地、ひっそりと石碑がたちそれを写しているようなのですが、背景がパチンコ屋さん(当時)

はじめて、今は昔に繋がってるんだ!!と認識した瞬間です。当たり前じゃないか、とお思いになるかもしれません。

しかし当時の私には、歴史教科書の太字部分は、細切れのパーツでしか意識ができず、一体全体何を私はしているのかわからなかったのです。

時がつながっていると認識できていたのは、祖父母が生まれた明治大正くらいから。大正生まれの祖母がまだ存命だったので、祖母の体験談として聞いていました。

なのでまさか「歴史」という学業になっているとはつゆ知らず。その時夢中で池田屋事件のこと、新撰組のことを調べまくりました。

結果、点数は取れませんでしたが、幕末が好きになりました。新撰組関連の書籍も好んで読むようになり、今で言う聖地巡礼もしました。

ちなみに渡辺多恵子さん作「風光る」の斎藤一が大好きです!

さて、学業に関して壊滅的な娘を思ってか、よく皇居の周りや谷中霊園など都内の歴史的名所を巡るようになりました。

歴史の教科書的には、ほんの2,3行で説明して終わりな出来事を母はよく台詞のようなものを交えて語って聞かせてくれました。

だからでしょうか?ある部分の歴史からどんどん知識は増えて好きな方の教科になっていったのです。ただ、学生時代にはあまり役に立たなかったなあ。(点数の観点から見て)

さて、すでに学生も卒業し点数をつけられるなんてことは滅多になくなってしまった私にとって好都合で、好きなものをとことん学ぶことが出来ています。

だからなのでしょうか?あんなに嫌だった学業の課題提出が、今や楽しいものへと変化しました。

なんと勿体ないことをしたことか。そう痛感するのに何年もかかりました。結果、私は子どもにそれを託そうとしてるのでしょうか。

後悔をしてほしくない、けれど強制してやるべきことでもない。そんな気持ちが振り子のように行ったり来たりしています。

立場が変わると「課題」の様相が変わります。私自身、さまざまな立場にあります。どんな立場であっても「課題」は辛く苦しいものではない、そう言いたいものです。

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