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自分の居場所の見つけ方

先日、カナダにいた頃に出会った日本人の友人と大阪で再会することができた。彼女は同い年で少し雰囲気が似ていることもあり出会ったその場で意気投合、その後も距離は離れていても連絡を取り合っては励まし合い、切磋琢磨した中であった。

そんな彼女がわたしに相談をしてきたのがきっかけ。

はなしを聞けば、ニューヨークのとある企業にてジョブトライアルを受けてみようかなぁ、と。

彼女はカナダワーホリが終わった後も、カナディアンの彼とともに半年ほどカナダで過ごした後に帰国。帰国後は実家の家業を手伝っているとのこと。そしてコロナもありカナダにすぐに戻れるような状況ではなかったと言う。

わたしはオペアとしてニューヨークに約2年いたのだが、彼女には正直な感想と意見を伝えた。それは "わたしにはニューヨークという街があってなかった" 事、そして"カナダの大自然を経験した後に見る大都会はもっと混沌としている" という事。


わたしにはニューヨークという街があってなかった

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これは本当に人それぞれなので片耳程度にきいて欲しいのだが、東京に就職し約3年半大都会の渦に揉まれながら過ごしたあの日々は今振り返ってもかなり大変なものだったし自分を褒めてあげたい程だった。その当時は何もかもが新鮮で、且つ仕事も始めたばかりだったので文字通り "一生懸命" に突っ走っていた。一年が経ちようやく余裕ができてきた頃、ふと思ったことがある。

『このままずっとこの仕事を続けて、必死になって働き続けて、歳をとって行くのかなぁ』

漠然とした不安だった。独りで生活を切り盛りしていかなければならない。それがいつまで続くのだろう、という不安。

ではなぜこの不安が押し寄せてきたのかというと、当時の直属の先輩が、給料をいくらもらっている (正確な数字ではないが)、という話しをふと漏らした。生々しい話しだが、そこでこのくらいの勤続年数でこの程度の金額か、、と落胆した事をいまだに覚えている。今後もこの漠然とした不安によって気持ちが支配されるのかと思うとかなり気が重かった。

お金の問題は、自分の生活はもちろん、将来のことなど全てが結びついているので、切っても切れないものである。そして気持ちの余裕にもつながるは話である。

東京でこのような思いに苛まれていた20代前半。そこで感じたこの直感は今後人生の大きなひとつの軸になるのだろうと思った。


カナダの大自然を経験した後に見る大都会はもっと混沌としている

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一言で、やはりカナダの、特にBanffが最高に良かった。

人生で一度は自分の目で、耳で、肌で感じて欲しい。あの感動はあの場にいた人にしかわからないし、本当に心が震える瞬間だった。


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わたしは、カナダが好きだ。カナディアンはみんな優しくて、おおらかで、ちゃんと人の話をきいてくれるような人が多かった。初めて行った国でこのような待遇だったが故、ますますこの国が好きになった。

もちろん良いことだけではなかったし、嫌なことたくさんあった。でも帳消しになるくらい良かった。


それを踏まえて、わたしの友達にニューヨークってどんな場所かを説明した。彼女もまた、カナダに魅了されたひとりなのでニューヨークの姿を容易に想像できたと思う。

それでも彼女は挑戦したい!ということで、そのポジションにアプライして、その1週間後にはニューヨークに飛んでいた。そして彼女もまた彼女なりにたくさん吸収し、それでもやっぱりカナダが好きという結論に至った。


もちろん人それぞれの価値観がある。捉え方がある。優先順位がある。

そしてそれを並べた時、どのように生きていきたいか、その指標となるだろう。それを経験できたことだけでも十分である。人生はずっとトライアンドエラー。しかし、まずはトライすることが大事である。


自分の居場所探しは、きっと生涯をかけて行われるだろう。そしてタイミングやその時々の自分のレベルによっても感じ方や考え方が変わると思う。

それでも落ち着く場所を住処に、生きていけるそんな人生にしたい。






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