燕を斬る!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

 佐々木小次郎の緩慢に空を切る一振りによって、巣に向かって一直線に飛んでいた親燕は飛ぶ方向を変えた。

 親燕は、目の前に何者かが横切ったので、本能的にそれを避けた。上昇すれば、この速さでは自分の巣を飛び越してしまう。下をくぐり、直前で羽を拡げ、速度を落とし急上昇をすれば無事にたどり着ける。親燕はそれらをとっさに判断した。

 親燕は、急降下して小次郎の膝元を通り抜ける。すると閉じていた羽を大きく拡げ、停止するかのように速度を落とす。そしてあえぐ様に羽ばたきしながら、自分の巣に向かって上昇して行く。

 その動きは、小次郎の長光の緩慢な動きにつられて、ゆっくりとしたものになってしまう。今、目の間を横切ったものが、振り子のように又自分に向けられたとしても、あれくらいの速さであれば、その前に悠々とその前に戻れるはず。本能がそう判断する。

 親燕は、失速しそうになるところを、最後の力を振り絞って羽ばたき、巣の縁に足をかけようとした時、親燕は見た。

「自分の巣が、消えてなくなっている」

 一瞬、燕の動きが止まった。

 そして、ゆっくりと羽ばたきをしながら降下してゆく。地面に落ちても、それはまだ羽ばたきをしていた。

 何が起こったのか、わからなかった。その太刀の動きが早すぎて何も見えなかった。

 ただ、飛んでいた燕が、羽ばたきながら急に落ちて、堕ちた姿をよくよく見れば真二つに切り離されている。

 小次郎が後ろに向きを変えており、手にしている長光が振り下ろされて、右下段に構えを変えているのを目にして、初めて燕を斬ったのがわかった。

 斬られた親燕は、奇しくも小次郎に叩き落されて、か弱く泣き叫ぶ子燕たちの目の前に落ちていた。

 子燕たちにとっては、行き場を無くした我々を母親が助けに来たと思ったのだろう、覚束ない足取りで近寄ってきた。優しい目を見開いて、羽を拡げた母親の姿は普段と少しも変わらない。それぞれ思い思いに母親の周りに集まった。しかし、一向に母親は、声をかけてくれない、手を差し伸べてくれない。何かおかしい。よく見ると、母親の体が、二つに分かれている。

 もはや、それは母親の姿をした、ただの物体に過ぎなかった。ただ大きく開かれた、その瞳には子供たちの姿が映し出されていた。

 相変わらず、地に落ちた燕たちには一瞥もくれない小次郎は、何事もなかった様に、鷹揚に両手を大きく拡げ、愛刀長光を懐紙で拭った。

 その刀身は、血糊も付いておらず、切先から三寸ほどの所に、うっすらと細い筋の曇りが見えるだけであった。小次郎は、鞘(さや)を背にしたまま、器用に長光を捌き、鞘に納めた。

 武蔵は身振るいをした。目の前で行われたことを見て、恐怖のあまりそこを動くことが出来ない。それは、生き物の本能から来る恐怖である。

 獣同士が、草原で出くわした途端、どちらが強いか弱いかを一瞬に嗅ぎ取ることができる能力を持っているのと同じだ。

 小次郎の方が強い。小次郎には、かなわない。彼は己の前に立ちふさぐ壁というよりも、己自身の世界を包み込む、宇宙なのだ。怖い。

 「燕返し」恐るべし。

 この技を使われると、小次郎に斬られる。

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