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海を見つめる武蔵(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵は海を見ている。

日の出から随分時間が経った。陽が昇って頭上近くになろうとしているのに、その間じっと海面を見つめている。

光が交差して、宝石のように輝いて武蔵の顔に反射している。

それでも武蔵の表情は変わらない。目を見開いたまま海面を見つめている。

視線の先は、様々な曲面を描いて、絶えず揺れ動いている海面に向けられている。桟橋に腰をおろしたまま、用意されている小舟に乗ろうとしないのだ。

これから、巌流島に渡って佐々木小次郎との試合があるというのに。

幾度雲が通り過ぎ、風が流れ、群れを成した渡り鳥が行き交ったことだろうか。

船頭はすぐにも漕ぎ出そうとしていたのだが、一向に乗り込まない武蔵を怪訝そうに見ていた。しばらく待っても全くその気配を見せないので、しまいには諦めたのか舟を漕ぐ櫂(かい)を抱えて船尾で居眠りを始めた。

そよ風が吹き、海面を掃いて通り過ぎる。全てがゆっくり動いている。

しかし、武蔵だけは動かない。

ただ一点を見つめているだけである。頬を通り過ごす風が鬢(びん)を震わせても、動かない。据え置かれた銅像のように、海を見ている。

彼は心を鎮めようとしていた。武蔵の心は、嵐の中をすべもなく漂う小舟のように揺れ動いていたのだった。

今日の試合は、今までのどんな試合よりも意味のあるものになるだろう。

これまでの試合は、最初から勝敗は見えていた。おのれの体の奥から沸き起こってくるけだもの力を借りれば、難なく相手を倒すことが出来た。技も策も、なにも用いなくとも良い。おのれの存在が相手を覆いつくしてしまえばそれで良い。己の思うままに動けば、相手は勝手にひれ伏す。ヘビがカエルに睨まれたように身動きが出来なくなってしまう。勝利は、おのずと決まる。

相手と戦う前に、もう勝負は見えているのだ。おのれが宇宙は、どんな相手でも包み込んでしまうのだ。神を超える存在などありえないのと同様に、おのれを超える者はいない。

しかし、今回だけは違う。一派をなし門人を多く抱える、剣名の高い佐々木小次郎だけは違う。彼を捉えることが出来ないのだ。それどころか、小次郎の世界の中に包み込まれてしまう気がするのだ。

彼の世界の中に組みする。つまり、それは負けを意味する。

この先、剣を持って生き抜くのは、目の前のいかなる相手も、凌駕していかなければならない。

厳しい山の頂には、許されたほんの僅かな者のみしか、たどり着けない。それらは、えらばれた最も神に近い存在だ。おのれは、まだ麓を彷徨っているに過ぎない。それなのに、目の前に佐々木小次郎が大きく立ちはだかっている。

いかなる相手でも負ける訳にはいかない。ここで、敗れるということは、草原の中で傷つき死を迎えた野鹿のごとく、人知れず消え去るということだ。

何も残らない。無だ。

ほとばしる肉体、弾ける精神、絞り出した血、大量に流した汗、それらは何も残らない。今までの修行が全く意味のないものになってしまう。

その為にも、負ける訳にはいかない。負けるということは、死を意味する。

死によって、すべてが無に帰する。しかし、無にならなければ勝つことが出来ない。負ければ無になる。

同じ「無」なのだが、無限の生と無になる死とは、まさに紙一重の存在だが、結果は大きく異なってしまう。

武蔵は今、生きるために無になろうとしていた。

心が無にならないと、勝つことが出来ない。己の心が、目の前の海面のように、絶えず揺れ動いているのだ。

陽炎のように、揺らめいている。目に映る海面が、そう見えるということは、心もその様に揺れ動いているからである。

心が研ぎ澄まされていれば、山間の湖の水面のように、微動だしないように見えるはずだ。目の前の海面は無情にも揺れ動いている。そよ風にも、惑わされている。いくら気を鎮めるようにしても、それは変わらない。

無になれない。無にならなければ、到底小次郎に勝ことは出来ない。焦る気持ちを静めようとすればするほど、揺れ動いている。

武蔵はひたすら待った。心が鎮まる時を待った。

目の前の海面が、鏡のように見える時、どんなにそれが波立っていても、自分の理解の中で、掌握できる時、それが無になる時だ。武蔵は、それを待っていた。

邪心を振り払って、無にならなければ勝つことは出来ないのだ。しかし、いくら待っても、それは来ない。

ますます、揺れ動いている。焦れば、焦るほど海面は乱れる。海面には、虫けらのような姿で、血を流しながら横たわる自分の姿が映し出される。筵にくるまれて、この桟橋に戻ってくる姿が目に浮かぶ。

おのれが勝敗にこだわることで、心が偏り、落ち着かないのだ。

何も考えないことだ。全てを受け入れることだ。邪心があるから、心が動くのだ。

もう、後には戻れないのだ。全てを無にして、小次郎に向かうだけである。

なるようにしかならず、全て天命に従うしかない。生に固執するから、無になれない。無になれないということは、負ける。

それは死だ。死を覚悟することで、無になれる。勝つことが出来る。

生きるために、死を受け入れよう。

ようやく武蔵は立ち上がった。
             つづく

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