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時代小説『近江屋に潜入せよ』

齊藤一は、菊屋峯吉から十津川郷士と名乗っている三人組みは近江屋の二階にいるとの報告を受ける。

坂本龍馬も同じ近江屋にいるが、離れの隠し部屋にいるので、三人組との接触はないという。

「よし、藤堂平助さんと服部武雄さんが中に入って、中岡慎太郎ら三人を外に出して下さい。あくまで、不法侵入した不逞浪士を排除するという形です」

藤堂が、

「もし、刃向かってきたら?」

「当然、応戦して下さい」

日頃無口な服部が口を開く、

「相手が三人、こちらが二人で大丈夫か。それに近江屋と言えば、元力士の藤吉もおるぞ」

「それは、新選組の剣の使い手の五本の指に入る服部さんの台詞とは、思えないですな。服部さんが居れば大丈夫でしょう。何も心配していません。では、出発しましょう。通りに出ると目立つので、各々路地裏を通り、岬神社で集合。毛内有之助さんは、ここで状況を監視しておいてください」

齊藤らは、大石鍬次郎隊が待機している通りの向かいの岬神社に集まった。

「大石さん、近江屋の二階に中岡らは居る。坂本龍馬は、隠れ部屋で寝ている。元相撲取りの護衛と三人だけだ。藤堂さんと服部さんが中に入って、土佐藩の命で保護するという名目で三人を連れ出す。始末するのは、高瀬川を渡ってからだ。それまでは、手出しをしないでくれ」

「そう簡単に出てくるかな。さっきの様子では、そんな感じじゃなかった。かなり手こずりそうだな。齊藤さんは、ここで監視しておいてください。大石隊は近江屋周辺を固める」

「あくまで目立たないようにお願いします。これは土方さんからの伝言です。たとえ何があっても先程みたいに、この周辺で刀を抜かないでください。誰に見られるか分かりません。今夜は、月明かりがありますから、特に注意をして下さい」 

「分かった。しかし、相手が先に抜いて、斬り掛かってきたら、応戦する。それと、背を向けて逃げ出す者は容赦しない」

「武士として、当然です」

齊藤を岬神社に残して、大石隊と藤堂、服部は、間隔をおいて一人ずつ反対方向の高瀬川に出てそれを下り、蛸薬師通りを右に曲がり、河原町通りを渡り、裏寺町通りを上がって、近江屋の北側の路地に出た。

河原町側に一人、近江屋の裏手に一人、残りの二人が勝手口の左右に分かれて、その正面に大石が付いて警護を固めた。

大石が通りの向こうにいる齊藤に準備が出来たと合図を送る。

それを受けて、斎藤が藤堂と服部に突入の合図を送る。

服部が勝手口を拳で五回ずつ連続的に叩く。

それを繰り返して五回目でやっと反応があった。

「どちらさんですか?」

「高台寺、伊藤甲子太郎の手下、御陵衛士の者です。夜分失礼します。改めさせて下さい」

「今日は、誰もいはりませんけど」

「それならば、なおの事。開けて下さい」

藤吉はこのまま開けないで、顔を見せないと一層怪しまれるので、一尺ほど開けた。

見ると軽装で色白で品のよさそうな武士が腰をかがめている。

とても、打ち入ろうとするようには思えない。

しかし無断で、入れる訳にはいかないので一旦閉めて、龍馬に伺いを立てようとした。

閉めようとした。が、閉まらない。

逆にゆっくりと開いていく。

服部は、何の抵抗も受けていないように、顔色一つ変えずに開けてゆく。

藤吉は腕の筋肉が躍らんばかりに痙攣している。

藤吉が必死で閉じようとしているのが、嘘のようにすっと開いた。

藤吉は、横綱に回しを取られた時と同じような脱力感を味わった。

それだけ服部は力が強く、力の差があったということだ。

のっそりと服部が土間に入ってきた。

背丈は藤吉と同じくらいの偉丈夫。

服部の柔らかい物腰とは裏腹に、相撲取りの藤吉が思わずのけぞってしまう程の氣が出ている。

続いて藤堂が中に入る。

「お二人だけですか」

「はい」

藤吉は、支え棒をして、外から開かないようにした。

「見事な刀掛けですな。しかも、太刀が三本、脇差まで預けておられる方もありますぞ」

服部は、わざとらしく大きな声を出した。

藤堂は、藤吉の注意がそちらに行っている隙に、後ろ手でそっと支え棒を外した。

大柄の服部は、踏み台を使わずに、刀掛けの一番奥に太刀を架けた。

続いて藤堂が踏み台に乗り、一番手前にある脇差から丁寧に置き換えて一番奥に隙間を作り、自分の太刀を置いた。

「下げ緒を改めさせて頂きます」

藤吉は、脇差がすぐに抜けないようにするために、下げ緒がしっかりと巻かれているかを確認した。

「失礼しました」

服部と藤堂は、顔を見合わせた。

どちらも悪魔が乗り移ったような不遜な表情に変わっていた。

つづく

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