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まどろみの中で(小説『天国へ届け、この歌を』より)

眠った。深い眠りだった。

夢の中で、美月と娘のカンナが入れ代わり立ち代わり出てきて、どちらかの区別がつかなくなった。

カンナの幼い頃の記憶がよみがえった。

補助輪なしで初めて乗った自転車の荷台を両手でしっかりと掴んでいる。カンナは、私が支えているので、安心しきって闇雲に漕ぎ出す。スピードが上がる。カンナの軽やかな笑い声が、風に乗って吹き付けられる。息が上がる。もうついて行けないと、思った瞬間に手が離れた。引き離されるようにカンナの乗った自転車が遠ざかる。

「美月」思わず叫んだ。

幼い娘のカンナを呼んだはずが、大人の美月になってしまった。

気が付くと自転車に乗っているのは、美月になっていた。長い黒髪が風にたなびく。透き通るような歌声が、風に乗って私の耳元を掠める。

「美月」

私は、追いかけた。走った。全速で走った。もうすぐ、手に届くようなところまで来るのに、美月は流れるような黒髪と軽やかな歌声を残してすり抜ける。


もう駄目だ。限界が近づいて倒れ込みそうなときに、美月の乗る自転車はやっと止まった。

「美月」

私は、彼女を後ろから抱きしめようとした。彼女は振り返った。あっと気が付くと振り返ったのは娘のカンナだった。

「お父さん、お父さん」

目を開けるとカンナがいた。

「貴島さん、分かりますか。手術は無事終わりました。予定より時間はかかりましたが、計画通りに手術は出来ました。お疲れ様です」

何を言っているのか、わからない。

今、目の前の田中先生が、「これから手術を始めます」と言ったばかりなのに。いつもは頼りない田中先生が今日は凛々しく見えるなと思ったばっかりだ。

「お父さん、手術は終わったのよ」

どうして、美月がいないのか不思議に思った。

薬のせいか頭がはっきりしない。美月と妻の美由紀が側にいるような気がする。探したいが、体中に管を通されているような感じがして、顔を動かすことさえ出来ない。

「お母さんは?」聞きたかったが、酸素マスクをしているので声が出ない。

「貴島さん、気分は如何ですか?今は、麻酔が効いている状態です。時間が経てば痛みが出てきますので、その時は遠慮せずにナースコールをしてください。我慢したらだめですよ」

戦いを終えた戦士のような清々しさが残る疲れた顔と対照的に、目は父親を見るような優しさを帯びていた。

「ありがとう」声が出ない。

頷くのが精一杯だ。田中先生は、真っ直ぐに私の目を見て、それに答えてくれる。

いい青年だ。目は、嘘をつかない。田中先生は良い人だ。

反対側にいるカンナに、目で田中先生の方を見るように合図した。最初は、私の合図が分からなかったようだが、田中先生の方を見た。

それだ。私は、頷いて答えた。

田中先生とカンナが見つめ合っている。

そうだ。そうだ。それだ。

私は、お互いを交互に頷き合って、ずっとそうしているのが正解だと頷いて合図を送った。

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