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短編小説『年の離れたオトモダチ』

急いで返信した。

香田さんからもらった社内メールのように、用件の後に大きな空白を開けて、他の人が見ても分からないように、フォントを小さくして書いた。

こちらこそ、ありがとうございました。
土曜日、いつもの駅の西口6時50分に待っております。
浴衣姿が楽しみです。
                         貴島

最初、自分の名前を「オトーサン」と印字したが、その文字の形が、あまりにも威厳と真剣度に欠けるので「貴島」にした。

ユーモアに欠けるのは分かっているが、仕方がない。

無理やり若い人に合わせるような、無様なことだけはしたくない。

しかし、自分でも、先程までと違って心が浮き浮きしているのが分かった。

胸を掻きむしりたくなるような息苦しさ。

無暗に駈け出したくなるような衝動。

完全にあの病の症状だ。

若い頃にかかった恋の病だ。

終業時間も待ち遠しく、久々にいつもの立ち飲み屋に行った。

入り口は見慣れない若者のグループが入っていて、早い時間にもかかわらず込み合っていた。

カウンターの一番奥の座っている辺りは空いていた。

一番奥のいつもの席に陣取る。

「お久しぶりですね。お忙しいのですが?」

マスターは、まだオーダーをしていないのに、いつもの通りの生ビールをカウンターに出しながら聞いた。

「別に忙しくないですよ。ただ、会合やら会食とかが入っていただけですよ。ところで、今夜はこんな早い時間なのに賑わっているね」

「うちとしても、嬉しいのは、嬉しいのですが、最近の若い人は騒ぐだけ騒いであまり飲まないものですから、売り上げが上がらなくて、困ったものですよ」

マスターは、一人でこの店を切り盛りしている。

その若者のグループの対応に追われて、珍しくあたふたとしている。

今日は、早めに切り上げよう。

早々に2杯目の電気ブランを頼んだ。

その時、若者たちのグループが、一段とにぎやかになった。

仲間が一人遅れて、入ってきたらしい。

ハイタッチをして、やけにテンションが高い。

今どき流行らないウェーブのかかった長髪にノーネクタイのクレリックのシャツ。

襟のボタンは上から2つまで開けられていて、両手首のボタンも留められていない。

裾はインにしているのか出しているのか分からないほど腰の周りでだぶついている。

紫がかったブルーのブーツカットのパンツが、その若者の職業を益々、不明にしていた。

しかし、クリっとした目には、なんとも言えない愛嬌がある。

どこかで見た顔。

ヤマギシだ。

香田美月の横顔が浮かんだ。

キャンドルの明かりに照らし出された精巧な彫刻で作られたような彼女の横顔が浮かび上がった。

この店に久々に来たのは、またヤマギシに会いたかったのかもしれない。

心のどこかにヤマギシに会いたいと思っていたのかもしれない。

誰かに、香田美月のことを話したいと思っていた。

香田美月は私の中で膨張していて、もはや収まり切れないでいた。

香田美月のことを語りたい。

香田さんの記憶に残っているヤマギシに、現在の香田さんを報告することによって、香田美月という一人の女性の物語をより鮮明に浮かび上がらせたい。

高校生の頃、香田さんと一緒にバンドを組んだことのあるヤマギシは、それにはうってつけの人間なのだ。

しかし、仲間と談笑していて、私には気づかないようだった。

「おい、ヤマギシ君、オレに気がついてくれ!」

「ボクは、君と話をしたいんだ」

             

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