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時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第20話「刀を納めろ、作戦変更だ」

再び、大石鍬次郎が足を出した。今度は、一足分だけの送り足。ゆっくりと前足を出して、さっと後ろ足を引きつける。

じりじりと、真綿で首を絞めるように中岡慎太郎ら三人を追い詰めてゆく。

大石にとって、この瞬間が喜びなのだ。それは料理人が、滅多に手に入らない魚をまな板に載せて、自分の好きなように捌こうとしているのと似ている。

前方では、斎藤一が立ちはだかって、しっかりと三人組を足止めしてくれている。

あとは確実に仕留めるだけだ。

相手との距離、三間。

この距離になると、この威圧感に圧倒されて、刀を差し出して降参する者もいるし、逆に開き直って斬り掛かって来る者もいる。

大石は、足の進みを半足分に縮めた。

廣瀬は、驚くほどに冷静でいる自分を感じていた。

慌てふためいている相手を見て、余計にそれを感じる。

相手は、不意を突かれたのだ。

こちらは、教練通りに進めればよい。虚を突かれた者と、現実を見据えている者とでは、最早勝負はついている。

あとは、誰よりも先に中岡に斬り掛かればよいのである。

息を整えた。

その時だ。

わっという叫び声が聞こえたと思うと、三人組は風に吹き飛ばされたように、右に駈け出して路地に入った。

そこには、開いている勝手口があって、そこに飛び込んで入ってしまった。

余程慌てたらしく、最後の者の鞘が収まらないままに閉めようとして、二三度大きな音を立てた。

夜の河原町通りを駆け抜けた。

それは、静かな暮らしをしている者の狂気を呼び覚ますのには、充分すぎる程の大きな音だった。

「納め刀」

大通りで、抜き身を持った五人組が集まっているのを見られたかも知れない。

まずい。

大石は、すぐに刀を鞘に納めるように命じた。

齊藤が、大石隊に駆け寄った。

「齊藤さん、申し訳ない。逃げられた」

「まずいな。その屋敷は近江屋だ。坂本龍馬が潜んでいる」

「武家屋敷なら問題はあるが、商人の処だったら御用改めなら踏み込めるだろう」

「いや、駄目だ。ここの主人は土佐藩と繋がっている。通報されたら後々面倒なことになる」

「作戦変更だな」

「兎に角、ここは目立つ。向かいの岬神社なら、人目に付かないからそこで待機してくれ。わしは、菊屋に戻って藤堂平助と服部武雄とで打ち合わせをしてくる」

齊藤は、顎で菊屋の二階を示した。

そこにはこの季節にも関わらず障子が、僅かに開いている。

その間から、月の光に照らし出された能面が現れた。

「毛内有之助。何で、毛内がいるのだ」

「後から来たのだろう。伊東甲子太郎さんからの伝言があるはずだ。毛内も連れてくるか」

「絶対に連れてくるな」

「どうしてだ」

「奴は嫌いだ。虫唾が走る」

つづく

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