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短編小説『さまようオヤジ』
後ろを振り返った。
香田さんはまだ別れた場所にいた。
私が振り向いたのが分かったのか、百貨店の受付の女性社員のように丁寧にお辞儀をした。
右手を大きく上げてそれに答えた。
彼女は、それを見て,また丁寧にお辞儀をした。
自分の仕草が、知らないうちにごく普通のお父さんのように、オヤジ化しているのが分かった。
「お父さん」と呼ばれても仕方がないのかもしれない。
香田さんに何を期待していたのだ。
香田さんは、所詮カンナと同じ年頃の娘、同じ会社の社員,それだけの関係なのだ。
「お父さん」と呼ばれても仕方がないことなのかもしれない。
もう一度、振り返った。
香田さんは、かなり小さくなって見えたが、元の場所にきりっとした姿で立っていた。
振り返ったのが分かったのか、香田さんは、また丁寧にお辞儀をした。
いつまでたっても、頭を上げようとしない。頭を上げるまで、先へ進めない,と思ったが、ずっと上げようとしない。
仕方がないので、後ろ髪を引かれるように、先へ進んだ。
分からない。
近頃の若い娘の考えていることは分からない。
分からない。
若い人の考えていることは分からない上に、女性の考えていることは、もっと分からない。
わからないことだらけだ。
駅の周辺の喧騒や賑わいが見えてきているにも関わらず、私は闇の中に紛れ込んで行くように思えた。
真夜中の札幌の人通りのない街を彷徨い歩いているような錯覚に囚われた。
香田さんは、何時までもずっとそこに立っていて、見送っているような気がする。
冬の真夜中の札幌とは違う。
あの頃は、若かった。
あの夜は、音がなかった。
すべての音が、雪のサイレンサーによって消されていた。
今は違う。
頭の中には、香田さんの歌が流れている。
繰り返し流れている。
私の頭の中には、香田さんの歌声しか流れていない。
分からない。
香田美月が分からない。
分からないから、もっと知りたい。香田美月をもっと知りたい。
何故、「お父さん」と呼んだのだ。
それさえなかったら。それさえなかったら。
彼女の歌声が、頭の中で響き渡る。
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