厄介なつき

満身創痍

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最近の記事

父のこと

父は個性的で、真面目で、純粋な人だと思う。 競馬、お酒、子煩悩。 小さな島の集落で8人兄弟の末っ子として育ち、勉強ができたから本島の大学まで出て、大都会東京で大きめの企業に就職。 経験を積むほどに 「こうした方が面白い」 「こうすれば皆が幸せ」 「こうすれば無駄な時間や金をかけずに良いものを提供できる」 それらをよく考えて仕事をする人だった。 自分の得がなくても、人のために自分を活かすことが大好きな人。私はそう思っている。 父の最初の結婚は、23歳ごろ。 秋田生まれ

    • パンデミック、極彩色の心で祝祭が見たいのは私も同じ

      少し肌寒くなってきた頃に、がらりと付き合う人々や環境が変わって、これまでは自分の内側を表現するために生きてたところにずっとずっと気にしていた家族や生活のことを受け入れて、大きく生活スタイルを変えることにした。 私にとってしんどい選択だった。 これからも表現は続けるけど、いったん社会の組織に入って、看護師に戻ってルーティンワークの中で暮らすのだ。 好きな時に描いて、好きな音楽やアーティストに出会って作品を築き上げる時間はほとんど取れなくなるだろう。 コロナパンデミックが

      • 年末

        . 誰かとつながるというのは、誰にとってもそうであるように、私にとっても安らぎであり恐怖であり面倒くさいことであり、大いに癒しでもあり、苦しいことでもある。 . いい聞き手、いい友人、いいパートナー、いい働き手、いい娘にならねばと努力してみたこともあったが大抵は人の話を聞き、誰かの役に立ち、誰かの期待に応える人間でい続けるというのはやってみたことがある。 その上で、自分にはけっこう難しいことなのかなとダラダラ32年かけて察しました。 . 意を決してやったことに何か言われり

        • 日陰

          22歳の私がした選択は、中絶だった。 2人でしたことは、未熟さゆえだった。 当時、病棟のフルタイム看護師をしていた私には、家に帰ると時々遊びにきている2つ年上の彼の存在だけが全てだった。 若くて、未熟で、それでも自分が働いて2人でなんとか暮らせるのなら、そのままずっと一緒にいたいぐらいに好きだった。 中卒で早くから社会に出て、早く大人になりすぎたせいか冷ややかな目をした、一重の目。 夜な夜な映画を観すぎて、海外かぶれの甘い台詞が得意なところも、私の安っぽい手料理でも

          儀式

          つめたい窓を開ける 涼しい夜風に明日を待つ 息の仕方を思い出して わたしは全部知っている  いつかこの日々も終わることを いつかこの身を余して あなたの細い体が機能しなくなることを あなたの作った夢見話がきけなくなることを 誰かに期待されることも 期待を寄せてしまうことも だれかと通じ合うことも だれかに通じたのではと思うことも あなたはいつからかしなくなった わたしも願うことはやめてしまった 大きな美しい目は血走って しっかりと太い眉をあげ 赤黒い肌をがさが

          看護師になった話

          私は、無名のnote書き、「厄介なつき」になるまでの間、えんえんと転職を繰り返し、さまざまな経験をした。 そのうちのひとつ、看護師になった話をしよう。 18歳の時、進路相談もろくにしなかった。 面倒くさくて、息苦しい将来なんて、金さえ確実に稼げればなんでもよかった。 それ以外のことは正直、どうでもよかった。 私には、看護師として働き、小型犬を飼い、キャッシュで買った車を転がし、独身貴族を漂わす歳の離れた種違いの姉がいる。 そんな姉が、自由で強い女に見えた。 経済的

          看護師になった話

          睡眠第一

          睡眠を第一として生きてきた。 睡眠を優先しない人間とは、友人としても恋人としても、私はたぶんやっていけないと思う。 先週、バス停でも座りたいくらいには怠惰である、と自分のことを話したばかりなのだが、またいかにも、な書けるコンテンツがあったのでここに記しておきたい。 怠惰な人生から得られた話として、寝坊の話を欠くわけにはいくまい。 誰が得するわけでもないが、努力はたびたび裏切られても、怠惰であることはわりと裏切らないのである。 ここ1年、訳あって一念発起し、たいして使っ

          バス停でも座りたい

          「疲れる」 この3文字を何度頭の中に繰り返してきただろう。 のちのち説明を加え怠惰な私を知って欲しいと思うが、私は「疲れる」と感じることが日常となっていた。 思えば疲れなかった学生時代、社会人時代はなかったのではないか。 とにかくいつも疲れて、布団に転がることだけを人生の楽しみとしていた。 そんな私も、住んでいる街では移動もする。 バスや市電、公共交通機関をよく利用する。 運転免許は流れに乗って取ったが、今やただの証明書でしかない。ペーパードライバーにとっては、あってな

          バス停でも座りたい