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潮とラム酒と葉巻香るプエルトリコ、自由と孤独の間で

編集部より:前回、私を取り戻す香りを寄稿してくれたcittaちゃんの新記事では、2年ほど前にプエルトリコを訪れた時のことを回想してくれました。この情勢でいつ行けるとも知れない異国の香りを感じてみてください。

2018年2月、単独でカリブ海に浮かぶアメリカ自治領、プエルトリコのサンファンに行ってきた。

旅は大好きであり、その中でも半分以上が一人旅である。日本からざっくり近い順番に思い出してみると、韓国、台湾、香港、タイ、インド、スリランカ、オーストラリア、アメリカ、トルコ、ロシア、チェコ、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリス、アイルランド、モロッコを訪れている。

なぜいきなりプエルトリコへ行ったかというと、ある曲のミュージックビデオに出てきた風景に魅了されてどうしても自分の目で見たくなったからだ。

レゲトンというジャンルの音楽をご存じだろうか。レゲエとヒップホップの混ざったような非常に世俗的な中南米の音楽であるが、そのリズムの独特さや激しさとスペイン語の歌詞の生々しさに人間の本来持つ生命の力を感じる。また、あまりに自らの日常とかけ離れすぎているため、現実逃避をするには最高のサウンドなのである。

以下がリンクである。
Luis Fonsi - Despacito ft. Daddy Yankee
https://youtu.be/kJQP7kiw5Fk

上記のミュージックビデオに出てきた海沿いのカラフルな色の街を歩くというのがとりあえず旅のテーマであったが、プエルトリコは日本人にとってはメジャーな観光地ではないし、あの場所がプエルトリコのどこにあるのか調べてもよくわからないので、ネットで知り合った現地人の友人を頼りに情報収集を始めた。プエルトリコといえば野球を思い浮かべる方も多いかもしれないが、その友人は父親が元メジャーリーガーであり、アメリカ本土で幼少期を過ごした経験もあり英語が堪能であった。

彼によると、例のカラフルな色の街は実はギャングの巣窟となっており、よく銃撃戦も起きるため地元民は車でも行きたくない場所とのことであった。そしてもちろん私がのこのこと見に行くことは反対された。溜息。けれどもそこで諦めるわけにはいかない。情報を求めておいて無視するのは悪いけれど、友人にはそこを訪れることをやめるよう説得されたふりをしていたが、私は絶対に見に行く決心をしていた。ギャングに撃たれて死ぬのは嫌だし、カリブの島で邦人が殺されたとかいってニュースを騒がせるのはもっと嫌だったが、きっと抜け道はあるだろうと。

私の考えた抜け道は時間であった。おそらく早朝ならギャングたちは活動していないだろうという根拠のない自信をもとに、時差ボケで眠れないまま迎えた朝、ホテルを抜け出し散歩がてらその場所へ歩いて行ってみた。グーグルマップを片手に友人が教えてくれた道を進んでいくと、だんだんと建物の色が変わってきた。道の右側に少しずつカラフルな色の建物が見えてくる。左側には要塞があり、その向こうに海が見える。そのままどんどん道を進むとついにあの場所が目の前に現れた。海沿いの斜面一面に小さな色とりどりの家がぎっしり立ち並んでいるあの場所である。大きな笑顔になった。ギャングはやはり、寝ているようだった。

しばらくその場所を歩き回り写真を思う存分取って満足すると、そのままサンファンの主要な観光名所を見に行った。いわゆるカリブの海賊のイメージそのままの要塞、そしてまた反対側にも要塞、きれいな海辺の遊歩道、ヤシの木の下に美しいカフェやレストランが並ぶ通り、ひととおり回るのに2~3時間あれば十分である。

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名産である甘美で妖艶なラム酒の香りと、またこれも南国らしい名産の葉巻の香りが充満している。暑さと合わさってそんな香りが鼻の奥で混じりあい脳がとけそうになる。絵に描いたような楽園の風景である。観光客の多くはクルーズ船に乗って他のカリブ海の島々も含め周遊している人たちだった。自治領ということもあり、アメリカ本土から来ている観光客をよく見た。彼らは船で寝起きし、半日ほどサンファンに立ち寄ってまたすぐに他の場所に移ってしまう。少し寂しい気はするが、特別な思い入れがなくただ観光するにはそれで充分なのかもしれない。

というわけで私も半日要塞と繁華街を歩き回ると暇になった。そういえばホテルから歩いて行ける場所にビーチがあった。特に名もない普通のビーチであったが、Tシャツの下に水着を着てなんとなく行ってみることにした。道路からビーチに続く道に出ると、岩場がたくさんあった。よく見るとヤドカリや小さな蟹もいる。磯遊びの出来そうな海岸だ。しばらくそこに座ったりしたのち、行けるところまで歩いてみようと思い、ずんずん海岸線を歩いてみた。海に出てからは人間を見ていない。

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途中、これもまた要塞だったのだろうか、朽ちた遺跡のようなものが続く場所もあった。さらにずんずん海岸線を歩くと何もない砂浜と海がただただ広がっている場所に出た。見渡すと、砂浜が地平線になっている。海は水平線だ。こんなに直線が続く風景は日本では見たことがない。もちろん人もいない。遠くにヤシの木が見える。ただたた波が繰り返し作り出す音と潮の香だけを感じる。

誰もいないから、Tシャツを脱いで水着になってみた。おそるおそる水の中に入ってみる。案外冷たい。波を感じてみる。少しずつ沖の方へ歩いていく。いきなり波が強くなったりする。泳げないから流されたら終わりだ。たぶん誰にも気づかれず海の藻屑になってしまうだろう。聞こえる音はひたすら波の音だけである。波を感じる。また波を感じる。地球の鼓動を感じているみたい。体が冷えてきた。海から出て熱い砂の上に寝てみる。いい気持ちだ。このまま寝てしまったらミミズのように干からびて死んでしまうだろう。意識を保ったまま太陽だけを感じる。温かく包まれる。再び遠くで潮の香りと波の音だけがした。

その時、地平線や水平線と同じくらいどこまでも続いていく自らの自由を感じた。実はその頃、およそ8年ほど続いた共同生活からもがき苦しみながら抜け出し、生活を立て直しながら、ようやく仕事でも成果が認められ、一人で地球の裏側まで旅するゆとりができた時期であった。世界の歴史が教えてくれるように、自由は戦わないと手に入らないものである。私の人生の中でも2回ほど独立戦争が起きた。ようやく戦後の混乱がおさまりゆとりができた時期であった。

ミュージックビデオに出てきた風景を自分の目で見るという旅の動機の裏には、日常と離れてじっくり自己と向き合いたいという本当の目的があった。誰もいない、波の音しかしないこの地は、自己と向き合うには最適な場所であった。地球上のすべての生き物がどこかへ行ってしまって、自分だけがただ取り残されたような不思議な感覚を持った。自分はその瞬間、世界一自由であった。誰にも邪魔されず、束縛されず、批判もされない。地球の裏側に来て、数年ぶりにはじめて自由を感じた。果てしなく続く自由を。そしてまた考えた。自由を妨げるものは何であるかを。

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愛と自由を両立させるのはとても困難である。愛にはさまざまな種類があるが、何らかの人間関係の内部にいる限り、個々の自由は少なからず制限される。例えば旅に出ても、その瞬間の思い付きでふらりと予定していなかった場所へ立ち寄ったり、好奇心からマニアックな食べ物に手を出したりすることは同行者がいる場合躊躇されるものである。

今回の旅にしても、ミュージックビデオに出てきた風景が見たいという動機を他人に説明し、説得して時間と費用をかけてもらうのは面倒くさすぎるし申し訳なさすぎるが、一人だから思い立った瞬間に実行可能であった。幼少時から単独行動が大好きだった私はこうやって自己と対話しながら身軽に動くのが大好きである。それと好奇心の強さが合わさって旅を始めた。10代後半で味わった一人旅の爽快感が忘れられない私はまだ大人になりきれていないのかもしれないが。

カリブ海に惜しみなく注ぐ灼熱の太陽の温かさの中に、時折冷たい風が吹いてくる。まだまだ辺りは明るいが、気づいたらもう夕方である。噛みしめる自由の中にふと寂しさが込みあげてきた。2~3時間同じ場所に寝転んでいるが、一人も人間を見ていない。地平線にも水平線にも何もなく、スマホを見ても電波はないし、本当に自分だけが地球上に取り残されてしまったような気分がした。

一度孤独を感じてしまうとそこから抜け出すのは厄介である。だから普段は自由だけを感じていたい。孤独を意識し始めると底なしの沼にずぶずぶと落ちていくから。絶対的な愛のようなセイフティーネットなど存在しない。共に生きる人がいてもいなくても、結局人生は自分でなんとかしなくてはならないものである。

物心ついた頃から親に甘えたり頼ったり、わがままを言ったり、無邪気で天真爛漫な行動を取ることができなかった自分の根底には、そんな思いが強くある。歌ったり踊ったり走り回って騒いだりというようなこともできない子どもだった。代わりにたくさん本を読み自分と向き合う時間を取ってきた。生きる意味を探してきた。以来ずっと変わり者という烙印を押されているが構わない。私の知らない楽しいことが世の中にたくさんあるかもしれない一方で、私にしか見えない世界もあるのだから。

なんとなく惜しい気がして夕暮れのビーチにそのまま座り、ずっと海を見ていた。日が暮れてきたから靴を履いてホテルに戻った。泊まっていたのはコロニアル建築の古くからあるこじんまりとしたホテルで、エレベーターがついていなかった。1週間分の荷物を持って4階の部屋まで上がるのは大変であったが、こういう場所はいつも好きである。あえて時間をたっぷり取ってじっくりホテルを自分で選ぶことは旅の楽しみの一つだ。今回の部屋には広々したバルコニーもついていたから、たまにはレストランに行かず、なにかを買ってそこでのんびり食べるのも良い。ベッドには天蓋もついていてそれだけで気分が上がる。

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先程散策した繁華街を通って帰路につくと、再び甘ったるく魅惑的なラム酒と葉巻の香りがした。土産物屋や飲食店からはレゲトンのリズムも聞こえてくる。洒落たレストランのテラスでは、食事とおしゃべりに興じてみんな楽しんでいる。家族と、友達と、恋人と。こんなところに一人で来るのは私くらいだ。結局、周りに人がいてもいなくても私は独りぼっちだった。

何らかの人間関係の内部にいる限り、個々の自由が制限されるのは事実である。けれど、時には鬱陶しいくらいの愛情で包まれたくなることもある。いつも周りに自分を気にかけてくれるひとがいて、お節介を焼いてくれるような共同体の中で暮らせたらこんな底なしの苦しさなど感じずに余計なことを考えず楽しく暮らせるだろう。自分を開放し言いたいことを言って気ままに過ごしても崩れない信頼関係があったらどんなに心が休まることであろう。もしかしたら自由なんて、卒業してしまった方が幸せなのかもしれない。

ビーチで過ごした長い散歩から戻ってホテルの部屋にたどり着くと、スマホにwi-fiが繋がった。しばらくすると日本の友人からメッセージが届いていたことがわかった。なんだかほっこりする。日常の中では特に気に留めないことかもしれないが、一瞬でも自分のことを思い出してなにかしら発信してくれたことが単にものすごく嬉しい。愛を感じると心がほぐれる。

自由と孤独は表裏一体である。愛と束縛もまた表裏一体だ。大人になってもこんなテーマについて考えてしまう私は間違いなく幼稚であるが、人生とは、様々な段階を経ていきながらも永遠に自己と向き合い続けることであるから、自分にとっては大切なテーマなのである。どうか茶化さないでほしい。

たまにはこうして日常から抜け出し、たっぷりと自分の心と向き合いたい。そして一生かけて、自分の心がどこまで成長できるか見届けてみたい。今はコロナが収束したらどこへ行こうか思いを巡らすのが楽しい。


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