一本の線香の向こうに ~お線香ができるまで~
1986年生まれの筆者が小学生の時に国語の教科書で読んだ、谷川俊太郎『一本の鉛筆の向こうに』。登場人物のゴンザレスさん・ポディマハッタヤさん……。彼らの名前の響きそのものに、当時の私の心は奪われました。
もし学校の授業でこの話に出会っていれば、かなりの割合の方が印象的に覚えているのではないでしょうか? いや知らないよ……という方にかいつまんで紹介させていただくと、みなさんが当たり前のように使っている鉛筆は、世界各地の人々の手によって一本の鉛筆の形になり、みなさんの手元に届いている。そんな気づきを与えてくれるお話です。
線香もまた、世界各地の人々の手によって一本の線香の形になり、みなさんの手元に届きます。そんなことを想像されたことはあまりないのではないでしょうか。
今回は僭越ながら『一本の鉛筆の向こうに』をオマージュさせていただくことで、私たちのつくっている一本一本のお線香が、どのように・どんな人たちによってつくられているのかを紹介させていただきます。
試作の段階で、線香を手作りすることも。
……そうはいっても、ただ「線香工場の見学」をしていただくだけではありません。私たちが展開するサービス「お香の定期便 OKOLIFE」のお線香が準備・構想を含めてどのようにつくられているのかを、可能な限りオープンにお伝えできればと思います。
原料の生産①(タイ)
そもそも、お線香の原料がどのようなものかご存知でしょうか? 木の樹脂を粉末にしたもの、動物性のものなどいろいろな香料がありますが、和の香りの世界で伝統的に使用される香料の種類は10種類強。字面が面白いので列挙してみると、沈香・白檀・藿香・山奈・龍脳・貝香・麝香・安息香・乳香……などなど。いずれも、日本ではほとんど産出されません。
漢方薬のような香料で、不思議な香りがします。実際に漢方で使用されるものも多くあります。これらをブレンドすることで香りを作り上げていくというのが、線香に限らず匂い袋・練香など、和の香りの基本的な考え方です。
これらのうち、最も重要視される香料と言えるのが香木「沈香」。身近な存在とはいえないと思いますので、少し紹介させていただきます。
香道に使用する最上質の沈香をカット(截香)している様子
沈香は、ベトナム・タイ・インドネシア・マレーシアなど、東南アジアを中心に産出される「不思議な木」です。特に上質な沈香は、成育過程がいまも謎に包まれています。そのため、いつの時代においても希少で、 その結果高価にならざるを得ません。
その香りは、日常生活で近いものがないようなステキな香りです。聖徳太子にはじまり、室町幕府の将軍・足利義政、織田信長、歴代の天皇家の方々をはじめ、日本の人々の心を1500年の長きにわたって掴み続けてきました。
そんな沈香の栽培・採集・加工・輸出を行っている、プラモートさんご夫婦を紹介します。
左から2・3番目がプラモートご夫妻、4・5番目は父と筆者、眩しくてしかめっ面(2012年3月)
ご夫妻がビジネスを行っているのは、タイ王国の首都バンコクから車で3時間30分ほどのラヨーン地区。ここに農園と工場を構えています。農園には栽培した沈香が林立し、工場の中ではスタッフの方たちが収穫した沈香を鉈(なた)を使って選別・製材しています。
沈香の選別・製材をしている様子
この滞在時には「天の海シリーズ」の原料となる、上質な沈香をわけていただきました。ものすごい掘り出し物が見つかり、ハッピーな気持ちになったことをいまでも憶えています。
仕入れの方法は様々ですが、このように筆者が現地に行くのはごくごくたまにのこと。ほとんどは信頼のおける「香料屋さん」から仕入れさせていただいています。
原料の生産②(中国)
沈香をはじめとした香料だけでは、線香は形になりません。いわゆる「つなぎ」が必ず必要です。つなぎは、化学的な糊のようなものから天然素材までピンキリです。
天然素材のつなぎは、基本的にタブノキという植物の樹皮を粉末にしたもの=タブ粉(たぶこ)のことを指します。タブ粉は、水を加えると粘り気を出してくれる上に、燃やした時にあまり香りがしない。
つまり、他の香料の香りを比較的邪魔しにくいという特性を持っています。香雅堂では、OKOLIFEをはじめとしたほとんどのお線香を、タブ粉を使用してつくっています、逆に、化学的な糊はほとんど使っていません。
タブノキの製材を行う工場は、香港国際空港から車に揺られること約6時間。郊外の町から更に離れて人家のまばらな山あいの地域にあります。写真はタブノキを粉砕している場面です。この後、不純物を取り除くために、薬品などを使わずに、水で洗いに掛けます。
タブノキの製材を行う陳さん(仮名)
上質なタブ粉をつくるためには、タブノキの木の品質の良し悪し以上に、洗い工程を丁寧に行うことが大切です。砂・泥・虫といった不純物が残っていると、お線香の香りを邪魔してしまうからです。
粉砕&洗い工程が終わったタブノキ
このように、香木「沈香」や、つなぎ「タブ粉」を含め、和の香りに使用されるほとんどの香料は、インド・中国・ザンジバル・オマーン・ベトナム・インドネシア……等々、世界各地の様々な人々の手によって栽培・採集・加工され、日本にやってきているという訳です。
インセンスディレクターの業務(東京)
ここで場面は日本に移ります。筆者、つまり香雅堂の山田悠介は「インセンスディレクター」として線香の製作に関わっています。
筆者、インセンスディレクターであり香雅堂代表
インセンスディレクターとは、私たちがOKOLIFEを始めるにあたって考えた造語です。言い換えると、「お線香作りの決断&まとめ役」で、役割は主に2つにわかれます。
まず1つ目は、お線香の製作過程に関わる方々とのやりとりを取りまとめること。2つ目は、製作したいお線香のコンセプトや条件面を検討していくことです。
OKOLIFEの場合、1年間で12種類のお線香の香りをお楽しみいただきます。この期間を通じて、和の香りの全体像を捉えていただけるよう、毎月さまざまな切り口を設けています。たとえば、香りのジャンルを香道的/伝統的/現代的の3つに分けて、次回はどれにしようかを決める。グラムあたりの香料の単価は、どれくらいの金額にするか。どの香料を中心に据えるか。香りを言葉で表現すると、どのようなイメージになるか。
OKOLIFEのパッケージ裏面、ジャンル・全原材料等の情報が客観的にまとめられている
10月のOKOLIFE「菊枕」を作るときには、次のように考えました。「ジャンルは伝統的な香り、香料のグラム単価は○○円程度、山奈をキーの香料にしよう」、「菊から連想される清らかな酸味を表現しつつ、安らかな眠りを誘う静かな空気感を目指そう」、こうしたアイデアを、1年間分=12種類のバランスを把握・比較・棲み分けしながら固めていきます。さらに、月に一度 香雅堂で行われる定例ミーティングで、これらの情報を後述の調香師と線香職人に伝えます。
調香(日本のどこか)
定例ミーティングの場では、私が調香師の新田さん(仮名)にコンセプトや条件をお伝えします。新田さんは、その場でどのような香料を用いるか言語化いただき、調合のイメージのすり合わせを行います。
新田さんが香木を選別している様子
引き続き10月のOKOLIFE「菊枕」を作るときを例にして、実際のやり取りの雰囲気を再現してみます。
新田さん「グラム単価的に、かなり沈香をリッチに使えそうですね! 爽やかさをもつインドネシア産の沈香を主体にするといいかなと思います。それから、山奈とカミツレを効かせて、菊のイメージを強めたいですね」
山田「よさそうですね。軽やかでありつつも、眠りを誘うような落ち着きの側面を見せることはできそうでしょうか」
新田さん「……できると思います。ベトナム産の上質で重めの沈香を、隠し味的に効かせようと思います」
(以上のようなやり取りが、表現を変えながら何度も繰り返されて……)
新田さん「それでは、2種類のサンプルを作ってみますね! ひとつはどちらかというと”菊”によせたもの、もうひとつは”眠り”によせたもの。どちらかが悠介さんのイメージにあうと良いのですが」
お線香に使用される香料たちの一部
この後、新田さんはサンプルの製作と仕様決定後の本製作を行うため香料を調合し、線香職人の方にバトンタッチします。
線香職人(淡路島)
国内における線香の総生産量の70%を生み出す場所、淡路島。文献上日本で初めて香木が見つかったとされるのも、この島です。OKOLIFEをはじめ、香雅堂で扱うほとんどのお線香はこの島の線香職人・平野さんの工場で生産されています。
淡路島 伊弉諾神宮内の香木伝来を記念した石碑「香」
東京での毎月の定例ミーティングを終えると、平野さんは淡路島に戻って、調香師の新田さんから送られてくる調香済のいわば「お線香の素」を待ちます。
平野さんの仕事は、製作するお線香の分量に合わせて、前述のタブ粉・水の分量などを計算することから始まります。
押出機から出てくるお線香たち
この後の工程を駆け足で記載すると、お線香の素・タブ粉・水を均一に捏ねて「玉」にする → 玉を押出機から長い状態で押し出す → 所定の長さにカット → 乾かす……といった感じです。
こうしてお線香が完成したら、最後にお線香をパッケージに入れます。世界中から集められた香料たちが、巡り巡って淡路島という地でお線香に、今回の場合で言えば「菊枕」という商品になったという訳です。
菊枕のパッケージに丁寧にセットされる
おわりに
いかがでしたか? OKOLIFEのお線香がどのようにして作られているのか、また、一本の線香の向こうにいる方々の姿を、少しでもイメージしていただくことはできましたか? この記事を通じて、お線香を少しでも身近に感じていただけたら、とても嬉しいです。
──最後に、少しだけ心残りがあるので、書いておきたいと思います。それは、記事のなかに登場する方々の顔出し&実名をあまり出せなかったこと。和の香りの世界はいまでも商慣習が厳しく、あまり表に出ていくことが歓迎されないのです。
和の香りの経済圏を広げ、文化としてのレベルを高めていくためにも、線香に関わる方々が表舞台に出ることが必要だと思うのですが……。そんなマクロ視点での危惧を、ごくごく個人的にしています。
香雅堂および「お香の交差点OKOCROSSING」は、オープン・フェア・スローをキーワードに和の香りの世界に関わり続けます。いつの日か「一本の線香の向こうに」の顔出し&実名バージョンを公開し、読んだ誰もが気持ちよく感想をシェアできるようになりますように……そう切に願いながら。
【連載】お香と100年、生きてみる
オープン・フェア・スローをキーワードに活動する香木・香道具店「麻布 香雅堂」の代表・山田悠介が書くnote。謎に包まれた和の香りの世界のことを、様々な切り口から紹介させていただきます。既にお香が好きな方に、潜在的にお香を必要としている方に、この連載を通じて少しずつご興味をお持ちいただけたら嬉しいです。
【プロフィール】山田悠介
香雅堂代表。1986年、東京の麻布十番に生まれる。「悠さんのランドセルは香りでわかる」と言われる様に和の香りと共に育ち、約10年前から香雅堂に関わる。テニスを中心としたスポーツ・村上春樹さんをこよなく愛する、2児の父。家業・家庭・自分の時間、細く長くバランスよく、中庸に100年生きることを目指しています。
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編集協力:OKOPEOPLE編集部
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