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「腑に落とす」ということ

「頭ではわかっているけど、何だか上手くいかないんだよなぁ」みたいな話はよくあるし、実際に自分でも悩んでいます。
最近は、ブッダの考え方を勉強していて、自分の心について割と深い理解が得られています。
ただ、頭でわかっているだけで、実生活のふとした時にその知識を発揮できていないよなとも感じています。頭での理解だけでなく、もっと深く体に染みこませるくらいの理解、「腑に落とす」つまり「心で理解する」みたいなことはできないかしらと思いました。

そこで、「頭で理解する」と「心で理解する」の違いについて考察しました。

言葉の定義


まず、ここでの定義を確認します。

「頭で理解する」

「何かを頭で理解する」とは、
「何か」について、考えようと思えば、自分で思考のプロセスが追うことができる状態。

例えば、「コーヒーの淹れ方」とか、「物理法則を導出する」とか、その題材について考えようと思えば、プロセスを追うことができる状態。
「コーヒー淹れようかな、まずはお湯を沸かして、その間に豆を挽いて、豆は一人分だから〇〇グラムで。。。」みたいな。

「心で理解する」

「何かを心から理解する」とは、
「何か」について、考えようと思わずとも、わかっている状態
この状態になると「何か」は、思考する以前の発想に紐づいてきたりします。

例えば、対人関係にネガティブな印象を持っている人がおり、
ある書籍で対人関係に関するメリットを学んだとします。頭では「対人関係を通して得られるメリット」を理解しましたが、実際に人と関わる時になると一歩が出ない。。

頭で理解⇨心で理解の順番

理解の順番は、「頭で理解してから、心で理解する」でしょう。
頭で理解したことを、何度も思い出したり、人に話したり、書いたり、実際に体験したりすることで心から納得させてあげるイメージかなと。
であると、思い込みなんかは、あることを心から信じきってしまった状態とも言えます。今までの人生の中で少しづつ確証を得ながら心を納得させてしまった状態です。
例えば、「自分なんて。。」とい自己卑下の思考が強い人は、「心から自分が卑しい人間であると理解している」状態と言えます。ですので、いくら「自分自信を肯定することが大事」と言われても、心では自分自身を肯定できていません。

心から理解するには修行が必要

何事も身につけるには、鍛錬が必要です。プロセスを知っているだけでは、職人にはなれません。理解するという活動も、それ相応の修行が必要なんじゃないかなと。例えば、先に挙げた、何度も思い出してプロセスを考える、人に説明してみる、書いてみる、別の視点から考え直してみる。そうした地道な修行の先に心からの理解がある気がします。

今後どうするか

私は、色々本を読み漁るのが好きなのですが、頭で理解しただけのことが多い気がしています。簡単な情報収集程度ならそれでも良いですが、心から理解したいなぁと思うことは、アプローチを変えてみたいと思います。noteでのまとめ記事もその一環ですね。自分の言葉で表現して、何度も読み返してみようと思います。


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