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掌編小説|お通しにパインのテキーラ

 ふとあたりを見回すと、ハリボテの洞窟に迷い込んでいた。テーマパークのようなつるつるとした質感の岩壁に、まばらに蝋燭の灯が灯り、プラスチックのキノコが壁一面に繁っている。
「お通しにテキーラか、ミックスナッツお選びいただけまーす」  
 言われて初めて、自分がバーカウンターに座っていたことに気がついた。暖かいおしぼりで手を拭きながらきょろきょろとあたりを見回すと、年配のカップルが一組と、自分のような一人客が二名ほど、離れて弧の字型のカウンターに座っている。
(お通しにテキーラ?)
 髪を高い位置で一つにまとめた、金髪の若い女性の店員が、こともなげに真っ直ぐこちらを見つめている。「じゃ、じゃあテキーラで」と顔色を伺いながら返事をすると、醤油皿のように各席に積み上げられたショットグラスを一つひっくり返され、冷えたテキーラを目の前で勢いよくなみなみ注がれた。パイナップルを一切れ、グラスのふちに蓋をするようにして乗せられて、どうぞと一瞥される。
 まず、ここはどこだ。
 つい数時間前まで職場の友人たちと食事をしていて、自宅に向かい電車に乗ったところまでは覚えている。渋谷駅で降りたのは覚えているから、そこからはほど遠くない立地のはずだ。
 酒を飲みに来たのだろうか?ひとりで?目をつぶって思い起こしてみると、そういえば普段からひとりでもお酒をよく嗜んでいたような気もする。薄暗い店内で、空のジョッキグラスを満足気に並べる自分の姿は容易に想像できる。記憶を辿る限りでは、自分はひょっとして、かなりの酒好きなのかもしれなかった。
 しかし現実として、目の前に出されたこのテキーラの処理の仕方はわからない、と思った。
「あの…これ、どうやって飲むんですか?」
 なんでわかんねーのに頼んだんだ、とも言いたげに、店員の眉間がぴくりと動いた気がしたが、グラスを拭いていた手を止めてくれる。
「えっとですね、まずこれをぐいって飲んで、それからパイナップルをかじってください。ほんとは柑橘類とかが多いんで、これはうちオリジナルですけど」
「なるほど」
「あの…、前もうち来てませんでしたっけ?」
 じっと顔を覗き込まれる。確信がありそうだった。
 えっそんなことあるか?こんなインパクトしかない店、一度来て覚えてないことなんてあるか?
 周りをもう一度きょろきょろと見回したが、やはり覚えのある空間には思えなかった。
「いや…?人違いだと、思いますが…」
 店員のつるりとした額にさらに皺が食い込む。心底不可解だという顔をして、諦めたように作業に戻っていった。
 目の前には(おそらく)初めてのテキーラ。
 パイナップルの蓋をどけて、グラスの中身を一気に喉に流し込む。味わう前に除けたパイナップルを口に放り込むと、ガムシロップのような甘い風味が鼻を抜けていき、遅れて喉の奥がかっと熱くなった。南国。生ぬるく湿度が高いが開放的な独特の爽快感に喉を焼かれ、気持ちよかった。
「おいしい!」
「…あなた、たぶん酒強いと思いますよ。次、何飲まれます?」
 店員が先ほどの怪訝顔のままこちらを見つめている。あ、なんだ。あの顔は別に普段からあの顔なんだ。
 ちかちかとソフトフォーカスのフィルターがかかっては消え、かかっては消える。次の注文が考える前に口から滑り出た。
 プラスチックのキノコたちが胞子を撒き散らしながらぽうぽうと発光していて、蝋燭の火は視界の片隅でまた時間を巻き戻し、また初めから燃え直そうとしていた。

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