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古墳時代の中国と朝鮮半島

日本は中国と朝鮮半島よりも後輩のイメージをすると、
理解が進むかもしれません。

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古墳時代の中国・朝鮮半島の様子


中国は、5世紀ごろには南北朝時代。

朝鮮半島は、以下の地図になります。
是非覚えてください。

伽耶・新羅・高句麗・百済

伽耶・新羅・高句麗・百済

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耶・羅・句麗・

耶・羅・句麗・

頭文字をとって、

か・し・こ・く

か・し・こ・く  で覚えよう!

大和政権(ヤマト王権)と朝鮮半島との関係

ヤマト王権の権力を拡げたポイントとして『鉄』があります。

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しかし、その頃日本に鉄はありませんでした。

そんな時に、日本は朝鮮半島に向かいます。

ヤマト王権は、鉄資源や進んだ技術を求めていたため

朝鮮半島南部の伽耶地域の国々とつながりを深めました。

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大和王権(ヤマト王権)と中国との関係

大和王権(ヤマト王権)の時代の5世紀の終わり頃、
中国では、南北朝の時代に『宋』という国が、中国の南部を治めていました。

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さらに、詳しくいうと、中国は、北朝と言われる『北魏』
南朝と言われる『宋』の二つの国に分かれて、争っていた。

その『宋』の国の歴史書である『宋書』倭国伝では、5世紀ごろ、
日本の5人の王((讃・珍・済・興・武)が、中国の『宋』に
たびたび使いを送っていたことが書かれている。

なぜ、『宋』の国に使いを送っていたのでしょう。

その当時日本の王たちは、日本よりも進んでいた
中国の力を借りたいと考えていたのです。

倭王の地位を認めてもらうためでした。

古墳時代の有名な古墳を覚えよう。

鉄剣や鉄刀が発見された
埼玉県の稲荷山古墳から鉄剣
(さいなり)

熊本県の江田船山古墳から鉄刀
→鉄刀に刻まれている文字は『ワカタケル王』=倭王 武
(くまの船からワカタケル)

渡来人から伝わったもの

そもそも渡来人って何?

中国や朝鮮から日本にやって来て、
進んだ技術や文化を伝えた人たちのことですね。

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どんなことが伝えられたの?
万里の長城の建設などの過酷な労役や悪政に耐えかねて、日本へ逃げてきたと言われています。

そんな渡来人たちからは、
①漢字:その頃日本にはまだ文字がなかったため、宋とのやり取りに使われていたものが、今の日本が漢字を使っているルーツがあります。
②儒教:社会のあるべき姿をまとめたもの。
③仏教:どうれば苦しみから逃れて生きていけるのかをまとめたもの。
④須恵器:青灰色をした硬い土器のこと
⑤その他:土木工事、絹織物などの進んだ技術


中国や朝鮮から多大なる影響を受けている日本ってことなんですね!


朝鮮半島の動乱


6世紀になると、東アジア諸国で戦乱が起こります。
朝鮮半島は、6 世紀に百済と新羅が勢力を拡大
中国は、6世紀末に隋が国内を統一します。


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