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どんな自分も受け入れる自分自身【好きでいたい】#519

おはようございます。

3/29 何かをやれたという経験は、自分にとって自分をもっと好きになるようなきっかけで、昨日は最近途絶えていたジョギングができたことで、また自分のことを好きになれました。 おこめさんです。


こういうことを感じて、言葉にするときに思うのは

なにもできなくなったときに、ぼくはぼくのことを好きでいられるのか

ということです。(ここでいう好きは 自己有用感みたいな感じですかね)

こればかりはそういう状況になってみないとわからないのですが、

何もできなくなったとしても、ぼくはぼくのことを好きでいたいなって思います。


そのときに何を思うのか という思考においての自由は

最後の最後まで残されていると思うので。

どんな状況にあっても愛をもって生きる
優しい世界を願って過ごす

そういう理想を自分が忘れていないという点において

自分を好きでいたいなって思います。



でもこういうときにさらにまた考えたいことが、

できない自分と出会ったとき、そのときの自分でも好きでい続けられるのか ということです。(そんな理想なんて考えても意味がない とか、どうせ無理だから とか、ネガティブに考えてしまっている自分がいたとき)


このときに忘れたくないのはオールオッケーな自分自身の存在です。

自分という存在はその奥にいるもう一人の自分(最近ぼくはこれを自分自身といっています。)と目に見える、認識できる自分とで成り立っているのかなって思います。

そのもう一人の自分自身はいつも自分に対してオールオッケーって言葉をかけてくれている気がします。(そもそも自分と自分自身は一心同体)

そんなことを考えると、どんな自分でいたとしても自分のことを嫌いになるってことはないかなと思います。


今日はこんななんともないことを考えていて、それをそのまま書いてみました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

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