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「入りたい!」おはこやは子どもの意思を尊重する場所【自分の原体験から】

おはようございます。”おこめさん”です。


今日の結論は、おはこやの入塾は子どもの意思を第一に決めてあげたい!

という内容です。


ぼくはこう見えて(?)、結構破天荒な行動をしたりします。

特に大学時代は

・夜中0時にバイトが終わってから、急に生駒山から夜景が見たい!といって、そのままママチャリで爆走。着いたのは朝の4時ごろ。ほとんど夜景らしいものが見れずにそのまま帰ってきたり。(家に着いたのは朝7時くらい)

・岡山の祖母の家に歩いていこうとしたら、姫路の手前辺りで足がいたくなりすぎて途中で電車に乗るという挫折(?)を味わったり。(丸2日)

・そのリベンジで、鳥取に住む友達の家に歩いて行こう!と思い立って、丸5日間かけて野宿しながら歩いて行っちゃったこと。

・四国88箇所のお遍路を30日くらいかけて徒歩で一周したこと。(毎朝4時起き。今と同じ)

・同じくお遍路をまわるために、枚方の家から自転車で四国まで乗り込み(フェリー)そこから1週間で半周したこと(徳島から今治)

・六甲山を丸一日かけて縦走したこと。(走ってはいない。夜も歩いた)


なんか書いてて、自分のことじゃないみたいですが、自分のことです。


ぼくは常に、自由に何かをするってことにこだわりがあった気がします。(もちろん今も)

強制的に人生のレールを決められるってことにすごく抵抗感があります。

自分の思いを一番にこれまでも生きてきたし、これからもそうするのだと思います。(やりたいことの見つけ方でも、自分の思いが一番にきた)


なんで、ここまで自分の意思を大事にするのかを考えてみたとき、3歳の自分の体験が思い起こされます。


ここからは少しだけ重たい話をさせてください。


まだ3歳だったころのぼくは車の中で母親にこう言われました。

「お父さんとお母さんのどっちと暮らしたい?」

いつも母親はぼくの意思を尊重しようとしていたんだと思います。


だけど、当時のぼくにとってそれはあまりにも過酷な質問で、すでに父親とは会えなくて、母親と暮らしているときです。答えを待っている母が目の前にいて、早く言わないとって自分の口で言ったことを覚えています。


「お母さんと」


でも、そんなことは本当の本当の本心じゃないんですよね。

本当は


「三人でまた暮らしたい」


だったんですよ。


でも、それはまた母親を苦しめることになるんだろう。

そんなことを気にして、言わなかったのだと思います。

言えなかったのだと思います。



それからも、よく母親は泣いていました。

ぼくも泣いていました。


(それでも一生懸命育ててくれた母親には感謝しています。)



人生にはどうすることもできないことがある。

でもできることなら、自分の意思で自分の人生を決めていきたい。

レールを誰かに引かれるということに今でも強く拒否感を感じます。



また、「子どもとの時間を大事に、奥さんを大事に」

これら全てはこのときの原体験があったからだと思います。



そして、おはこやには「親の思いだけで」で入塾させる、ってことはないようにと願います。

「自分がやりたかったのはこれじゃない!」

内心そう思いながらも親の顔色を伺いながら通ってほしくないのです。


本当の本当に、
自分がもっとたくさんのことを学びたい!
今の自分を変えたい!
自分に自信を持ちたい!

そういう子どもたちの願いに何よりも寄り添いたいと思っています。
(だからオンラインという形で、全国に向けてそういった数少ないかもしれない悩みに答えたい)


そして、いつかおはこやが支援する先として、ひとり親家庭という選択肢があがってきたら素敵だなって思っています。(あくまでもみんなで考える)



今日もここまで読んでくださってありがとうございます。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。


ブログ こめたか


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