猫
子供の頃から、家に猫がいたことは一度もなかった。
犬はいまも育てていて、この子の前に2頭見送っている。いなくなったことは悲しいけど、一緒にいた時間が楽しいことだらけだったので、思い出すことは辛いばかりではない。
子供のころから猫になじんでいたら、もしかして外へ出たがる猫を「そういうものだ」と思って過ごしていたかもしれない。そのために猫を失ったとしても、猫はそういうものだ、と。
数年前、近所の子が瀕死の猫を抱えて私の仕事場へ来た。痩せて毛並みがボロボロ、お水も飲まない。保護活動をしているような仕事ではなかったけど、そうも言ってられないなと思って預かって病院へ連れていった。
5~6歳くらいのオス猫は重い腎不全で、3日後に空の向こうに旅立っていった。寒い11月のことだった。
この猫のことは思い出すのは辛い。
真冬の公園で2日以上も動かずに植え込みでじっとしていたと連れて来た子は言っていた。
去勢されていたけどさくら耳ではない所を見ると、誰かが飼育していたのではと思うのに、その最期をお迎えにきてくれる家族はいなかった。
あの状態になるまでに1週間以上はかかってるだろう。預かった3日で警察へ届けたり、チラシを作ったりして近隣スーパーに貼ってもらったけど問い合わせは遠方からの電話1件だけ。そして残念ながらお探しの子ではなかった。
誰かがあの子をかわいいといってご飯をあたえ、名前を呼んでいたんだろうに。撫でてくれる手もなく、水もご飯も摂れずにじっと死を待っている間、どんなに心細い思いをしたろう。
せめて寒くない病院の毛布のなかで眠れて良かったのかなと思うしかなくて。
猫を撫でたときに感じるのは、驚くほどの柔らかさとか弱さだ。
爪や牙は確かに鋭く、簡単に私の手に傷をつけるけど、それ以外の部分がとにかく華奢なのだ。
名前を呼ばれて撫でてもらって、あたたかいお部屋で、寂しくない最期を迎えて欲しい。
飢えたり凍えたりしないでほしい。病気やケガを負ってほしくない。
可愛いと言われて撫でられて日なたにまどろんでほしい。
守られて安心して生き抜いて欲しい。
猫を撫でるたびに、あの柔らかい毛並みに思うんだ。