【語学学習による生産的現実逃避のすゝめ】
◼︎ 生産的な現実逃避をしたい人に向けて
目の前の現実を受け入れたくない、受け入れられないときがある。
ここではそんな、直視し難い現実・問題から目を背けたいとき
「単なる現実逃避では終わらせない、生産的な手段」
として
を提案したい。
◼︎ なぜ語学学習なのか?
1. 大義名分性の担保
現実逃避の手段はいくらでもある。
ゲームをする、漫画を読む、酒を飲む…etc
ではなぜ語学学習を推すのか?
それは
である。
「いつまでゲームしてんだ」
「いつまで漫画読んでんだ」
現実逃避としての娯楽が評価されないことは、往々にしてある。
周りからやっかまれるのみならず、後に自身で罪悪感に苛まれることもある。
しかしこれが、語学学習となるとどうか?
ゲーム・漫画・YouTubeでもなんでもいいのだが、これらを「語学学習のためにしてる」と言えば、周りはそれを賞賛したりする。
あなた自身も、自分の娯楽に罪悪感を感じずに済んだり。
また「語学学習」と聞くと堅苦しく聞こえるが、このように娯楽と結びつけてみると、抵抗感も少しは減るのではないだろうか。
2. 固定観念の再構築
語学学習が現実逃避に適していると私が考える理由として
というものがある。
以下例を出して解説してみる。
例えば、「死」という日本語について考えてみる。
「死」という漢字は、私に不快感を与える。
この「死」という漢字を想起するだけで、それはそれは夥しい量の様々な、ネガティブな連想がなされる。
親類の「死」、友人の「死」、殺人、映画の拷問シーン…etc
今までこの「死」という漢字について脳内で想起・思考する度に、私は少しずつ、この漢字に対する独自のイメージを形成してきたのだ。
「死」について考える際に不快なイメージを拭い去ることが難しい、と感じる程にである。
ここで "dead" という英単語について考えてみる。
"dead" は直訳すると「死んでいる」を意味する形容詞になるが、私はこの "dead" という英単語からは、あまりネガティブな連想をしない。
日本語訳に「死」が含まれるにも関わらず、である。
私は "dead" という英単語に対しては、「死んでいる」という日本語と比較して、あまり不快なイメージを形成していないのだ。
私は "dead" と聞くと、すぐにあの著名なゾンビ映画である "The Walking Dead" を連想するのだが、ゾンビ映画は私にとってホラーよりはコメディ的立ち位置である。
"dead" という単語からは「死」のネガティブイメージどころか、「笑い」のポジティブイメージが浮かぶ。
ここでは
のである。
上記の例は「1単語」における言語変換例だが、これを文レベル・ひいては生活言語レベルにまで落とし込めると、見える世界は大きく変わってくる。
私自身もこの「言語による観念の再構築」を意図的に行うことがある。
以下マガジンがその一例である。
このマガジン内には、日本語以外の言語を用いた記事を格納しているのだが、このマガジンのタイトル
『日本語うざいわってなった時に他言語に避難』
を紐解くと
「自分が日本語に対して作り上げた固定観念に縛られてしまうことが嫌なので、他言語を用いることでこのバイアスを取り除こう」
てな感じの意味合いになる。
3. 言語によるキャラクターの変化
「言語による観念の再構築」は、ひいては
に通ずる。
多言語話者と話していると、この「言語によるキャラの変化」という話題は自然とよく出てくる。
例えば日本語を使っているときは真面目キャラ、英語のときはおちゃらけ…などなど
使用言語によってキャラクターが変化するのである。
これは私自身も感じるところがある。
例えば私は英語を使うとき、日本語を使っているときよりも感情的になる傾向があるように思う。
これは日本語・英語、それぞれの言語特性に起因するところもあるのだが。
多言語話者を観察していると、彼ら彼女らは、しばしば使用する言語を変えている。
会話をしている際に、複数の言語を行ったり来たり。
「この感覚は、この言語で表現するのが自分にとってしっくりくる」
なんてこともあったりする。
言語が、直視したくない自分から離れるツールになり得る一例である。
◼︎ アニメによる語学学習
さてここまで、語学学習・他言語の使用が現実逃避に適している理由について解説してきた。
そしてここで語学学習の方法として、現実逃避に最も適していると私が考えるものを紹介したい。
(ここでは例として第一言語は日本語、学習対象言語は英語と想定する。)
それは
である。
ここで重要なのは
音声も字幕も日本語に設定してはいけない
ということである。
とにかく出来るだけ、日本語を脳内から追い出すことに注力するのだ。
この「アニメ英語視聴」は、以下の点で現実逃避に優れている。
アニメの、そもそも現実離れしたグラフィック・ストーリー
動画という形式が、視覚・聴覚の没入を誘う
第一言語である日本語を避けることで、自身の現実問題を想起させないようにする
おすすめのアニメを一例挙げるとしたら
『ポケモン』
全年齢対象ゆえに、概ね語彙レベルも高くなく、ストーリーからも現実問題を想起しないで済むかも。
また、既に日本語で観たことがあるアニメであったりすれば、ストーリー理解もしやすく楽しめるかと。
あとポケモンそれぞれの名前が、英語だと全然違うことに驚いておもろかったりもする。
ちなみに私は "Friends" という海外ドラマが好きで、英語学習によく活用していたのだが
実写作品であることから、現実問題を連想しがち
になると私は感じる。
コメディ要素も強いものの、「仕事」とか「恋愛」とか、劇中のトピックはけっこう現実的。
現実逃避を目的とするなら適さない感じもあるな、と。
◼︎ おわりに
語学を学ぶことのメリットとして、私が紹介したいことは山ほどあるのだが、本記事では「現実逃避ツールとしての」語学学習 というところに着目してみた。
そんな感覚で語学学習が出来たら、楽しい勉強になったらいいなと。
私の記事が、何らかの形で貴方のお役に立てたら幸いです。 もしサポート頂けましたら更に幸いです🥲