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職業選択について〜客室乗務員か地方公務員か


私の大学4年当時の就職の第一希望はJALの客室乗務員職でした。
私の根底には経済的に自立して生涯第一線で男性と同等に働きたいという譲りがたい強い思いがありました。
しかし当時の客室乗務員職は今以上に結婚出産して続けられる職業では無かったのです。
最終的に私は新卒で地方公務員として採用になり今に至ります。
その決断に至った時のことを書いていきたいと思います。

以下は私が経験したバブル最末期の平成初期の就活であり現在とは事情が違う事を念頭に置いて読んで頂ければと思います。
当時は新卒一括採用、終身雇用、性別役割分業が今以上に当たり前の時代でした。

私は子供の頃から飛行機を見るのも乗るのも大好きでした。
実家近くに空港があったからかもしれません。
休みの日などに父親と一緒に飛行機を見に行っていました。
高校時代に羽田空港に行く機会があり生まれて初めて飛行機に乗りました。
赤と紺のラインに黒くJAPAN AIRLINESの文字が描かれた美しい機体。
そして垂直尾翼の赤い鶴丸。
生まれて初めて間近に見たジャンボ機。
迫力あるジャンボ機の離発着に私は身体が震えるような感動を受けました。
空港で見かける凛々しく颯爽とした乗務員達の制服制帽姿。
第一希望はパイロットでした。
自分の手でジャンボ機を操縦し乗客をそれぞれに待つ人のいる所に届ける、そんなパイロットになりないと考えたのたです。
しかし昭和の時代にパイロット職は女性に門戸を開いていませんでした。
そして私はパイロット同様に実際に飛行機に乗って仕事をする客室乗務員になりたいと考えるようになりました。

学生時代の近しい先輩が客室乗務員としてJALに入社したこともあり憧れに拍車がかかりました。
実家に帰省中にお会いした先輩が容姿も含め全てにおいて、みるみる洗練されていく様子を見て益々憧れを深めました。
スチュワーデスマガジン(現エアステージ)を毎月読みJALの飛行機のポスターを部屋に貼って毎日眺めていました。

憧れとは別に、客室乗務員の業務や待遇を詳しく知るにつけ、現実的に結婚出産して続けられる仕事ではないことを知ることになります。
国際線の客室乗務員は泊まりの乗務が当たり前で、長いときは2週間程度家を空ける事がある。
国内線でも泊まり乗務が多い。
当時は育児休暇は制度として始まったばかりで取る人はほぼ居なかったのかもしれません。
小さな子供がいる人はどうするのだろう?実家が成田や羽田の近くになければ親にも頼れない。
結婚しても子供が出来るまでの仕事になるであろうとに私は気づかされました。 

それでも私は客室乗務員をめざすの?
採用試験倍率は50〜100倍、筆記試験、面接などなど5次試験ぐらいまであったやに記憶しています。
外見を面接試験仕様に整え、英語と筆記試験対策を抜かりなく。
客室乗務員試験パスするための予備校に行く人も多いのです。
そこまで頑張って得る客室乗務員職なのに、当時の平均勤続年数は10年未満。
ほぼ結婚と同時にか、妊娠したら退職するケースが多かったようでした。
もちろん今は全く違うのだと思います。
しかし昭和から平成初期はそうした事がごく普通でした。
ガッツリ対策して頑張って得る職業にしては割に合わないと大学生の私は考えるようになりました。
しかも大学の私の周りの仲間は結婚出産後も働くことが当たり前と考える人が多かったのです。
医師や公務員や教員を目指す人が多い傾向にありました。
出身が地方国立大学だったからかもしれません。

私は公務員と客室乗務員という対極にある二つの職業の間で揺れ悩みました。
客室乗務員職は、ワクワクしますし世界中に出張し見聞を深められます。
加えて優秀で魅力的な同僚や先輩方に接することが出来ます。
だから私自身学ぶ事が多く人間的に成長することができるだろうと考えていました。
しかしながら結婚後のキャリアが全く見えない。
大学卒業後客室乗務員として勤務し20代後半で結婚。
入社してたった6.7年で頑張って得た仕事を辞めるの?結婚後は専業主婦になるの?
専業主婦になり子育てし社宅や近所付き合いをそつなくし夫を支えるの?
私の結婚後のキャリアは家にずっといて子育てと家事なのか?と考えただけで抵抗感が非常に強く気持ちが暗くなりました。

公務員になれば結婚出産しても辞めることなく定年まで働き続けることが出来ます。
そうした公務員女性のキャリアプランは当時から明確でした。
しかし、私には公務員という職が客室乗務員職と比べてワクワクするものではなく、人として磨かれるとか成長できそうだとは、どうしても考えられませんでした。
公務員の安定と福利厚生は抜群ではあるものの、私自身の成長や学びは客室乗務員よりは見込めない。
私はどちらを選ぶべきか?
大学時代、私の気持ちは揺れに揺れました。
私が受けようとしている役所では大量退職大量採用の年でありチャンスでもありました。
私の勤務先の役所の採用試験の倍率は客室乗務員試験ほどではないものの毎年10倍以上にはなります。

私の譲れない気持ちは、生涯職業人として結婚出産に関係なく第一線で働くこと。
そして定年までもしくは身体が動かなくなるまで自分の持ちうる能力を世の中のために活かし役立てていきたいというものでした。
これは将来の職業を意識するようになった高校生の頃から全く揺るぎないものでした。
また私は三人姉妹の長女なので地元にいるように求められていました。
そうなると私には地方公務員しか残されていませんでした。
そこで公務員試験の勉強をして出身地の基礎自治体に採用されて今に至ります。

結局客室乗務員の採用試験は新卒時は受けませんでした。
しかし今にして思うのは客室乗務員の採用試験を受けなかった悔いが今なお私の中で燻り続けていることです。
結果はどうあれ公務員試験と客室乗務員の試験両方受けてみればよかったと感じます。
結果を見てどちらかを選べば良かったとつくづく思います。
その後、その悔しさが亡霊のように目の前に立ちはだかることがしばしばあります。
今なおです。
安定と働き続ける環境を求めて公務員になった当時の私の判断は正しかった。
しかし挑戦すらしなかった悔いは今なお残ります。
これまで公務員として与えられた仕事を懸命にこなしてきました。
しかし私の何処に、ここは私が居るべき場所ではないような諦めきれないもどかしい思いは公務員となって30年以上たつ今なおあります。
だから同じように悩む方がいるならば両方受けてみればいい、それから考えていいんじゃないの?と強くお伝えしたいです。
若い頃挑戦しなかった悔いは年を経るごとに強くなると私自身が実感しているからです。
そして私はある行動に出ます。
それは改めて書いていきます。



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