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【小説】不完全なティータイム

 世界はあるべき姿でまわり、彼らだけが喪失感とともに取り残されている。

 ベビーブルーの空には白銀の三日月がぽかんとひとつ浮いていた。鳥籠のようなガゼボには蔓薔薇が絡み、しっとりと艶のある花を咲かせている。薔薇たちは淡い八重の花と折れぬ棘でもって、なかに座る少女を隠すようだった。
 少女は深く項垂れ、ぴくりとも動かない。晒されたうなじはぞっとするほど細く、今にも折れてしまいそうなほどに弱々しかった。

「先日、友人からいただいた茶葉なんです」

 青年がティーポットカバーを外すと、花にも似た清々しい香りがふわりと広がる。優しい香りに青年は表情を緩めるが、少女は俯いたまま、まるで人形のようにちからなく座っていた。そうしていると、ただでさえ華奢なからだはより小さく見えた。大事なものを失ったぶん、本当に小さくなってしまっていたのかもしれない。

「この紅茶は山岳地帯にある農園で収穫されるんです。とても広い農園で、手摘みされるそうですよ」

 あらかじめ温めておいたティーカップに、琥珀色が注がれていく。カップは金の縁取りに、デルフィニウムをリボンで束ねた柄が可愛らしい。しかし、この愛らしいとっておきのカップも、馥郁と香る紅茶も、少女を慰めることはできなかった。

「ほら、見てください」

 穏やかな青年の呼びかけに対し、少女はやっと顔をあげた。のろのろと焦点の定まらない目線が、言われるがままに水面へと向けられる。
 なめらかな注ぎ口に、きらりと琥珀がひかった。それは注ぎ口にしがみついて小さく震えていたかと思うと、意を決したようにカップへと落下していく。水滴はなみなみと注がれた琥珀に吸いこまれ、花が開くときに似た音を立てて水面を揺らした。

「……ゴールデンドロップ」
「ええ――最後に注ぐ紅茶、至高の一滴を貴女に」

 ふ、と少女が吐息で笑う。やりきれない笑みは歪み、疲労と愛惜が色濃くにじんでいた。

「あの子と取りあったものだわ……こんなことになるなら、紅茶の一滴くらい、あの子に譲ってあげればよかった」

 揺れる瞳を立ちのぼる湯気がおぼろに曇らせる。立ち消えない蒼色の後悔だけが彼女の胸のうちで煮詰まっていく。
 青年はわきに置いていたミルクポットをもちあげた。陶器のポットは表面がつるりと真白に耀き、それ自体がミルクのようだ。

「ミルクと砂糖はいかがですか。ミルクティーがお勧めですよ。この紅茶は、ミルクを淹れても香りが負けないのです」
「そう……じゃあ、お願いするわ」

 少女がそう言うと、青年は鮮やかな手つきでミルクをカップへと注いだ。やわらかな曲線を描いた白が琥珀色と混じり、複雑な模様を浮かべる。最後にぽつりと落とされたミルクが一滴。刹那、小さな王冠が現れ、消えた。
 王冠の沈んだ紅茶に、今度は角砂糖をいれる。ひとつ、ふたつ、みっつ。甘い立方体は熱さに角をなくし、ゆるゆると融けていく。

「甘いものはこころを落ち着けますからね」

 そう言いながら、自分のカップには五つの砂糖をいれる青年を見て、少女は思わずといったようすで小さく笑った。それに気がついた青年がそっとはにかむ。
 少女は花の香りがする甘いミルクティーをひとくち、啜るように飲んだ。

「……おいしい」
「それはよかったです」

 金の縁を少女の細い指先がなぞる。

「……あたしたち、何もしてないわ。いつもみたいに、一緒にベンチに座っていただけ」

 少女の切々とした呟きに、青年と月は黙って耳を傾ける。

「今度のお休みは何をしようって、そう話していたの……あたしたち、本当に何もしてなかったの」

 胎を分かちあった、魂の半身。同じ血が流れる唯一無二の片割れ。あの子がいれば、何も怖くなかった。欠けのない玉であった。しかし、世界はそれを許さない。そういうふうにできている。
 それを少女も知っていた。知っていたけれど、いざ失うと平気ではいられなかった。喪失は彼女をおおいに混乱させ、戸惑わせ、心臓の深いところを傷つけた。生まれたときからずっと一緒にあった半身が恋しくてしかたがない。

「どんなに離れていても、あの子のことなら何でもわかったのに、今はわからないの。何処にいるのかも、どうしているのかも、何もわからないの……あたしも、もう、どうすればいいか……」

 少女が目を伏せる。
 背後の蔓薔薇が一輪、はらりと花弁を散らした。それを皮切りに、ほかの薔薇もシルクのような花弁を落としていく。はら、はら、と順に散り、石畳へ音もなく降り積もっていく。
 かちゃり、とソーサーにカップを置く音が小さくなった。

「探せばいいじゃないですか」

 顔をあげた少女は唇を噛み締め、潤んだ瞳で彼を睨みつけた。

「そんな……そんなことできないわ。だって世界は、そういうふうにできている。探す手段もないわ」

 青年が眩しそうに目を細める。はら、とまた一枚の花弁が散った。

「何故、行動する前に諦めてしまうのです。貴女の気持ちはその程度なのですか」
「貴方に……貴方に何がわかるの。無責任なこと言わないで――」
「私にも昔、もう一人がいました」

 彼の声はただただ穏やかだった。向かいに座る少女は怯えたように慄く。

「私が、貴女くらいの時のことでした」

 青年がまだ少年だった頃。よく似た彼らはいつでも共にいた。半身なのだから、それは可笑しなことではなかった。まるでパズルのピースがはまるように、彼らはぴたりと並んでいた。少女たちが一対で玉であるように、彼らもまた一対で完璧だったのだ。
 しかし、何の前触れもなく彼の半身はいなくなってしまった。世界に連れて行かれてしまった。
 泣いても叫んでも片割れは戻ってこない。まるで最初から存在しなかったみたいに。

「まるで身を切られるような痛み。まさしく世界が終わったようでした」 

 またひとくち、甘いミルクティーを含む。少女の大きな瞳に彼が映りこんだ。ふいに、その鏡像が歪む。かと思うと、つるりと彼女の瞳から頬へ滴が転がり落ちた。
 少女を慰めるように、己を鼓舞するように、彼は繰り返す。

「探せばいいのです」

 もう一人の自分がどうなったかはわからない。
 この世界は彼らのような存在を許さない。昔からずっとそうだった。彼らが生まれるずっとずっと前から、そうだった。 

「世界が何だというのです。たとえこの世に存在するすべてのものが許さなくても、私にはあいつが必要なのです。探す理由など、それだけで充分ではないですか」

 青年の瞳が勝ち気に輝いた。
 湯気はとうに失せ、冷えた花の香りが漂う。

「私は諦めません」

 少女は双眸をゆらりと波立たせ、震えるように手元に落とした。

「――――、」

 小さな口から零れたのは、もう一人の彼女の名だろうか。
 このまま彼女が己の半身を諦めようが、それはもう青年にとってどうでもいいことであった。喪失感と愛惜を抱えたまま生きることを選んだ者たちがほとんどなのだから。だが、青年は半身の不在に慣れることを良しとはしなかった。

 生ぬるくなったミルクティーを飲み干した青年は、椅子を引いて立ちあがった。どこもかしこもすっかり端切れのような花弁に覆われていて一歩踏み出すだけでも靴裏で潰れ、うっとりとバニラが薫る。
 頭上では、尖った三日月が白く輝いていた。

<終>

最後まで読んでいただきありがとうございました。
小説は以下でも公開しておりますのでよかったらぜひ。


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