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哲学・日記・メモ「問うという事について」

問うと言う事について
 
問いの前には驚きがあり、驚きの前には世界との出逢いがであり、出逢いの条件には、世界と私が別たれている事実がある。だから問いは、最初は世界の中に現れる諸事物への問いかけに関心を持つものの、次第に問いかけの志向の変遷を経るようになり、「世界と私が別たれている事実」へと向かい、そして最後にその理解は不可能なことである事を知る事になる。そしてこの、理解を超えた「別たれている事実」を前にした後、人は何らかの信仰へ向かってしまう事は多いのではないだろうかとも思います。しかし実はこの先の問いかけが、本当に最後の問いかけとしてあるのではないか、と私は思うのです。それは次のような問いであるだろう。
即ち「では世界が別たれている事に対して、私はどのような問いの姿勢を取ればよいのだろうか?」と言う問い。「問い方に対しての問いかけ」と言っても良い。更に言い換えれば「問い自身が問う事に対する問い方の姿勢を問う事」。これが最後の問となるのだろう。

と言っても良くわからないと思うので、この最後の問いに向かう問いの変遷の経緯を記してみたい。それは以下のようになるだろう。

①「!?」
世界そのものに対しての驚きと問いかけ。言葉ではない問いとしての「驚き」。言葉ではない「驚き」としての「問い」。あるいは「問いと驚きの未分化な全体」。先ずは世界があるという驚きから始まる。しかしこの世界そのものへの驚きと問いかけは、大人になる前に忘れてしまう(そしてたまに美しいものを見た時や、世界そのものと対峙するようなもの・・・例えば災害とか極限状況に巻き込まれたときに、かつての片鱗に触れ少し思い出す)。
②「これって何?」
世界の中にある「個物」に対しての「関心」と「問いかけ」の混交(≒興味)。世界そのものへ向かう問い(①のステージ)は忘れている。答え方は「これ」という名辞。
③「何故そうなのか?」
世界の中の個物に対しての因果的遡及的な問いかけ。問いかけというよりも疑問。答え方は体系的な説明。
④「本当にそうか?」
他説に対する疑問。答え方は猜疑。疑問に疑問をもって答える。
⑤「世界そのものがあるとはどういうことか?」
形而上的な問い。存在に対する問い。世界そのものがあるとはどういうことか?という問い(①のステージ)の再燃。
⑥「どう生きればいいのか?」
実存的な問いかけ。本当の事なんてわからない!わからないという事に対してじゃあ私はどういう態度を取って生きればいいのか?という問いかけ。何もわからない。世界は理不尽で不条理だ。それを引き受けて尚、世界と対峙し続け、生き続け、生活し続けなければならない事を理解した時、私はそこから示される「思想の方位」のどの方位を選べばいいのかという問いかけ。答え方は実践。実際に生きる事。
⑦「そもそもの始まりに対する問いかけ、は如何に為す事が可能なのか?」
問い(=世界との邂逅)と同時に世界が始まった(①のステージ)のなら、その「「問いの始まり≒世界の始まりに対して私はどのような態度をとることが出来るのか?」という問かけ。最後の問いのステージ。

2021年 岡村正敏





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