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哲学・日記・メモ「音楽的なるものと絵画的なるものについて」

「音楽的なるものと絵画的なるものについて」

音楽の本質が、世界の開闢に向かう根源的志向であるのだとしたら、その過程で切り捨てられていく非本質な属性とは、具体的な言葉・歌詞の、まさにその具体性なのではないだろうか(この具体性・属性を「内容」とするならば本質は「形式」となる)。

音楽の本質は「旋律」にあるのだろう。

しかし・・・ある曲を聴くとき、私は歌詞を抜きにしてその曲に魅かれる事はない。
「歌詞」は本質から疎外されるこの世界の「不条理」そのものをまさに語っている。私が魅かれるのは、どうもその部分であるようだ。即ち「歌詞」とは音楽ではなくて世界の「不条理」そのものなのだろう。それを私は「絵画的なもの」あるいは「小説的なもの」「歴史的なもの」と呼んでみたいと思う。これら「絵画・小説・歴史」とは、本質志向の「音楽・詩・口承」と真っ向反するものである。それは、不条理な世界そのものの不条理性でもある。そしてこの不条理の不条理性とは「自ら不条理であるべし」という「反抗」として措定されるようなものである。つまり絵画とは「反抗」であるのだろう。
私が魅かれるのはそのような部分であるようである。
2023年12月31日

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