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メモ 対立図式を問うという事

対立を無くす為の技法や方法や、対立を調和させるための技法や方法は大事だけれども、そういう「対立に対する対処的な解決に向かう問い」よりずっと関心が深いのは、やっぱり「生じてしまった対立」に対し、その「生じてしまったという事実にどう向き合うか」と言う「問い」のスタンス、かな?

●論理を是とすることに対してレトリックや神話的思考を主張する事や、
●言葉に対して身体を対置させる事や、
●ハイカルチャーに対してローカルチャーやアングラを対置したり、
●またはそういう対立図式の乗り越えとして、唯物や観念等一元論に総てを収束させたり、                             ●さらに言えばそれらの変則として「じねん」を語ったり、        ●あるいは、対立図式の和合として調和を志向する事さえも、そもそも「対立図式が生じてしまっているという事実」に対して真摯な問いかけをしてはいない。                              ●それらが行っているのは、対立図式を解消するための方法もしくは技法や技術であって、「対立図式が生じてしまったという事実への問い」に真摯に向き合っていないのではないか、と私は考えます。

●でも私が関心があるのはここ、「対立図式が生じてしまったという事実への問い」だけなのです・・・。


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